数年前に佐藤大輔の「征途」が文庫本になった。
征途〈上〉衰亡の国
ほんで、この中巻の解説を、なんとあの押井守監督が書いていて、その中で押井監督は、「あそこで栗田艦隊が突入していればああ」という熱く思いをぶちまけ、征途を読んでその長年の鬱屈としたものが解放された旨を、切々と書きつづっていた。それは、あの監督がここ15年で書いたテキストの中で、もっとも平易で理解しやすい内容であった。
そうか、押井監督もまた、元丸少年型のミリオタだったのだ。これで、赤い彗星、紅い眼鏡、紅の豚の、日本を代表する三大アカ監督(C)しろはたが 、揃いも揃って、戦後間もない日本の心の支え系戦記を少年時代の糧としていたことが判明してしまった。戦後間もない日本の心の支え系ってのは、アレね、つまり敗戦後どん底にあった当時の日本人を慰めるべく勃興した、「こてんぱんに負けたけど、実は日本軍すごかったんだぞ」といった内容のものを指す。疾風に米軍の燃料と整備で飛ばしたら690km出ちゃったじゃん、とか、そのあたり。
しかし、宮崎、押井は、その功績に相応しい評価を世界的にも確立しているものの、トミノ監督だけは未だに不遇だと言わざるを得ない。そもそも、この人、TVシリーズの編集以外の映画をほとんど撮ってないし、撮らせてもらったのは、逆シャアとF91のみ。両方ガンダムだ。他の二人は、好き放題好きな映画を作りまくってるというのに。
TVシリーズの監督は当然お仕事なので、それが監督本人の本来作りたいものであることなど、まずない。トミノ監督は、昔から「ロボットなんか大嫌い」と言いながら、ロボットアニメばかり作らされてきた監督だ。んじゃ、トミノ監督の作りたいものって何よ? というと、それは監督の初の小説「リーンの翼」の中に見ることができる。初めてのフリーハンドで与えられた小説ということで、これが監督がやりたいものと見ても、差し支えはなかろう。
で、それが「ゼロ戦、特攻、ファンタジー」だったのだな。
ファンタジーについては監督はダンバインをやるとき、その思いを切々と語っていた。実際当時の国内においては、ファンタジーなるジャンルは皆無であり、自分もダンバインを見ながら首をかしげた記憶がある。ダンバインは当時あまり知られなかったファンタジーというタームを持ちこんだ、当時割と画期的な作品だったのだ。そんな馴染みの薄い世界観を持ってきたおかげで、視聴率もさんざんだったようだが。D&Dが新和から発売され、コンプティークでロードス島戦記の連載が始まり、ファンタジーがブームとなるのは、ダンバイン放映より 三年ほど後のことであった。
しかし、思うに、監督はファンタジーと言うよりは貴族が描きたかったのかもしれない。毅然とし、生まれに対する責を全うする王侯貴族をトミノ監督は好んで描くから。たとえば、ダンバインのシーラ姫。F91にはコスモ貴族主義なんてのが出てきたし、そういえば近作のキングゲイナーでも、アナ姫が、アスハムに「オーバーマンに乗るほどのもののふが」と口上を切るシーンがあった。
残りの、ゼロ戦と特攻だが、これはガンダムエースのインタビューで「子供の頃夢中だったもの」という質問の中で告白している。上記した戦後間もない日本の心の支え系戦記が大好きであったと。少年時代に読んだ戦記の中の、特攻に対する思いが歪みに歪んで、その後の皆殺しへと発展したのだろうか。監督の隙あらば特攻な芸風はVガンダムで頂点を迎えるが、ターンAガンダムの「全肯定宣言」によって持ち直したかに見えた。
しかし、この前公開されたZガンダム2「恋人たち」では、新エピソードの中でまたもや特攻をやっているではないか! やっぱり特攻好きは直ってなかったのだ!
真珠湾奇襲の一ヶ月前に生を受けたトミノ監督は、もう今年で御年65になる。年齢的にももう撮れる映画の本数は物理的に限られているだろう。ならばこそだ、三大アカ監督の中でも、もっとも今の日本に多大な影響を及ぼしたトミノ監督の偉業を労ってだ、バンダイは一本くらい、トミノ監督が本当に撮りたい映画を撮らせてやってはどうか。だいたいお前ら、ガンダムだけで何億稼いできて、また今後もどれだけ稼ぐというのだ。それを考えれば映画の一本くらい、砂粒のごとき予算ではないか。
ただし、トミノ監督に好きにやらすと、押井監督以上に訳のわからないものを作る可能性がある、ここは原作をつけて適度に縛りを入れようではないか。そうだな、監督の大好きな戦記ものがよい。戦記物の映画は今追い風が吹いている。男たちの大和も興行成績よかったらしいな。
そうだ、ラバウル烈風空戦録はどうだろうか? ゼロ戦だし時々特攻もあるし、ぴったりじゃないか。ホントの話、トミノ監督のゼロ戦映画は見てみたいなあ。
と、ここでラバウル烈風空戦録のamazonリンクを貼ろうとしたら、全巻絶版でやんの、むーん。