シャールB1の影響力
虎や豹など猛獣を思わせるドイツ戦車に比べてどこか大型草食動物を思わせるおとなしい印象のフランス戦車。その代表格とも言えるシャールB1です。菱形戦車にルノーFTの砲等を乗せたような、そんな前大戦の経験を引き摺った旧思想の産物に思えるシャールB1は、戦前戦中を通じて各国の戦車開発に最も大きな影響を与えた戦車でもあります。タイガー戦車やT-34が世界の戦車開発に与えた影響はシャールB1に比べたら本質から離れた小さなもので、ドン臭い牛の如きこの戦車こそ多くの戦車の母なのです。
シャールB1の特筆すべき点は、1930年代に形づくられたフランス陸軍の機動戦ドクトリンを理論的に反映した産物であることで、古めかしい外観とは裏腹にその仕様策定プロセスは単なる経験知によるものではなく、新しく策定された戦術理論の実体化だった点です。従来の戦車開発とは異なり、第一次大戦後に得られた技術的成果とようやく具体化したドクトリンによって仕様が決定されています。
その仕様面での最大の特徴は一時期、各国戦車の息の根を止めかねなかった対戦車砲の脅威にまともに立ち向かった重装甲戦車であることで、37mm対戦車砲に耐える突破戦車として重装甲と大威力の75mm砲を搭載し、47mm砲による対戦車戦能力も兼ね備えた重戦車として現れたシャールB1は突破作戦の先陣を切る世界初の「対戦車砲を無視し得る戦車」でもあります。対戦車砲と戦車装甲のシーソーゲームはこの戦車から始まったとも言えます。
こうした突破作戦用重戦車概念の明確化によってイギリスではマチルダ、チャーチルが生まれ、アメリカではM3中戦車、カナダではラムが現れ、ロシアの重戦車にさえも影響を与えています。枢軸国以外の列強は全てシャールB1の落とし子を育てていたということで、37mm対戦車砲の本家的存在だったドイツ(誰もドイツ以外の対戦車砲の脅威などは思い浮かべない)の機甲部隊が戦争前半、フランスで、アフリカで、ロシアで重装甲の敵戦車に遭遇するのは、ただ偶然にそうした戦車が現れたのではなく、もともとドイツの対戦車砲、戦車砲に対抗できる重装甲の突破戦車という概念が各国に広く受け容れられていた為なのです。
ドイツ機甲部隊にとって幸運だったのはこうした戦車を装備した連合国戦車部隊の編成、配備が遅れたことで、いずれどこかの戦場で軽装甲、小口径砲装備のドイツ機甲部隊が「街道上の怪物」に出遭うのは当たり前のことでした。
そこまで考慮すればタイガー戦車という存在も詰まるところはシャールB1の影響下にあるとさえ言えるでしょうし、シャールB1の戦車としての良し悪しよりも何よりもドクトリンの確立からその実体化までの、ほんの一年か二年の遅れが勝敗を分けたという解釈がより戦いの実相に近いのでしょう。
4月 30, 2008
· BUN · 2 Comments
Posted in: 機動突破作戦の変遷, 陸戦
2 Responses
ペドロ - 5月 10, 2008
いつも大変興味深く読ませていただいています。
>ドイツの対戦車砲、戦車砲に対抗できる重装甲の突破戦車という概念
中国戦線で37ミリPakが多数鹵獲され、ガ島まで持ってかれたという話を聞くと、日本はこの概念をどう考えていたのかと思います。
それこそ中国軍人の独製兵器贔屓は日清戦争までさかのぼりますし、ハプロなどの動きにも無関心であったとは思えません。
試製九一式重戦車及び九五式重戦車なのだろうかと考えてはみましたが、装甲が薄いとも思えますし。
BUN - 5月 11, 2008
ありがとうございます。
日本の重戦車はどちらかというとイギリスの影響下にありますね。でも兵器についてその要目だけでなく、をれが要求された背景まで思いを巡らすと一味もふた味も違って見えてくるところが面白いところですよね。
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