シトロエンの実力
また、シトロエンの創業者、アンドレ・シトロエンはアメリカのフォード社の大量生産システムとその思想に大きな影響を受けた人物で、フランスにおけるフォーディズムの体現者でもあります。初期のシトロエンには課税馬力5馬力相当の自動車がありましたが、それをフランス流に「5CV」とは呼ばず、アメリカ流に「5HP」と呼んだのはシトロエンがフォードに敬意を払っていた証拠のようなものです。
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※ 1937年 11C生産数不明
※1939年 11C生産数に疑問あり
1934年
7A 7000
7B 10620
7C 6700
7S 1500
11AL 1500
11A 3300
合計 30620
1935年
7C 14700
11AL 2000
11A 4400
合計 21100
1936年
7C 21270
11AL 5300
11A 8900
合計 35470
1937年
7C 11300
11AL 2015
11A 1400
11BL 25500
11B 9300
合計 49515
※ 但し11C生産数不明
1938年
7C 6200
11BL 36400
11B 11900
15CV 90
合計 54590
1939年
7C 9300
11BL 5600
11B 13150
11C 28470
15CV 2310
合計 58830
※11C生産数に疑問あり
参考にした資料がちょっと曖昧であまり正確とは言えないかもしれないので申し訳ないのですけれども、この数字を見ればシトロエンの乗用車生産は既に手工業的世界から大量生産時代に突入していることが納得できるように思います。乗用車としては比較的高級な「トラクシオン・アバン」でさえこの程度の量が生産されているのですから航空機工業界と自動車工業界との生産体制の格差は極めて大きいといえます。
そうは言うものの、1934年当時のシトロエンは「トラクシオン・アバン」の開発とその大量生産設備に対する過剰な投資によって経営が破綻し、創業者の手からミシュランに売却されるという苦しい時期にあり、そこから国家の援助をあまり受けずに民需中心で大量生産体制を整えることの困難さを読み取ることもできますし、まさに経営破綻の原因となった「トラクシオン・アバン」の大量生産設備の実力を知ることもできます。
シトロエンの実績を眺めるとフランスの航空省もこの自動車工業界の実力を軍用機生産に利用できなかったものかと思いますが、果たして自動車工業界の動員をフランス陸軍が許したかどうかも微妙なところです。けれどもひとつの事実としてフランスにもイギリス流の「シャドー計画」を展開する余地があったことだけは確かなようです。
4月 18, 2008
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Posted in: フランス空軍
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