消え行く存在

 飛行機を造る現場の事情にからめて俗に言う「職人芸」と熟練工の手仕事の話をしてきましたが、そもそも「熟練工」とは何なのでしょう。加工や組み立ての作業に関わる経験年数の長い、その工程の作業に巧みな人々のことを言うのでしょうか。漠然と「熟練工」と言いますが、イギリスの航空機工業での「熟練工」とは技術に長けた工場労働者への尊称ばかりではありません。

 熟練工とは労働組合が保護する勤続年数の長い労働者のことを意味します。当然、経験にしたがって技術も身に付け、複雑な作業を一人でこなせる力もありますが、労働組合の保護によって給与でもその他の待遇でも、少年工や若年の作業者より優遇された立場を意味します。それが近代工業の熟練工という存在です。

 そんな人々のことですから、イギリスの労働組合は給与、待遇面での悪化を招く可能性がある未熟練作業者の雇用に対して大きく反発します。作業の細分化、単純化、機械化、自動化による未熟練作業者の雇用機会増大について反発した最大の勢力は労働組合で、その活動は各製造会社が航空省の要求する生産体制が整わないことの恰好の言い訳にもなっています。政府の追及に対して「近代的設備を導入したいのだけれども、組合が反対して進まない」と説明する訳です。

 しかし航空機工業の熟練工とはそんなに伝統的な存在だったのかといえば、実はそれほどでもありません。そんなに長い伝統など航空機工業界という新しい世界にあるわけがありません。技術の進歩とともに1920年代末から飛行機の構造は大きく変わり始めます。今までの木製骨格から金属骨格へと変わり、羽布張りの外皮は金属製へと徐々に変化します。1920年代の航空機工業は木工職人の世界であったのが、鋼管溶接構造の採用と金属外皮の採用増加で工場の現場とそこで働く人々は1930年前後の数年間に少しずつ変わっていたのです。

 そんな時代が始まった1928年、航空機工業界は金属骨格の飛行機生産について「今までの木製骨格の飛行機生産と違い、その工程の75%から85%は熟練工を必要としない」と認識しています。企業の立場から見れば色々と扱いが面倒な熟練工より、少年や若者を採用したいのです。

 「金属骨格の飛行機生産にはそれまでの木工職人である熟練工をあまり訓練しないで転用できるから生産を転換しても熟練工の雇用には問題がない」というのが建前でしたが、企業の本音はこんなものです。そのために航空軍備拡張時代の前であっても比較的経営状態の良かったビッカースアビエイション社では設備投資が順調に進められ、結局、1935年9月には工場の作業者に対する熟練工の比率は27%にまで低下しています。まだ生温い増産計画で現有旧式機増産の比率が大きかったスキームCの時代でさえ、既にこの傾向が始まっているところが大事な点です。

 元々、航空機工業界の熟練工とは木工職人全盛時代が終わり、木製飛行機から金属製飛行機の生産に転換した際に脱落せず、そのまま継続雇用された人々のことで、金属製飛行機の製造に長年従事した老練な作業者ではありません。ですから航空軍備の大拡張時代が到来してもしなくても、いずれは少数派となる運命にありました。飛行機の製造とはそれだけ新しく変化の激しい産業分野だったということです。

 結局1939年の第二次世界大戦開戦までにイギリスの航空機工業界で働く作業者の過半数は熟練工ではなくなっています。つい最近雇用された人々だということです。しかもその比率に対して航空省は熟練工への依存度が相変わらず高過ぎるとして批判的に評価してします。政府も企業も熟練工を雇いたくないと正直に言えるのが戦時の特徴です。

 それは設備の近代化を妨げる存在、あるいは旧式設備が稼動している象徴のようなものだったからで、いくら近代化しても残ってしまう単純労働化しにくい特殊な加工分野を除けば、新しい設備、新しい工具、新しい工作法による大量生産体制にとって熟練工は無用の存在と思われていたのです。

4月 2, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 航空機生産

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