損害を出してはいけない
気味悪いほどの損害についてばかり書いてしまいましたので、バルバロッサ初期にソ連空軍が実施した戦術の話で口直しとしたく思います。
最近ようやく「空軍の独立」=「航空撃滅戦の実施」だと悟りました。戦略空軍などというものは床の間の置物みたいなもので、その空軍の格を表す指標に過ぎません。ルフトバッフェもイラクの米空軍も支那事変の日本海軍も航空撃滅戦を実施しているから「独立空軍」なのです。独立空軍というものについての理解はこんなもんで良いのです。
航空戦理論で航空撃滅戦とはこれほど重要で、敵空軍と直接殴りあう本当の航空戦なのですが、それでは1941年のソ連空軍はどうだったかと言えば、バルバロッサ作戦が開始された6月22日、当然のようにドイツ軍航空基地の爆撃が命じられます。しかしこの爆撃は大失敗に終わります。護衛の戦闘機隊との連携がうまく行かず、爆撃隊はドイツ戦闘機よって壊滅してしまいます。この大損害によってドイツ軍航空基地への爆撃作戦は控えられてしまい、ドイツ軍航空基地への爆撃は9月30日までソ連空軍が実施した約50000ソーティのうちわずか4%、1987ソーティのみです。この50000ソーティのうち37%は戦場上空での制空戦闘ですから1941年夏の航空戦の性格が想像できます。
1941年6月末、ソ連空軍は主作戦をそれまでのドイツ軍航空基地攻撃と地上軍支援から地上軍支援最優先に変更し、航空基地攻撃を主作戦から外してしまいます。非常に思い切った転換ですが、陸戦が大敗しているので背に腹は代えられません。
さらにドイツ軍航空基地への攻撃が控えられたもう一つの理由として、ソ連軍航空基地の防御が強化され損害が激減したことから基地攻撃の重要度が低く見積もられた可能性があります。対空火器の充実と警戒態勢の強化、分散と擬装の励行によって地上撃破されたソ連軍機は6月に1570機、7月に99機、8月には33機と見事に減少しています。錬度の高いドイツ空軍の基地攻撃がほぼ無効化されているのです。
ドイツ軍航空基地への大規模爆撃作戦が再び実施されるのは10月に入ってモスクワを目指す攻勢が察知されてからになります。ソ連軍はこの攻勢が1000機から1500機の航空支援を伴うと予測し、それを挫折させるために再び航空撃滅戦を企画します。10月11日から18日にかけて実施された航空基地攻撃がそれです。ソ連空軍はこの攻撃で500機を地上撃破したと発表しますが、実態は殆ど損害を与えられず、続いて11月5日から7日にかけての航空基地攻撃では200機を地上撃破したことになっていますが、この攻撃も無効なものでした。
大出血を省みない攻勢主義の印象があるソ連空軍ですし、事実、1941年末までの損害は累計20000機以上に上り、まさに史上空前の損害を蒙りながら戦い続ける血まみれの空軍なのですが、1941年6月末以降、ソ連空軍の作戦指導には常に変わらぬ方針がありました。
それは、
「あまり損害を出してはいけない」です。
3月 7, 2008
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Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景
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