戦略爆撃部隊はどうなっていたか

 開戦時のソ連空軍には戦略爆撃を任務とする長距離爆撃機部隊があります。

 戦略目標に対する長距離爆撃を任務とする長距離爆撃集団(DBA)として野戦軍の指揮を受ける立場にあった一般の航空部隊とは異なりスタフカ直轄の航空兵力となっています。

 けれども開戦以来、戦略目標はおろか作戦目標に対する重点的爆撃任務には殆ど投入されることなく、一般の航空部隊と同じく地上軍の支援任務に投入されてバルバロッサ作戦初期の大損害の中でその組織は解体し、1942年初頭には消耗しきった航空師団群としてのみ残存している状態です。

 そんな状態の長距離爆撃機部隊を再建するべく、1942年3月、それらの長距離爆撃師団群を統合して長距離航空集団(ADD)が編成されます。ソ連といわず何処の国の航空戦理論に照らしてもこうした部隊は地上軍の作戦から独立した戦略空軍として活動するもので、ソ連空軍においても理論上は独立部隊なのですが、1942年前半になっても続く苦しい航空戦に投入され、結局、地上部隊の支援任務についてしまいます。

 1942年前半はソ連空軍の再建、戦力蓄積期にあたり、その活動が最も低調になった時期でこの時期は損害の絶対数も一時的に減少しています。活動していないのですから当然のことですが、その分、戦力が乏しくなった前線の航空部隊は窮地に立たされることになり、火消し役として戦略爆撃部隊が投入されてしまうのです。

 こうして理論上、組織上の独立を果たしていた戦略爆撃部隊は実質的に地上支援部隊として戦争末期まで使われ続けてしまい、ようやく1944年12月にもなってから第18長距離航空軍として再結集され、戦略予備となります。

 せっかくの戦略空軍がこうした情けない歴史をたどってしまった理由の一つにはソ連軍爆撃機部隊を戦略目標に対する長距離爆撃に向けようとしても、それを護衛する長距離戦闘機が存在しなかったことが挙げられますが、それよりも何よりも、ソ連空軍は独立空軍としての航空戦理論の実践よりも空地一体の機動突破作戦の理論を優先していたので、人も物も金も膨大に必要とする、戦争に直接勝つための縦深突破作戦の準備とその実現が急務だったことを押さえておかないと「ソ連空軍の後進性」といった誤解が生まれかねません。

 決勝理論に投資して戦略爆撃を後回しにしたのは、ドイツ空軍もソ連空軍も同じことで、両軍ともそれぞれの経験から「これが本当の航空戦だ」と思って戦ったロシア戦線の航空戦は、1930年代空軍の理想だった戦略爆撃よりもはるかに切実で戦局に直接影響する空地一体の縦深突破作戦を実現するために何度も何度も全財産を投入しなければならない、極めて厳しく厄介なものだったということです。
 
 副次的な任務のように思われていた地上軍支援の成否が実は戦争の帰趨を決する最重要任務であり、しかもその対価が莫大なものであることに両軍とも戦いながら気がついたのです。

3月 7, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景

Leave a Reply