どこがメジャーでどこがマイナーか?

第二次世界大戦が勃発した1939年の時点でアメリカの航空機製造会社はどんな企業で構成されていたのか、ふと気になって調べてみると、意外なことがわかります。

第二次世界大戦開戦直前の時期にアメリカの航空機製造会社で力を持っていそうなところを思いつくままに挙げてゆくと、まず伝統があり、P-36、P-40といった陸軍の主力戦闘機を受注していたカーチスが一方の雄なら、海軍伝統の艦上機メーカーとしてグラマンがそれと対をなす存在で、F2Aバッファローを受注したブリュスターも、水上機のヴォートも景気がよさそうな気がします。P-35のセバスキーも無視できないように思いますし、カタリナ飛行艇から大型爆撃機へと手を広げるコンソリデーテッドもありますね。

けれども、1939年当時に各社がもっていた製造能力をマンアワーで比較すると今、挙げた各社は全てマイナークラスの製造会社になってしまいます。

1939年時点でのアメリカ航空機産業の月間のマンアワーの合計は7,007,713人/時です。このマンアワー合計に対して各社がどれだけの比率をしめていたかといえば、第1位はアメリカの航空機製造能力の25.5%、約1/4を保有していたのはマーチンです。なんだか意外な気持ちになりますが本当です。そして第2位は19.1%を占めて航空機製造能力の1/5を担っていたのがダグラスでした。DC-3/C-47がありますし、そうかもしれないな、と思います。そして第三位は12.6%のロッキードです。

冒頭に挙げた各社はまだ出てきません。出てこないけれどもマーチン、ダグラス、ロッキードの3社だけで航空機製造能力の6割弱を占めてしまっていることがわかります。この3社だけでも健在なら十分戦争ができそうです。そんなものかなぁ、と思いながら続けると、第4位はボーイングで9.8%です。天下のボーイングもこの時代にはマーチンの半分以下でしかありません。

そして第5位はノースアメリカンです。ここも健闘していて9.2%を占めています。やがてP-51の大ヒットを飛ばす実力を最初から備えていたということになりそうです。P-40とP-51の物語を読むと老舗で大手のカーチスと新興で弱小のノースアメリカンとの対決といった構図が頭に浮かんでしまいますが、製造能力ではカーチスなんて問題になりません。カーチスは第6位につけていますが、5.7%と大きく見劣りしています。小さい規模で頑張っていたのはカーチスの方なのです。

第7位はコンソリデーテッドで5.1%です。もうこれ以下は一社で5%を切ってしまいますが、まだまだ有名な製造会社が出てきません。そして第8位はブリュスターで4.9%です。そして第9位は3.0%を占めるヴォートシコルスキーです。ヴォートは製造能力でライバルであるグラマンに勝っているところが面白いですね。F4UとF6Fの関係をそんなところから眺めてみるのも楽しいかもしれません。でもたった3%でしかありませんから、極端な話、消えて無くなってしまってもアメリカにとって痛くも痒くもない存在だったことも事実です。そしてどちらも1.9%で同率10位につけるのがグラマンとベルです。その後にセバスキーが1.5%で続きますが、もうここまで来ると比較してもあんまり意味が無くなって来ます。まったく吹けば飛ぶような存在でしかありません。

こうして眺めると双発機以上の大型機を製造する企業は大規模な製造設備を備えていて、航空機の製造能力はこうした大型機メーカーに集中していることがあらためて確認できます。たとえ人に知られていても小型の戦闘機を主体に製造する企業の製造規模は小さく、歴史があっても航空機工業全体に対する影響力はほとんど無く、おそらく業界内または政府に対する発言力も小さかったことでしょう。数字で比較すると小型機のビジネスと大型機のビジネスとではまったく世界が違うということを思い知らされます。

3月 23, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 航空機生産

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