無視できなかったアイデア
イリューシンIl-2といえば、ソ連空軍の代表的な地上攻撃機で「世界の名機」のひとつです。ソ連空軍機でそんなタイトルを与えられる機体はこれだけかもしれません。
このIl-2のバリエーションに「戦闘機型」があることはあまり知られていないと思います。高速の邀撃戦闘機の生産を中止し、そのエンジン生産ラインをIl-2用に転用してまで増産している最重要機種なのになぜ今さら戦闘機型が試作されたのかといえば、そこにはソ連の事情というものがあるのです。
1942年初頭に始まったデミヤンスクへの空輸作戦を妨害するために当時、この方面の空軍司令官だったノビコフは様々な策を考え出します。この人はパイロット経験が無く、理屈で空軍の勉強を究めた将校なのですが、分析力に優れていてしかも実行力のある人物だったようです。
すなわち、今、敵が何を重点にしているかを嗅ぎ分ける力があり、それに対抗する施策を立案、実行できたということで、ドイツ空軍はその全力でデミヤンスクへの空輸作戦を実施しようとしていると正確に判断します。会社でこんな人物には滅多に会えません。
そしてこの空輸に参加する輸送機軍団を壊滅させることは戦局を左右すると確信して、全戦力を輸送機撃墜に投入したのです。けれど自らの指揮下にある戦闘機部隊は限られていましたから、その代用としてIl-2の地上攻撃任務を解除して輸送機攻撃に転用したのです。
結局デミヤンスク空輸は最後まで貫徹され、ドイツ空軍の空輸作戦成功例として記録されますが、ノビコフの対抗策により輸送機撃墜2百数十機という当時のソ連空軍としては十分に合格どころか、最優秀とも言える戦果を挙げています。
この功績を引っ下げて4月に空軍総司令官に任命されるのですが、そこでも組織改革に成功、さらにスターリングラード戦での航空戦、中でも孤立した第6軍への空輸作戦阻止を「最重要任務」に位置付けて、スターリングラードに集中した輸送機、爆撃機部隊に壊滅的打撃を与えることでドイツ空軍の人的資源とその育成手段を破壊することに成功します。
奇策と改革の人で、どこからともなく勝利を取り出してみせる手品師のように思われ(実際にそのように呼ばれていた)、しかも上から下まで強く支持されていたノビコフはこんな経験を積んで来た総司令官ですから、Il-2を重点機種とするスターリンの決定があったとしても、簡単にその「アイデア」を無視することができず、誰も文句を言えないまま、Il-2から後席を外し、装甲を撤去して軽量化した「戦闘機型」の試作が開始されてしまいます。
しかしでき上がってみればただの低速な駆逐機ですから輸送機は喰えても敵戦闘機にとってはIl-2そのまま、あるいは防御を減じただけ脆弱な機体であることが再確認され、Il-2「戦闘機型」計画は中止されます。すでに1943年後半、クルスク後の話です。包囲陣はこれからも生まれるでしょうが、そこへ空輸にあたるドイツ空軍の大輸送部隊はもういません。
この飛行機はそうした点で「特別」だったのです。
ちょっとだけ身に染みます。
3月 7, 2008
· BUN · One Comment
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
One Response
P-47大好き男 - 5月 7, 2011
Il-2I(Ил-2И)の事でしょうか?
某コンバット・フライトシムに登場したので、名前だけは存じております。ゲーム付録の「飛行機名鑑」によればこの制式名称があたえられたのは1943年になってから・・・計画中止の間際のようですが。
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