ブリストルの場合

1920年代のイギリスで軍用航空発動機のトップメーカーはネピアでしたが、民需の航空発動機市場を握っていたのはブリストルです。ロールスロイスが「ケストレル」のヒットによって巻き返したことで1930年代の軍用航空発動機市場はロールスロイスとブリストルが二大メーカーとして両社で80%程度のシェアを持つようになります。ロールスロイスの経営陣にとって、ドイツやアメリカに負けてもブリストルに負ける訳には行かないというライバル関係が続きます。

 ブリストルは軍需中心だったロールスロイスとは異なり、民需に大きなシェアを持っていましたからロールスロイスよりも生産コストに対して大きな関心を払っていました。ほぼ言い値で買い取ってくれる軍需より価格的に厳しい民需の世界に体重の半分を掛けていたから当然のことです。

 1933年からの軍用発動機増産時代に導入された大規模な戦時量産対応の転換生産計画=「シャドー」計画に対してのブリストルの態度はロールスロイスと変わりません。ブリストルも自動車メーカーが発動機の一貫生産を行うことに同じ理由で強く反対しています。

 ただロールスロイスと異なる点は航空省の方針と180度対立せずに妥協したところです。「シャドー」計画を受け入れる代わりにオースチン、スタンダード、ローバー、ハンバー、ダイムラーなどの各社にクランクシャフト、減速ギア、コンロッド、ピストン、最終組立て、試運転などの工程ごとに分割して振り分ける形態が最終的に採用されます。自動車メーカーのうち数社は一貫生産を希望し続けましたが1939年4月にその要望は政府によって却下されています。

 こうしてロールスロイスよりも一足先に「シャドー」体制に組み入れられたブリストルは「シャドー」計画上の親会社として自動車メーカー各社を指導する立場となります。けれども自動車会社のトップはブリストルの航空発動機工場を見学してあまり感銘を受けた様子はありません。ブリストルの生産ラインは民需に対応するためのコスト低減に早くから取り組んでいましたから工作機械のレイアウトもシンプルでよく整理され、効率がよく、経済的で管理しやすいものでしたが、それは航空発動機製造の世界でのことでした。

 自動車メーカー、なかでもオースチンなどはブリストルの生産ラインについて「汎用機ばかりで生産性が悪く、効率のよい専用の単能機を導入しなければ政府の要求する数量を納期までに製造できない」との感想を述べています。要するに「航空発動機製造なんて旧式な世界だ」と言っているのです。

 「汎用機」と聞くと万能で扱いやすい機械のように思えますが、それは工業高校に教材として置かれているような単純な旋盤やフライス盤のことです。優秀な旋盤工はこれでどんな部品でも造り出せるのですが、段取りも大変だし加工そのものにも技術が必要で、それが俗に「職人芸」と呼ばれる熟練工の技能です。これに対して単能機はある部品の切削加工専門に機械そのものが作られているので効率が良く大量生産に向いています。

 しかし結局「シャドー」計画上の子供会社各社は専用機の導入を行っていません。その大きな理由は受注見込みに対する不安でした。たとえばこのとき「シャドー」計画の対象となった「マーキュリー」の量産用に専用機で生産ラインを整えても、航空省の発注計画1500基を消化したあと、果たして継続して発注があるかどうか、もし発注があったとしても違う型式の発動機を発注されたらどうなるか、という問題です。

 この不安があるために「シャドー」計画上の子供会社は「シャドー」計画上の親会社であるブリストルの生産ラインをそのままコピーすることになります。そのお蔭で生産性の大きな向上は望めなくなりましたが、一方で既に実績のある機械加工工程をそのまま再現できたことでブリストルからの技術的な指導を受けやすいというメリットもあり、「シャドー」計画はブリストルの「マーキュリー」に関しては順調に進展しました。

 自動車会社各社はそれでもコスト削減に注力していましたから「マーキュリー」の価格は1500基受注したうちの最初の500基こそブリストル製より高価でしたが、次の500基ではブリストル製よりも安価になり、最後の500基ではブリストル製の70%程度にまで価格を下げることに成功しています。そして航空省はさらに追加の「マーキュリー」1500基を発注することになります。

 こうしてブリストルは軍用発動機分野の「シャドー」計画で最初の成功例となりましたが、ここで大切なことは、航空発動機業界で最もコストと生産性を重視したブリストルであってもその生産ラインは汎用工作機械で構成されており、当時の有力な自動車メーカーから見れば「非効率で旧式」に見えたということです。日本の航空発動機製造が工作機械を汎用機中心から専用機へと移行し始めるのは1940年代に入ってからですが、イギリスでも状況は似たようなものだったのです。

3月 18, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 発動機

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