エアコブラの何処が気に入ったのか
1942年夏、ドイツ軍の夏季攻勢に押される南部戦線で「一歩も下がるな!」との無茶苦茶なスターリン命令第227号を受けて苦戦するYaK-1装備の第216戦闘機師団はソ連空軍で初めてP-39を受領することになります。8月末から第16戦闘機連隊、第45戦闘機連隊が後方に下げられ新機材への転換訓練を受けるのですが、このときに今まで装備していたYaK -1と比較しながら色々な感想が述べられています。
まず始めに「前がよく見える」というもの。P-39はエンジンを操縦席後方に積んでいますから操縦席が一般的戦闘機より少し、というかMiG-3などに比べれば遙かに前にあり、エンジンの無い機首は絞り込まれていて飛行中の視界は第二次大戦中の戦闘機としては最良の部類です。そして三車輪式ですから「タキシング中も前方が見えて安心」なのです。
そして三車輪式のメリットは他にもあり、着陸時に2輪を接地させれば自然に機首が下がり、「着陸が安全で簡単」で、しかも足とられにくく、グラウンドループの恐れもなく、逆立ちしないP-39は「泥の滑走路に適する」としています。「P-40は三点着陸をしなればならなかった」とも言っていますので、ソ連ではP-40を零戦と同じように三点着陸させていたようです。着陸が楽、これは評判の良い戦闘機の条件です。
P-39の自動車のようなドアは物珍しく、豪華な印象を与えたようです。「エンジン操作ロッドが邪魔なのでパイロットから見て右側から出入りする」といっています。二式水上戦闘機の量産機以外で右舷から乗り降りする戦闘機はエアコブラだけですね。
脱出時はサイドウインドウを下げて出るか、ドアを外して出るのですが、その後に実戦経験を重ねるとP-39からの脱出が難しいことが判明します。「右スピン時には特に困難」だとされています。
防弾装備についてはエンジン、酸素ボンベが装甲で守られているだけでなくエンジンそのものが操縦者を守る装甲として機能するので操縦席背面の装甲や、ソ連では珍しかった防弾ガラスなどもう加わって防弾装備の充実はかなり頼もしかったようです。加えてP-39の機首には減速器があり、それも装甲で守られています。風防前面の防弾ガラスと減速器の装甲によって前方からの射撃からも操縦者が守られるのですから、この戦闘機の評判が良い訳です。
そして当時のソ連戦闘機にはまだ標準装備となっていない無線装備が充実しており、無線電話が全機、いつでも通話可能で、方位測定器まで装備しています。地上の支援システムも機体と同時に入っていたのかもしれませんが、方位測定の訓練も含めて「無線装備の訓練は口で言う程簡単じゃなかった」ようです。
また主翼内の機銃に排気を回すことで機銃凍結を防ぐようになっていたことも有難かったようです。
細かな点で面白いのは風防ガラスを留めるネジが風防枠の内側に沢山飛び出ていて、それはゴムのキャップで覆われているけれども、じきに劣化して外れてしまって、しかも予備が無いので、スピンに入って頭を風防枠に打ち付けると「痛い」のだというもの。確かに痛そうです。
当然、飛行性能も抜群で、Bf109Fよりも速度と旋回性能と上昇力と降下速度に優れていたといいますが、それはひとまず置くとして、P-39の評判の良さの下地には防弾や無線の装備が充実していたこと、武装が強力だったこと、そして何より着陸が安全で簡単だったことが大きいように思えます。
P-39は単なる珍機としてではなく、ソ連戦闘機を眺めるときの一つの基準となる存在かもしれません。またしばらくしたら続けますのでお見捨て無く。
3月 8, 2008
· BUN · 3 Comments
Posted in: ソ連空軍
3 Responses
ささき - 3月 10, 2008
>右スピン時の脱出困難
プロペラ後流の関係上、左ドアから脱出するのは困難だったようです。
戦後のエアレーサー「コブラI」はプロペラ後流圧で押し込まれた側面窓が外れてパイロットを気絶させ墜落する惨事を起こし、姉妹機「コブラII」は左側窓を嵌め殺しに改造、のちに「コブラIII」として再生したときは左ドアを完全に塗り込めてしまっています。
bun - 3月 11, 2008
知れば知るほどに奥の深いエアコブラ話。
しかしここの使い方、まだよくわかりません。
FlightGear » Blog Archive » P-39 Airacobra M4_cannon - 5月 8, 2019
[…] この飛行機が何故かソ連軍ではもてはやされたのが良く判りました、「いろいろくどい話」 :さんによるとなる程ですな。 […]
Leave a Reply