ロールスロイスの「シャドー」対応

イギリスの航空エンジン生産は「シャドー」計画が持ち上がった1936年には年間2248基でしたが、1938年には2倍以上の5431基となり、1939年にはさらに倍以上の12499基に達して第二次世界大戦を迎えます。当然のことながら開戦後はさらに増産が計画されますからロールスロイスもまた「シャドー」計画に沿った形で増産に向かうことになります。

グラスゴー工場の作業者が未熟練の新人で占められていたことは生産設備にまで大きな影響を与え工場の性格をも変えてしまいます。グラスゴー工場はロールスロイスが自社で建設した「シャドー」工場として位置付けられ、古いダービー工場は試作開発用の工場とされて「シャドー」の頂点に立ち、ダービー工場より新しいけれどもグラスゴー工場ほど徹底した設備が無いクルー工場は両者の中間に位置することになります。

ロールスロイスの「シャドー」は親がダービー工場、子供との間に中間的に位置するクルー工場が長兄のような存在で、その下に「シャドー」の子供が並びます。グラスゴー工場がその第一子ですが、それだけではありません。戦時のロールスロイス「シャドー」計画にはアメリカ資本のフォードが参入します。フォードのマンチェスター工場がそれです。そして海を渡ったアメリカ本土にも「シャドー」の子供がつくられます。最初はアメリカ本国のフォードとの交渉が行われましたが、最終的にはパッカードがロールスロイスの「シャドー」となります。有名な「パッカード・マーリン」の誕生です。こうしてグラスゴー工場、フォードのマンチェスター工場、アメリカのパッカードの3姉妹でロールスロイスの「マーリン」量産のための「シャドー」を構成することになります。

グラスゴー工場のように自社で「シャドー」の子供工場を建設する方式はロールスロイスだけではなく、今度は「ハーキュリーズ」の大量生産を目的に計画されたブリストルの「シャドー」計画にも現れます。ロールスロイスのグラスゴー工場と同じように未熟練の作業者と量産に特化した専用機で構成されブリストルのアクリントン工場がそれです。他のシャドー工場はスタンダード、ダイムラー、ローバー、ルーツが二つのペアとなって生産に強力することで構成されています。自社新工場の「シャドー」化、アメリカの利用、既存「シャドー」工場の再編成が戦時下「シャドー」計画の特徴です。

ライバルであったロールスロイスとブリストルですが、戦時の飛行機大量生産は面白いことに仇同士のような両者を結びつける働きもしています。飛行機の量産が飛躍的に進展するとその装備品が不足します。中でもデハビランドで生産していた可変ピッチプロペラは深刻な不足に悩み、高性能機の生産で一番の阻害要因となってしまいます。航空省はこの事態を打開するためにロールスロイスとブリストルの両者に対して合弁でプロペラ製造事業へ算入するよう説得します。こうして作られた新会社が「ロートル」です。スピットファイアに提供されたプロペラとしてその独特なブレード形状で模型ファンにもよく知られていますが「ロートル」社とは「ロー(ルスロイス)(ブリス)トル」社という意味なのです。私はついこの間まで知りませんでした。

「シャドー」計画を実行し、未経験の工場にその生産を任せるにはどんな航空発動機でも良いわけではありません。「シャドー」各工場がその生産準備を終えるまでにはかなりの時間が掛かりますから、大量生産を開始しようとした時点で、第一線発動機としての寿命が尽きた旧式機となってしまっては何にもなりませんし、大規模生産に見合った大規模な需要が無ければ全てが無駄になります。「シャドー」計画に適する製品には、未経験の工場が生産しやすい程度に熟成の済んだ「新しくない」ものである必要があり、それと同時にその製品が今後数年間、どんどん需要が拡大し第一線で使い続けられる見通しが持てる「新しい」ものである必要があります。

そんな矛盾した条件をどう両立させるかが難しいところですが、飛行機にせよ発動機にせよ、こうした増産計画を実行する場合には「標準化」「統一化」という考え方がその基本になります。第二次世界大戦で実に様々な試作飛行機、試作発動機が生まれたイギリス航空工業界ですが、その試作機の多さ、失敗作の多さは、まったく矛盾するようですが「シャドー」計画の根底にある「標準化」「統一化」志向と大いに関係があります。そんな話を今後、やろうと思います。

第二次大戦中のイギリス軍事航空を眺めて「駄作機ぞろい」「珍機の宝庫」と楽しむのは大変結構なことですが、それで終わるのであればあんまり頭の良い遊び方とはいえません。ミリタリー世間話のネタにはなっても「なぜそうなったか?」という理由には「駄作機づくし」の漫談では永久に到達できないからです。「なぜ?」が心にかかって「駄作機」「珍機」にヘラヘラ笑えないような業の深い、偏屈でどうしようもない人たちだけ、これから先に進みましょうか。どうせ昔の戦争にかかわるやるせない話なのです。

3月 23, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 発動機

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