ソ連空軍の腹の据わり方

 ソ連空軍にとって悪夢のような6月22日の戦いの翌日も航空戦は続きます。
 それまでと異なるのは航空基地がドイツ空軍の攻撃を十分に警戒するようになったために地上撃破される機体が激減したことです。空に上がる前に撃破するという作戦が成功したのはバルバロッサの初日だけのことなのです。ソ連空軍は総数の20%を第一日目で失っていますが、残る80%の航空部隊は猛然と反撃に出ます。しかしソ連空軍の攻撃は主に崩壊しつつある野戦軍の支援に向けられ、敵基地に対する航空撃滅戦は実施されません。野戦軍の要求を最優先にしなければならないソ連空軍にとって、もしそれがその時点で非常に有効な作戦であったとしても航空撃滅戦に転ずることは不可能でした。

 第二日目からの航空戦は主に突破を試みるドイツ地上軍と崩壊しつつあるソ連軍防衛線の上空で戦われています。突破軍の先端はセオリー通り、手あつい航空支援を伴いますからそこでは独ソ空軍が激しく衝突することになります。ドイツ空軍もかなりの損害を蒙りますが、機材と錬度に劣るソ連空軍にとって敵制空部隊との正面対決はかなり分の悪い戦いです。かといって背に腹を代えられない戦場に惜しげもなく兵力を投入した結果、ソ連空軍は空前の損害を蒙ります。

 6月23日から7月1日までの間に707機が失われ、バルバロッサ1ヵ月目の7月22日までに更に3052機を損失、2ヶ月目までに1344機、4ヶ月目の10月22日までの累積損失機数は7746機に上ります。開戦から1ヵ月の間にソ連空軍が激しく抵抗したことが損失機数からも想像できますが、ドイツ空軍も開戦からの1ヵ月間に最大の損害を記録しています。

 すなわちソ連空軍が西部戦線に展開させた航空兵力は開戦から4ヶ月でほぼ100%失われてしまったということで、ドイツ空軍はソ連空軍との対決で航空戦史上最大の勝利を収めたことになります。4ヶ月で7746機、しかもこの数字はソ連の公式発表ですからその実態は更に深刻である可能性もあり、11月までに10000機前後が失われたのではないかとさえ言われています。

 敗北した方がこの数字を挙げているのですから、勝利したドイツ空軍としては更に大きな数字を実感していたでしょうし、短期間で8000機を撃破するという空前の大勝利は戦争の常識としてソ連空軍の壊滅を意味していました。一つの空軍がこれ以上の戦果を挙げることなどあり得ない程の大勝利です。ドイツ空軍にとっての航空撃滅戦は終了したのです。

 しかしソ連空軍の判断は異なります。4ヶ月で100%の損失率、通年で300%の損失率は、数年前に戦われたスペイン内戦での航空戦を基礎に試算された本格的戦争における空軍の損失率として既に想定されていたものだったのです。
1941年12月、ソ連空軍はそれまでの航空戦で発生した損害を分析し、こう結論しています。

「我が空軍はこの程度の損害を耐えることができる」と。

3月 7, 2008 · BUN · One Comment
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景

One Response

  1. 迷い人 - 12月 27, 2012

    初めて訪問させていただきました。
    分かりやすい記事・幅広い範囲に渡る緻密な話。
    大変面白く読ませて頂きました。

    それにしても、開戦当初、南方作戦に投入された陸軍航空兵力の10数倍の損失を出しながら、ソ連空軍は「耐えられる」と判断したのは驚きです。

    それだけのパイロット養成と大量生産が出来たからこそ、独ソ戦で勝利できたのでしょうね。

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