ソ連空軍内の「戦闘機無用論」
単発複葉の戦闘機よりも双発単葉の爆撃機の方が高速で防御火力も強力、しかも航空戦では「どの方向からも侵入できる」「どんな高度からも侵入できる」攻撃側の爆撃機の方が優位に立つという理屈が戦闘機無用論の本質です。これはドーウェ主義の影響下で日本だけでなく世界中で流行した考え方で、当然のことながらソ連空軍にも影響を及ぼしています。
ソ連空軍が初めて近代的な航空戦にまとまった兵力を投入したのはスペイン内戦です。1936年に開始されたスペイン共和派への軍事援助の一環として現地に乗り込んだソ連空軍顧問団もこの思想を色濃く持っていました。
すなわち航空戦は爆撃機の活動が最優先で戦闘機隊は補助的な立場でそれを支援するというドクトリンを採用していたのですが、幸か不幸かあっと言う間にドクトリンの転換を迫られます。
軍事援助開始後さほど間もない1936年11月のフランコ派によるマドリード空襲を共和派空軍が撃破したことで、友軍爆撃機部隊の損害を経験せずにドクトリン転換の必要性が認識されたのです。
実際にマドリード空襲に参加した爆撃機は性能的に問題がある機体揃いだったのですが、その結果得られた鮮やかな勝利が新ドクトリンへの転換を促したという稀有な例かもしれません。1936年12月29日の「プラウダ」は「マドリードの経験によって爆撃機の優れた速度と火力による戦闘機無用論は打ち破られた。」と報じています。
スペイン内戦初期の航空戦で、フランコ派空軍にはそこそこ手強いフィアットCR32と練習機に毛の生えたようなハインケルHe51を主体とした戦闘機隊がありましたが、ソ連からの援助によって導入されたI-15、I-16はそれらを性能的に圧倒できたことも「戦闘機無用論」からの転換を促した大きな要因でもあります。独空軍が出来立てのBf109Bをとりあえず投入したのも実用実験的意味合いよりも、前線の士気回復効果を狙ったのではないかとも思えて来ます。
さらにフランコ派の進撃を爆撃機隊の地上攻撃によって停滞させることができたこともソ連側から見れば「地上支援の重要さ」を証明する経験で、ソ連空軍に観念的なドーウェ主義からの転換を促した上に地上支援優先主義にまで大きく踏み込ませてしまう原因の一つがスペインでの経験だったということです。
このような形で航空戦が推移すれば共和派はフランコ派を圧倒できたかもしれませんが、この戦争は第二次大戦の前哨戦というよりもむしろ限定戦争ですからフランコ派の海上封鎖によって共和派への軍事援助が断たれ、ソ連軍事顧問団の撤収という形でソ連空軍の内戦への関与は終了します。
スペイン内戦でソ連空軍が得た教訓を大雑把にまとめるとこの三つではないかと思います。
・戦闘機無用論は間違い。爆撃機は戦闘機に弱い。
・地上攻撃は陸戦への支援手段として極めて有用。
・戦闘機は高速であることが一番重要。
漫談のような評論ではスペイン内戦の経験で、独伊の複葉戦闘機と戦ったソ連はI-153などの複葉戦闘機の新規開発を行い、単葉高速のI-16と戦った独空軍は高速戦闘機志向を強め、お互いに敵の機材を模倣し合ったという分かりやすい話もありますが何の根拠もありません。実戦で敵と戦った空軍が得た戦闘機の開発方針はどこの国でも「速度一番、旋回二番、三四が無くて五に地上攻撃」であります。
3月 7, 2008
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Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
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