職人の領分

日本の航空発動機についてその製造工程などを形容して「職人芸」という言葉がよく使われます。私などは昨今の懐古趣味的風潮から「これは誉め言葉なのだろう」とばかり思っていましたが、どうも批判的に使われているようです。ふだん「人道」とか「人命」といった言葉を好んで用いる向きもなぜかこういった分野では機械的で味気ない人間疎外の象徴のような流れ作業の産物をありがたがるようで、世の中の不思議のひとつと言えます。

さて、日本のなんという会社の何型の航空発動機がどんな工程で「職人芸」なのか、と訊いても「職人芸」派の方々は「誰それがそう回想していた」「誰先生がそういった」程度の答しか返って来ません。これもまた困ったものなのですけれども、私としても「職人芸」は誉め言葉だと思って、そんな方々が喜ぶようにと二十世紀前半における航空エンジンの最高傑作として知られる「マーリン」の生産を開始したロールスロイスの発動機工場の様子などを、何とも間抜けなことに調べていたのです。喜んで貰えると思って・・・。

1936年、「マーリン」の製造を開始しつつあったロールスロイス工場の機械加工部門にある工作機械の殆どは導入以来20年以上使い続けられた歴史的な遺物でした。この貴重な機械に対して機械加工を行う旋盤工、フライス工がいるのですが、彼らマシニストも大変な職人芸の世界に生きていますけれども、ロールスロイスには彼らのような職人よりもさらに職人な手作業で加工を行う人々が機械加工に携わる人員とほぼ同数、働いていました。

この頃であっても自動車産業の一部などは機械加工を行う人員と手作業を行う人員との比率は8対1程度でしたから、世界最高のエンジン工場はまさに職人による名人芸大会だったに違いありません。職人芸のお好きな人にはたまらない世界でしょう。

このように航空発動機工場が職人芸の独壇場であった理由は、戦間期の航空発動機生産がどれくらいの規模で推移していたかを見れば納得できることでしょう。航空発動機市場は製品を職人芸で手作り供給する以外無いほどの規模だったのです。

中島飛行機の製造現場が親方衆による請負制だったとか、特別に優れた作業者を選抜して彼らに組立させたある発動機は抜群に調子が良かったとか、それだけ聞けば何か、とんでもないことのように思える逸話があります。けれども1930年代を通じて航空発動機の製造とは小規模かつ手作業の割合の大きいものであったということで、基本的に「航空発動機とは職人芸で手作りするものだった」ということを私のような「職人芸」ファンならずとも忘れずにいて欲しいものでございます。

職人芸で造りつづけていた職人芸的製品をたった2、3年で大量生産できる環境を整えるという無茶苦茶な要求に世界中の発動機工場が右往左往した時代が1930年代末期であって、そうして用意された製造ラインの出来不出来は一言で言えば程度の問題で、「あきれたことに職人芸に頼っていた」といった論評は当時の世界がどうだったかを調べる気持ちすら無いのだという極めて勇気ある宣言にほかなりません。

私のような何でも好きな素直な人間は「職人芸」も好きなのですが、この「右往左往」もまた大好きなので、どう右往左往したかが面白くて仕方がないのです。

3月 16, 2008 · BUN · 7 Comments
Posted in: 発動機

7 Responses

  1. バンガード - 3月 16, 2008

    うわあ・・・、戦間機の航空発動機が「数が出ないもの」とは・・・。

    そう考えると太平洋戦争時の三菱発動機部門って量産技術では当時の日本では最先端に近いところにいたんですね・・・。
    ・・・中島の発動機生産状況どうだったんだろうか、調べてみたくなりました。

    突然のコメント、失礼いたしました。

    そして、以前メールでの質問返答、ありがとうございました。

  2. bun - 3月 16, 2008

    御来訪ありがとうございます。
    しかし、こんな話ばかりで、読まれる方々は果たして面白いんでしょうか。

  3. でぐちゃれふ - 3月 17, 2008

    はじめまして。
    時折WarBirdsに出入りしているでぐちゃれふというものです。

    「読まれる方々は果たして面白いんでしょうか」
    はい、とても面白いです。
    書籍に纏められたなら飯を抜いても確実に買います。
    次回の更新も楽しみに待ってます。

    コメント失礼しました。

  4. bun - 3月 17, 2008

    でぐちゃれふ様

    「ど」のつくコーナーではいつも軽妙洒脱な書き込みを楽しませて頂いております。
    ここはマイペースで好きな事を好きな時に書きながら進めて行きたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。

  5. 早房一平 - 3月 17, 2008

    職人芸とか大規模量産って戦間期からの「自転車部品」工業そっくりですね。

    堺の町工場発祥の「シマノ」さんや「マエダ」さんの話かと思いました。

  6. bun - 3月 17, 2008

    早房さん

    こんにちは。
    この時代は大量生産の経験とノウハウについてほとんどフォードだけが独走していますから、確かにそんな感じですね。

  7. バンガード - 3月 17, 2008

    <御来訪・・・
    いえ、つたない文面で申し訳ありません。

    <面白い・・・
    でぐちゃれふ様と同様に、私も面白いと思いますし更新を楽しみにしてます。
    同時に、「自分で調べてこそ楽しいんだろうな」とも思います。

    コメント失礼しました。

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