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マリ見て第四話を見る

 マリ見ては主人公のあこがれの先輩の名字が自分と同じと言うこともあって、一話から見ていたのだけれど、この前第四話を見た時点で、なんだか気持ち悪くなってきた。これってやっぱ、レズアニメなんかなあ?

「マリ見ては断じてレズではなーい!」

 はっ!

「繊細で甘美で残酷で破壊的な、そういわゆる精神的なラヴであって、決して肉欲の次元にとらわれたものではなーい!」

「本物の女子高生は、ごきげんようとかお姉様とか言わないの。そんなことは指摘されなくても分かってんのっ! あんたたちだってね、公園のベンチに腰掛ける素敵な兄貴が、おもむろにツナギのジッパー下ろして、やらないか? とか、そんな妄想に溺れてるんだから、五十歩百歩じゃない!」

 ……な、何だったんだ今のは、幻聴か?

 それはともかくだ、女子があれを見て喜ぶというのは、まあ男の自分にはわかんないって言うか、まあいいかという感じなんだけど、問題は男子諸君だ。あげなモン見て萌えてちゃイカンて。海馬が腐るぞ海馬が。

そしてキングアワーズは

 超人ロック復活?!(´Д`;;) ってゆーか出戻り?
 しかも、舞台はほんの数十年ほど先の近未来か…… とうとう年表作るの億劫になってきたんじゃないのかあの先生。んで、ライバルは気功を操る中華美少女?!(´Д`;;;)
 えーはい、読みましたよ読みましたとも。じっくりと全部読みましたとも。もういいんだよ、病気なんだよ、一生直らないんだ。一生超人ロック読んでるよ。

藤子不二雄(A)ブラックユーモア短篇集

 というのが、コンビニで売っていたので買ってみた。300円也。
 収録作品の初出はそろって70年初頭。感想としては、ダークなネタを書きたくて書きたくて、いてもたってもいられないと言う感じ。弓月光や柴田雅弘が長年押さえ込んだエロリビドーを放出したら、みんなあげちゃうやクラダルマになったように、ダークリビドーをため込んでいた(A)がそれを放出するごくごく初期の作品と見るべきか。その姿は少年@思春期真っ盛りの悶々としたそれにも似ている。
 と、読んだ直後は思ったが、なんか違うような気がしてきた。

 まずこの70年代という時期だが、この当時はガロを筆頭にマンガが相当無茶なことをやっていた時代で、それら黄金期の作品と比較した場合、この作品集に収録された作品群には本気が感じられないのだ。何か、先達の生産した狂った作品群の上っ面をなでただけのような印象を受ける。
 とかくがむしゃらに、ダークになりたがっているというのは伝わるのだが、それが何か、別にやりたくもないのに無理してやっているような印象を受けるのだ。

 世間一般では、

(F)=ドラえもんに代表される、生涯ジュベナイルを描き続けた人。
(A)=黒いせえるすまんに代表される、統一藤子不二雄のダークサイド。

 という評価だが、これが実は全然逆だというのもよく聞く話。なんせ(F)は、「児童向け漫画家型手塚治虫」の正当な後継者である反面、世界で一番スケベな漫画家として長く君臨し続けた人物だ。そのエロリビドーのすさまじさについては説明不要だろう(わからん人はエスパー魔美を読め) はっきり言って、上に書いた弓月、柴田の元少女漫画家らなどとは、格が違う。
 そんな(F)がよくもまあ、死ぬまでジュベナイルを描き続けたものだよなあ。なにをして彼をそうも自制させたか? 手塚治虫に対して立てた操がそうさせたのか?

 話がそれたので本筋に戻るが、結局何が言いたいのかというと、「藤子不二雄(A)は、元々ダークな作風にはさほど興味なかったんじゃないのう」とか言ってみるテストなのである。
 尊敬する手塚先生の跡目を継ぐジュベナイルの才能では、明らかに自分を上回る相棒。にもかかわらず、つるぺったんに熱を上げるこのボンクラとの差別化をはかるための新分野開拓がダーク路線だったのではないかと。
 でも、そのダーク路線でも(F)は易々と(A)を上回ってる気配があるよなあ。まあ、あらゆる才能で(F)が(A)を凌駕していたという説は真実だと思う。

 なーんて、大して詳しくもないのに、マニアぶって語ってみましたがいかがでしたでしょうか?

湾岸ミッドナイト新章突入

 キシマ編が「いざとなったら踏めませんでした」というまたそれか、なパターンで終わって、湾岸ミッドナイトは今週から新章に突入。
 今度の主人公はインテグラタイプR乗り。で、またしてもセックスに全然興味のない淡泊な若者。

 新章が始まるまでの間にスポット連載されたシャコタンブギを読んでつくづく思ったのは、楠みちはるにとって男とは、ナオンとヤりまくってナンボというものの見方。
 しかし、湾岸ミッドナイトに登場する若い衆はそれらとは対消滅する性欲ゼロの連中ばかり。
 なにをして、ここまで淡泊な若者を描きたがるのか? 不思議でしようがない。

ギレンの野望PS2版

 ギレンの野望 ジオン一年戦争記をやる。

 なにはともあれ連邦で進める。自分は08MS小隊が大好きなので、ライアー大佐の第9軍をガンガン使ってプレイ。でもヒストリカルに進めていったらやっぱりシローが行方不明になっちまった(;´д⊂) せめて、シローの忘れ形見Ez8が北米攻略戦で大活躍したことに溜飲を下げるしか。

 しかも、その直後、議会の和平派が過半数を上回って、ソロモン攻略を目の前にして講話する羽目に(;´д⊂)
 くやしながらも、まー判定勝利でクリアはしたことだし、キャラクター図鑑でも見てみようか。

 …………はっ! き、きみらは!
 ユーリ少将の麾下で、マゼラアタックに乗り込み果敢に戦った連中じゃないか!(やっぱり08MS小隊)

「私にコイツ(マゼラアタック)をお貸しください」
「このボロを? 支援は約束できんぞ」
「自分も志願します」
「自分も志願します」

(;´д⊂)

「おう、逃げるなら任せとけ」
「オデッサからこっち、ずっとですからね」

(;´д⊂)

 ぅぅ、ジオン編なんかどうでもいいやと思ってたけど、やろうかな?

MGザクF2を作る

 再入荷されていたので買ってきましたザクF2。

 このF2型というのは、0083に出てきたF型の後期生産型という設定の代物。カトキは一年戦争のMSだけは敬意を払ったデザインをする。これが人気の一因だったりする。0080なんかひどかったからなあ。

 で、組んでみたんだけど……

 パーツ二個なくしちゃったよ(;´д⊂) ウワァァァン
 なんというか、米粒みたいなパーツが多くてねえ。あと、パイプ。あのジャバラの一つ一つが一個のパーツというのにはうんざり。なんか細かいリングの形したパーツがいっぱいあると思いきや、まさかパイプとは…… とかくこのパイプはどうにかして欲しいなあ。MGなんか作ってるヤツは根性なししかいないということを、ちゃんと考えて欲しい。
 出来は確かにいいとは思うけど、やはりEz8に比べるといまいちか?
 というか、左肩のアーマーが、前後組み合わせのありふれたパーツだったのにちょっとがっかり。一体成形にトゲをつけるのかと期待していたのだけれど。
 ま、でも、ものすごくよくできたザクなのは確かなわけで遊ぶのは楽しいです。買いだよねこれは。

ダンジョンシージ続き

 でまあ、ぼちぼちやってます。
 ほんで、第二章までいったのですが、その章の始まりの時にナレーションが入って、

「そのとき、全く無名だったこの若者が王国を救うことになるとは、一体誰が予想しただろうか?」

 う~む……

 まあ、日本ではマリーのアトリエがそのオープニングで「世界を救うのはもう飽きた」といってから五年の歳月を経ているわけですが、アメリカではまだまだアリなのでしょうかね?
 もしくは、アメリカではすでに流行が二回転半していて、今こういう世界救世主伝説ノリがめっちゃくちゃナウいとか?
 謎はつきません。

ダンジョンシージを始める

 半ばMS的宣伝臭をただよわせつつ、さんざ世間で騒がれているダンジョンシージをやってみた。
 自分は反MS原理主義者ではまったくなく、「MSのゲーム部門は優秀」とまともな評価を与えている人間なので、上記表現に皮肉の要素は一切ない。

 が、はじめて一分で驚愕することになる。

 とある村で野良仕事に精を出す若者の元に、じいさんが息も絶え絶えでやってきて、
「この世界はおまえの勇気を必要としてるんぢゃあ。おまえはこの世界を救うんぢゃあ」
と言うだけ言ってこときれる。まったくなんの説明もなしに。

 こ、これはすごい。いまさらナニソレってかんじの超ステロタイプ世界救世主伝説のノリだ。今日びのゲームが、こんなつかみでいいのか? それともアメ公はこれで全然オッケイなのか?

 驚きのあまり即ゲームを中断して、この日記更新しちゃったよもう。

そうかわかったぞ(c)銀河帝国の興亡

 ガンパレをやっていて、どうもひっかるようなものを常に感じていた。対象は思わせぶりなSF設定なのだが、たった今謎が氷解。

 あー、このこざかしさ、月姫にそっくりなんだよ。だから好きになれないのか。あー納得いった。

 ねよう。

本田透について考える

 フルーツバスケットのヒロイン、本田透の造形にはすごみのようなものを感じる。それは、るーみっく先生の創造した音無響子にみるような、女流作家の手により生まれた女性キャラクター独特のものだ。

 正直、自分の少女漫画読みの歴史の糸をたぐっても、本田透のようなキャラクターはいそうでいない。フルーツバスケットの「純真な少女に感化され、周りの人間が変わっていく」という展開は、少女漫画の世界では手垢にまみれきった手法である。にもかかわらず、その手法を用いた物語のヒロインに、他との類似性が見いだせないのはなぜだろうか?
はっきりいってよくわかんないんである。