タンクデストロイヤーの評判

 タンクデストロイヤーの起源について紹介して来ましたが、この頃のアメリカ陸軍の装甲戦闘車輌について正統派の戦車も含めて一覧してみようと思います。まず陸軍戦車部隊が装備した正規の戦車についてですが、アメリカ陸軍には当初、騎兵用のコンバットカーであるM2軽戦車しかありません。この戦車は軽快で機動力があり騎兵的な機動作戦には適した存在でしたから致命的な悪評はありません。

 しかし1940年から生産され始めたM2A1中戦車についての評価は最低のものでした。1940年と言えばソ連ではT34が開発され、フランスやイギリスでももう少しまともな中戦車が量産に入っていましたから1920年代の戦車用法そのままのM2A1が戦力になるとは誰も考えず、新たな中戦車を大至急配備する決定が下されてアメリカ陸軍の中戦車計画は再考を迫られます。

 けれども急に大口径主砲を装備できる大型砲塔とそれを搭載できる大直径ターレットリングを装備する車台が設計できる訳ではありませんから新中戦車の配備までの応急的な車輌を何とか用意せざるを得ない状況となります。こうして生まれたのがM3中戦車です。M3中戦車計画は早急に量産、配備するために1940年当時、フランス陸軍が実戦に投入していたシャールB1bisの配置を参考にして進められます。M3中戦車が37mm砲を装備した旋回砲塔を持ち、車体にケースメート式の75mm砲架を設けているのはシャールB1bisがタイプシップであったためです。

 こうして異様な外観の戦車が生まれましたが、新中戦車が配備されるまでのギャップを埋める200輌から300輌の限定生産計画として量産が認められています。けれども新中戦車の開発は予定より遅れ、M3中戦車はアメリカ陸軍だけでなくイギリス向けにも生産され結果的に大量生産されてしまいます。限定生産の応急戦車ですから機動戦の主役となる戦車師団用ではなく、歩兵師団への分属戦車大隊への配備が主体と考えられていましたが、最終的には分属戦車大隊のいくつかと同じように戦車師団の戦車大隊にも配備されてしまいます。

 中戦車計画が揺れる中で、軽戦車は順調に新型車輌の配備が進みます。M2軽戦車の改良型であるM3軽戦車は当時、まだ有効だった37mm砲を搭載して装甲ではドイツ戦車と同等の堂々たる戦車でしたが、歩兵出身の戦車部隊将校からはその装甲に不満が出たものの、装甲よりも高速と機動性を第一とする騎兵出身の将校達からは概ね好評でした。

 とはいうものの枢軸国の戦車開発と比較すればM3軽戦車が急速に陳腐化するだろうことは明らかで、それはそれで問題でしたがM3軽戦車の配備後まもなく、戦車師団はそれまでの軽戦車主体の編制から中戦車主体の編制へと移行したこと、さらにM4中戦車の配備が始まり対戦車戦闘に対する負担が減少したことであまり深刻に考えられていません。

 M3中戦車がフランス軍戦車を手本に開発されたように、1940年代初頭のアメリカ陸軍対戦車部隊もフランス軍を注視しています。何に注目していたかと言えばフランス軍が運用したトラック搭載砲に注目していたのです。牽引式の大砲よりも素早く移動、素早く陣地変換することができるトラック搭載砲に魅力を感じたことで、M6 37mmGMC(Gun Motor Carriage)が生まれます。さらに1941年秋のルイジアナ演習で活躍した牽引式の75mm野砲M1897をM3ハーフトラックに搭載したM3 75mmGMCが開発されます。

 このM3 75mmGMCは1941年に新編成されたGHQ戦車大隊4個のうち、第192戦車大隊と第194戦車大隊にタンクデストロイヤーとして配備され、この二つの大隊は新型のM3軽戦車と強力な火力を持つM3 75mmGMCを装備した統合戦車大隊としてその戦力を期待されます。新型主力戦車と大口径支援自走砲という王道を行く編制で戦力を期待されたこの二つの統合戦車大隊がそれからどうなったのかといえば、当時防衛が問題となっていたフィリピンへ送られたのです。 フィリピンでM3 75mmGMCが日本軍に捕獲されているのはこうした理由です。

 これらの部隊は期待された通りの活躍を示しましたがフィリピン戦線が孤立していたことと、部隊が最終的に降伏してしまったことで、その戦訓は本国に伝わっていません。もしフィリピン戦の戦訓が深く研究されていればこのようなある程度理想的な編制の統合戦車大隊が次々と生まれた可能性もあります。

 これらの初期GMCは「Seek!Strike!Destroy!」を本分とするタンクデストロイヤーが求める機動性を体現した兵器ですが、これらはルイジアナ演習で活躍した牽引式の砲と比較して優れた点ばかりではありません。M6GMCはそもそも37mmという口径が威力不足と考えられていた他、3/4トントラックの荷台に積まれた対戦車砲は車体後方に向けてしか射撃できないこと、さらにクルーは殆ど無防御の状態でトラックの荷台に乗っているという問題もあり、所詮トラックですから悪路走破性もいまひとつでその評判は芳しくありません。そして防御面ではかなり改善され、ハーフトラック形式で走破性も向上したM3GMCは火力の面では十分でしたが、砲の左右射界が著しく限定されていることが不満の種でした。

 そこで本格的な全装軌式の車台に対戦車砲を搭載する形式のタンクデストロイヤー(詰まるところが「戦車」)が開発されます。M5GMC、M9GMCを経てM10GMCが完成しますが、この「戦車」にも文句が出ます。それは「低速である」という少し理不尽な批判です。装甲が薄く、オープントップの旋回砲塔という中途半端な形式も問題でしたが、M10に対する不満は実戦での戦果が不十分であったことに尽きます。

 M10は最終回答となり得なかった、ということでタンクデストロイヤー部隊の装備はまだ落ち着かず、もうひと波乱あります。

6月 17, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦

Leave a Reply