クルスク

 スターリングラード戦で輸送妨害に失敗して大いに反省したソ連空軍は、1943年前半の戦いで対地攻撃にその反省を生かし、地上との連携をかなり充実させます。友軍が突破に成功した場合、行動半径の小さいソ連軍機はその前進に取り残されてしまうという問題も、1942~1943年の冬に勉強します。それまでは友軍が機動突破作戦に成功して長距離を快進撃するなんて、実は本気で考えていなかった証拠みたいなものですが、とにかく勝つためのノウハウはどんどん蓄積されて行きます。

 御存知の通りハリコフ攻防戦を経て、1943年春には両軍ともに次の大戦闘はクルスク突出部と決めて準備を進めます。クルスク戦のことなんて知り尽くされているからわざわざ書いても仕方がありませんが、とりあえず、ここだけは注目したい点があります。

 それは両軍の航空基地配置です。
 ドイツ空軍は前線から18km~30kmの距離と前線から5km~6kmの距離に基地群を設けています。これは近接支援の密度を上げるためで、必要な時に最小限の時間で航空支援が得られるよう、まるで塹壕の後ろの林の陰から飛び立つような配置を行っているのです。

 こうした配置が必要とされたのは東部戦線の戦闘機と言わず、襲撃機と言わず、とにかく各種軍用機は一旦、作戦が開始されると一日に何度も出撃を繰り返したからです。ルーデルの話を聞くと「凄いもんだなぁ」とため息が出ますが、ルーデルの連続出撃も東部戦線では当たり前のことで、一日に3回出撃している部隊などが「効率が悪い」「稼働率が低すぎる」と批判されたりする世界です。
 太平洋戦争の長距離航空戦とはここが大きく違います。

 一方、ソ連空軍はドイツ空軍と同じように、むしろそれ以上に地上支援を重視していますが、クルスク地区でのソ連航空基地は前線から概ね50km以上後方に配置されています。

 そのために兵力で優るソ連空軍ではあってもドイツ空軍ほど効率よく飛行機を送り出せません。往復に時間がかかるからです。前線から「50kmも」離れているからですね。
 事実この差は両軍が繰り出したソーティ数に反映されています。

 そんな配置がなぜ行われたのかと言えば、一つにはドイツ空軍の航空撃滅戦に対抗するために距離を稼いだことが挙げられると思いますが、ソ連軍にはクルスク突出部の大半を一時的に敵にくれてやる腹があったのではないかと思います。

 空軍が即時の進撃に対応する体勢になく、しかも効率の悪さを忍んで後方に下がっているのはその程度の覚悟があったからなのでしょう。

3月 7, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景

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