Archive for the ‘日記’ Category

アルゼンチン海軍のF9F

 今日は私用で外出・その後来客数件の予定が入っていて仕事にならんので、昨日に引き続き例の本についてちょっとだけブツブツと。

Yanks Museumでレストア中のF9F-8P

 

 本書のF9Fパンサー系列の項では、アルゼンチン海軍で使われた同機は空母運用されていない、と書いています。これに対し、Wiki等では「インディペンデシアでは運用できなかったが、ヴェインティシンコ・デ・マヨ(長いので以下日本語訳の「5月25日」号に略)では、1972年に航空団の主力がA-4Qに代替されるまで、F9F系列が使用されたことになっています。一方Conwayの軍艦年鑑戦後編では、インディペンデシアでも運用がなされたような記載があります。

 そんな中で、私が本書で「運用していない」説を取ったのは、書きのような点を勘案した結果であります。

○割と最近に出た「Grumman F9F Panther/Cougar(Brad Elward:Specialty Press)」を含めて、F9F関連を扱った書籍の記載を見ると、アルゼンチン海軍は1969年中にF9F-2を退役させている、とされています(5月25日号で運用している、と書いている英語版Wikiでも、F9Fの項では1969年退役と書いてありますね)。また世傑を含めたこれらの資料の中には、アルゼンチン海軍のF9F系列の機体は、「インディペンデシア」及び「5月25日」号では運用されていない、とする資料も実際に存在します。

あとこのページですと

http://www.fuerzasmilitares.org/articulos/20090823%20Alas%20sobre%20el%20Mar%20(Arg).html

★5月25日号の艦隊就役は1970年8月11日
★F9Fの搭載が予定されていたけど、既に旧式化していたのでその代替機の選定が行われた

 様なことも書いてあります(私のスペイン語の読解力は、確実にオンライン翻訳より低いので、間違っている可能性は否定しません)。

 これらの点から見て、1969年8月にオランダでの修理を完了、9月に本国への廻航の途へ付いた「5月25日」号が、訓練を終了して艦隊に編入されるまでの期間において、F9F-2を運用するのは無理がある、と判断しました。

○インディペンデシアがF9Fを本格運用したことがないのは、同艦のカタパルトの能力から見て無理があるので、問題なしと見て良いでしょう。同艦の来歴に触れた「The Colossus-Class Aircraft Carriers:1944-1972(Neil McCart:FAN PUBLICATIONS)」等の資料でも、同艦がF9Fを本格運用した、という記載は見受けられませんしね。
 但し軽量状態であれば発艦出来ない訳ではなく、少数回のようではありますが、TF-9Jと共に適合試験・訓練等で発着艦を実施した例は実際にありますし、写真も残っています(因みに同艦の制動装置は豪州海軍のメルボルンと同型の物で、F9F程度の着速・重量の機体の運用には充分な能力がありました)。Conwayの記載はここらのことを指しているのだろうと思います。

○Wiki等を含めて、5月25日号はF9Fの後退翼機型であるクーガー系列を運用した、と書いている資料もあります。これについては、アルゼンチン海軍が購入したのは練習機型のTF-9Jで、機数も2機のみですから、これを空母航空団の戦闘機・攻撃機兵力の中核として運用するのには無理があると思い、書内でも特に記載はしていません。ただ同機は1971年に退役するまで、インディペンデシアや5月25日号で発着艦試験・訓練等には従事していました(これも写真が残っています)。「5月25日号で、F9F-8クーガーが運用された」というのは、これに起因する誤伝ではないかと思われます。

 なお、これにつき、「いやちがう、この両艦でのF9F運用の記録は実在する」といった情報をお持ちの方が居られましたら、御一報いただければ幸いです。

————————————

以下本日の訂正

○F-105の項における修正:

 (P67/10行目)

 (誤)「就役直後に空軍の核ドクトリン(戦術)が見直され」
     ↓
 (正)「就役直後に空軍の核ドクトリン(運用の基本原則)が見直され」

 (P69/2行目)

 (誤)「ソ連製『アイアンハンド』と呼ばれた」
    ↓ 
 (正)「『アイアンハンド」と呼ばれた」

 …まだまだあるなぁ。やっぱり正誤表一覧作って、HPで公開するかな…。

見本誌を読む

March AFB(現ARB)のミュージアムで屋外展示されているMiG-19

 某G社から「世界のジェット戦闘機FILE」なる本の見本誌が届いたので読んでみる。

 企画が出た時、一機種あたりの文字数が異様に少ないのでどうなるかと思ったが、出来上がったモノを読んでみると、一応それなりに纏まっているのでまあ良き哉、とも思う(ネタばらしすると、この本は見開き項の文字数は原稿用紙一枚、4P項はその倍以上あるが、それでも文字数書きたがりのライターとしては泣きたくなるくらい少ないのだ)。少々問題もありますが、御興味のある方は、コンビニあたりで見掛けたら手にとって御覧の上、御購入を検討していただければ幸いです。

 この本については、校正項が出た時、編集側が直した点の多くが間違っていたこと、校正項で見ることが出来た人様の書いたキャプションが色んな所で間違っていたので、かなり気合いを入れて修正したのも良い思い出(嘘)。とはいえ編集側修正の部分等含めて、見直しが足りなかったのも確かで、誤記や誤解を招く表現・日本語がややおかしい部分が残っちゃったのは大いなる反省点。予め読者の皆様には謝罪させていただく次第ですm(__)m。

誤記とか問題のある表記の例:

○第二世代機の解説で、
 「実際にはF-15、F-16世代の機体が登場する以前の超音速機は、全て第二世代機に分類されていた」とあるけど、もとの文章は
 「実際に昔はF-15/F-16世代が登場する以前の超音速戦闘機は、全て第二世代に分類していた」で、「昔はそう分類されていたこともあった」という内容でありました。

○F-14の項で、A型のエンジンを換装したB型(A+型)の説明をしたあとで、「92年にB型のFCSとエンジンを換装した本格的な性能向上型のD型が配備された」とあるけど、D型とB型(旧A+型)のエンジンは同一ですね(これも原文ではFCSの換装だけだったのだけど、修正を見落とした本職が悪いのさ)。

○Su-35の本文項では、字数もあって現在のSu-35(T-10BM)の記載しかしなかったけど、写真に使われた最初のSu-35(T-10M)の説明が無いので、キャプションの記載では関係が良く分からないよね。「軍事研究」誌に掲載されたSu-35の記事で書いたけど、T-10M(Su-27M/初代Su-35)とT-10BM(現Su-35)は完全な別物です。

 …まあ余り長くするのもこの辺で。この本については、手が空いたらまたブツブツと内容の補足みたいなことを呟くかもしれません。

学研の新戦艦本

 見本誌が届いたので読んでみる。

 …先方都合だから仕方がないが、やっぱり本文は新規書き起こしにさせて欲しかったねぇ、とだけ…。

 

嗚呼原子力潜水艦

 2010年9月号の「旧海軍の伝統が香る戦後国産タイプ(このタイトルを考えて戴いた編集部の方に、御礼申し上げます)」の中で、昭和三〇年に防衛庁が行った「潜水艦の独自整備に関する研究」の中で、「原子力潜水艦の建造が可能であるか」についての物もあったことを触れています。

 これについての防衛庁の公式見解は、「我が国で原子力潜水艦を建造すること、保有することは法的に見て問題はない」というものでした。但し当時の情勢から、「原子力潜水艦の建造は、予算や技術的問題もあって時期尚早」とされたので、当面は通常型潜水艦の整備を行う予定とされました。因みに海外では、この見解は「将来日本は原潜を造る」ものとして受け止められ、Janeとかでは結構長い間、「日本の原潜保有計画」の話が忘れた頃に飛び出てくることにもなります(昭和五〇年頃に軍事評論家の故・青木日出雄大先生曰く、「日本が原潜を持たないのと、核武装しないのは、世界の軍事情勢の七不思議の一つとして捉えられている、と言われていたこともありましたっけ…)。

 日本の原潜保有は今なお夢物語でしかありませんが、まあその昔にそんな話もあったと言うことで。

見本紙を読む&その内容に関する追記

 久しぶりの更新は、とある米戦艦の話にでもしようかと思っていたのだけど、本日地区連合会の仕事から戻ってきたら、「決定版・太平洋戦争(7)」の見本誌が来ていたので、それ絡みの話をちょっとばかり。

 このシリーズは基本的に写真・図の選定及びキャプション書きを、各稿担当のライターではなく編集さんがやるので、個人的には「サマール沖海戦のの日本艦隊の初動解説、おかしいだろう」とかブツブツと言いたいところは少々ありますが、本の出来は例によって例のごとしでまあ良き哉、と思える物でありますので、御興味のある方は本屋で立ち読みの上で、御購入を検討していただければ幸いです。

 あと私が担当した部分で、スペースの都合か説明が省かれたところがあったので、ちょっとそれに関する話を。P116に「太平洋戦争における米潜水艦の実動数の推移」という表がありますが、あれは実際には「太平洋戦争時における米太平洋艦隊(アジア艦隊含む)所属潜水艦の月別哨戒実施艦数」表で、太平洋艦隊の訓練艦や保管状態の艦(戦争末期のP/S/T級とか)、整備休養及び改装中の艦は入っていませんし、大西洋艦隊の艦は状態問わず入っていません。あの表に記載されている数値が、戦時中の米の潜水艦保有量に比べて、妙に少ない感があるのはこのためです。

 それと内容について若干捕捉。

(1)1942年3月に実動数が一気に減るのは、豪州に後退したアジア艦隊所属艦がこの月に殆ど活動しないため。
(2)1942年6月に実動数が上がるのは、旧S級の多くが現役復帰したことによるもの。逆に同年末以降暫く実動兵力が減るのは、旧S級が一部を除き第一線任務から外れるため。
(3)1943年春~初夏の兵力増大は、大西洋での潜水艦の哨戒実施が不要と見なされたため、大西洋艦隊所属の艦隊型潜水艦が太平洋艦隊へと転籍された影響もある。

 …まあこんな所でしょうか。実際の中身については、御覧になっていただければありがたく思います。

SCB27改装に関する雑記

 ちと原稿を書くのに疲れたので、気分転換に某所で話題になった話についてもそもそと書き込んでみる。

 元々エセックス級の近代化計画であるSCB27という計画は、一九四〇年代末期の空母一〇隻態勢の元に検討されたため、合計七隻だけやる予定でありました。この当時改装の対象艦は艦の状態が良く、改装予算が抑えられる艦が望ましいとされましたが、某所で述べたようにその中にフランクリンの名前があるのは、注目すべき点と言えます。
 その他の艦については、戦後稼動していた八隻については、そのうち一隻のみはSCB27改装の改装対象艦とするものの、七隻は第一線空母としての寿命が尽きるまで交替させつつ運用を続ける予定になっていました。またバンカーヒルを初めとする残りの艦は、そのままでは新型艦載機の運用が困難であることもあり、何も起こらなければそのまま海軍工廠で錆びて朽ちゆくはずでした。

 朝鮮戦争勃発後にこの情勢が変わり、ローテーションの都合から艦隊空母の勢力を十六隻に拡大する事が決定します。この際にSCB27改装の対象艦数は一九五三年までに七隻が拡大され、SCB27を実施した状態で完工する予定のオリスカニーを含めて十五隻がこの改装を受ける予定となります。この後空母勢力が二〇隻に拡大されたこともあり、さらに二隻を追加改装することも検討されますが ー これの対象艦がフランクリンとバンカーヒルだとする資料があります ー 、FY52以降新造空母の継続建造に目処が立っていたこともあり、これ以上エセックス級の改装は必要無しとされて実施には至りませんでした。
 この決定に伴い、当時第一線で運用されていた六隻のエセックス原型と、練習空母として運用されていたアンティータムもこれ以上の改装は実施しないことになりました。練習空母としてそのまま退役したアンティータムを除いた六隻のうち、三隻は後にLPHに改装されてなおも運用が継続されますが、三隻はフランクリンとバンカーヒルと共に一九五九年に航空機運用艦に転籍・退役となり、以後現役に復帰する事はありませんでした。

 なお、一九五一年になると、H8カタパルトを装備した初期のSCB27A改装艦は、カタパルトの能力問題から早期に艦載機の大型化に追随できないことが判明してしまいます(同年以降のSCB27改装が、蒸気カタパルト装備のSCB27C改装とされたのは、この理由によります)。だがこれらの艦は当時護衛空母と軽空母が充当されていた対潜空母としては有効に使用出来ると判断されたため、九隻改装されたうち七隻は再度SCB125改装を受けることになり、その後能力の陳腐化に伴って対潜空母籍に転じられますが、一九六〇年代後半まで就役を続けることになります。またSCB27A改装艦のうち、より大規模な改造に適するとされたオリスカニーはSCB27C+SCB125A改装艦が実施されて、他の六隻のSCB27C改装艦と共に攻撃空母として長く就役を続けました。その一方で、オリスカニーと同様の改装を受けるはずだったレイク・シャンプレンは、新型空母の増勢が順調で改装の必要が無くなったため、一九五七年にSCB125改装未実施のまま対潜空母に転籍され、最後まで「単軸甲板」型のエセックス級として一九六九年まで就役を続けることになります。 

 二四隻が竣工したエセックス級の中で、ただ二隻戦後に就役しなかった・改装を受けなかった艦としてフランクリンとバンカーヒルの両艦は注目されますが、状況によってはSCB27C+SCB125改装の対象になったかも知れず、改装の非対象となった理由については、当時の空母整備の情勢を良く見た上でさらに良く精査する必要がある様に思われます。またこの両艦同様に改装対象にされず、原型のまま消えていった艦が三隻あることも覚えていて良いことかも知れません。

完全版 妙高型重巡(1) スラバヤ沖雑記

 気がついたら題記の本が出ておりました。見本紙を読んでみれば、もう少し厚ければあれとかこれとか出来たんだがなぁ、とは思う物のまあ悪くはない出来かなとも思えます。個人的にはそれなりに売れてくれれば良いなと思う次第。

 さて、今回は戦記が大盤振る舞いで3本載ってますが、今回は最初のスラバヤ沖に関しての若干の追記。

(1)二水戦の突撃

 現在洋書資料では、第五戦隊司令部からの突撃命令を受けて、二水戦が「演習のように簡単である」と意気高い信号を返して突撃、雷撃でコルテノールを沈めた、という話が一般的になっています。これは本文でも書きましたように、当時「天津風」の艦長であった原為一元大佐著の「Japanese Destroyer’s Captain」が海外で発刊された1960年代に一般化した話で、これ以前に出されたモリソン戦史にも類似の記載があるため、海外では当事者も書いて居るんだしこれが正しいのじゃろ、として現在定説になっています。
 ただこの本を実際に読むと、1837時の「全軍突撃せよ」と1924時以降に行われた二水戦の雷撃戦が混同されていて、突撃以降の話は1924時からの雷撃戦の話が記載されています。二水戦の戦闘詳報では本文に書いたとおり、この時期突撃した様相は伺えません。私は原本の「連合艦隊の最後」を読んでいないのでこの誤解が原本の時点で発生したのか、それとも米側の訳者が間違えたのか判断出来ませんが、1837時の突撃命令に応じた「二水戦の突撃」が、実際に起きてはいないことは確かです。

(2)米駆逐艦の突撃

 これは逆にモリソン戦史や米駆逐艦の半公刊戦記を初めとして、米側の戦記にはあらかた書いてありますが、日本側では当時の戦闘詳報・戦後の戦史叢書を初めとして全く無視されているものです。これについては米駆逐艦が襲撃運動を行い、魚雷を発射したのは確かですが、日本側には「米駆逐艦が煙幕の中から出てきてちょっと交戦して、また戻っていった」ぐらいのイメージしかなかったので、結果として無視されたのでは無いか、と言う気がします。実際米駆逐艦の半公刊戦史の航跡図では堂々たる襲撃運動やってますが、モリソン戦史の航跡図を見ると「ABDA艦隊後方の煙幕を突き出て、日本艦隊側に出たところで魚雷を撃って即時反転離脱」とも取れますので…。

(3)「ポープ」を襲う謎の急降下爆撃隊

 これは日本側資料・米側資料共に同艦が「龍驤の飛行隊」に爆撃されたことで一致しています。しかし日本側では「龍驤の九七式艦攻は水平爆撃を実施」したと考えられているのに、米側では常に「急降下爆撃でやられた」と書かれるため、「龍驤は九九式艦爆を臨時搭載していたのか?はてまた九七式艦攻で緩降下爆撃でもやったのか(゚∀゚)?」との疑問を持つ人も少なくありません。

 今回第五戦隊の第二次合戦の戦闘詳報を真面目に読んだところ、同日の一三〇〇時に第十一航空艦隊より「敵艦隊攻撃のため、零式観測機隊を一二四〇時に発進させた」という電文が発せられていることが分かりました。
 これを裏付ける資料を探したところ、当時第二次合戦の状況を上空から眺めていた安永弘氏の「死闘の水偵隊」に、観測機隊が艦攻隊より早く「ポープ」に降爆を実施していることが記載されていました。因みに同著の記載によれば、観測機隊の爆撃は駆逐艦の回避運動で全弾回避され、引き続いて行われた艦攻隊の爆撃で損傷を与えたとなっており、同艦に致命傷を与えたのが「龍驤」の艦攻隊であることは代わりはありません。
 これらの点を考慮すると、観測機隊の降爆と艦攻隊の水平爆撃が連続して行われた格好となったため、最初の攻撃もあって米側が「敵機の降爆でやられた」と誤認したことにより、米側で「ポープは急降下爆撃で損傷した」という話が出来上がったのでは無いかと思われます。

 因みに同著によると「ポープ」の止めを刺したのは駆逐艦の雷撃ですが、某駆逐艦が静止したポープに放った最初の魚雷三本は、見事に全部外れたそうであります。

アークロイヤルの大改装

 最近1966年から開始されたアークロイヤルの近代化改装の事なんぞについて調べていたりするんですが、あの改装は基本的に同艦の艦齢を大きく伸ばす気がないんで、装備については出来るだけ現状品を再利用する方針で実施されてるんですね…。
 その前に改装されたイーグルやヴィクトリアスがきちんとした三次元レーダーを搭載しているのに、あとで改装されたアークロイヤルが新造時以来の高角測距レーダーで代替していたりするとか、艦の装備に妙に旧い装備が目立つのは全てこれが理由だったりします。
 
 そりゃ再就役後にイーグルの方がセンサー類の性能が良い、と言われる訳だ…。

昭和一七年四月の日本潜水艦

 今回は某所で「昭和一七年四月に北部豪州方面で潜水艦による通商破壊戦を実施して、ポートモレスビーを封鎖」、みたいな話が出ていましたが、それに関して世迷い言でも。

 実施時期として上げられた昭和一七年四月の時点で、日本の各潜水艦は開戦以来対米作戦と南方侵攻作戦に続けて参加していたことから、かなり整備劣悪な状態となっていました。
 この結果両方面における作戦が一段落した際に殆どの艦を内地に引き上げて艦の整備を実施する必要が生じたため、一時的に稼動できる潜水艦は殆ど無くなる事態が生じます。

実際に開戦当時編成されていた各潜水艦部隊が
その頃何処にいたかというと、

○一潜戦(第六艦隊指揮下:新巡潜型で構成):
 対米作戦参加後、内地で整備中
○二潜戦(第六艦隊指揮下:巡潜型で構成):
 対米作戦より引き抜かれた後、
 インド洋での通商破壊戦を実施中。
 五月に帰還、整備実施の予定。
○三潜戦(第六艦隊指揮下:海大型で構成):
 対米作戦参加後、内地で整備中
○四潜戦(連合艦隊指揮下:海大型・海中5型で構成):
 南方侵攻作戦時に作戦艦としての能力が限界に達した
 艦が出たため三月に解隊。うち三隻は呉防備隊、
 三隻は五潜戦、二隻は六潜戦(七潜戦)へ移動
○五潜戦(連合艦隊指揮下:海大型で構成):
 南方侵攻作戦終了後、内地で整備中
○六潜戦:(第三艦隊指揮下:機雷潜で構成。
       四潜戦解体後海中五型二隻を編入)
 南方侵攻作戦終了後、内地に帰還。四月一〇日解隊。
 機雷潜は第一三潜水隊として第六艦隊直轄に。 
 海中5型は七潜戦へ移動。
○七潜戦:(第四艦隊指揮下:L型潜水艦で構成)
 海中5型で編成された第二一潜水隊はトラック島に進出。
 他のL型潜水艦は内地で整備中。

 てな感じで、動ける部隊がありません。この他に三月に新編された八潜戦がありますが、新造艦の編入が多いこともあって同隊の状況は

○八潜戦:(第六艦隊指揮下;新巡潜型で構成)
 内地で整備・訓練中。

 という案配でした。かくしてこの時期豪北に進出できそうなのは、トラックにいる第二一潜水隊の海中五型二隻だけなんですな。これでどうやってポートモレスビーの封鎖をやれと…orz。

 とはいえ同方面での潜水艦作戦実施が考慮されなかった訳ではなく、軍令部は潜水艦の手当が着き次第、同方面での通商破壊戦を実施することを既に検討している状況にありました。ただ各潜水艦部隊が全く動ける状況になかったため、軍令部と連合艦隊は艦隊作戦実施の案配を考慮しながら潜水艦の投入を検討することになり、各潜水隊の整備が暫時完了して潜水艦兵力が回復する五月以降に同方面に対して潜水艦部隊を投入する事を決定します。

 この結果この方面における通商破壊戦の実施は珊瑚海海戦後のことになります。まず第二次特別攻撃に参加した八潜戦の半数が投入されたのを皮切りに、ミッドウェー海戦後には三潜戦が、七月には同月の戦時編制変更で第八艦隊指揮下に入った七潜戦の第二一潜水隊が同方面で通商破壊戦に従事しています。
(なお、この時期の七潜戦はL型で編成された潜水隊が北方部隊である第五艦隊直轄艦となったため、第一三潜水隊と第二一潜水隊の二隊で構成される形に変更されています)。
 八月以降も三潜戦と七潜戦はそのまま同方面での通商破壊戦を継続実施する予定でしたが、ガ島戦の開始によりこの計画は水泡に帰し、各潜水艦は通商破壊戦実施を取り止めてガ島奪還の艦隊作戦に充当されることになります。

 かくしてこの話は、海軍は同方面での通商破壊戦実施を無用と考えていた訳ではなく、通商破壊をやろうにも潜水艦が無くてやれないだけ、という毎度おなじみの「みんなビンボが悪いんや」オチで終わるのでありました。

日米空母 太平洋の戦い

 「世界の艦船」の該当号見本誌が届いたので、読んでみた次第。

 特集記事は少ない項数で良くも纏めたと思わせる物で、太平洋戦争における空母決戦の通史本としては、中々良い出来だと思います。ただ本職の記事は、改めて読み返すと南太平洋海戦の方は兎も角、ミッドウェーの方は内容的には特に間違いは無い物の、以前某誌で出した同題材の記事と似通っている部分があるし、文章がおかしい所もあるなどの半端ぶり。現在記事を読み終えて、猛省している次第です。 

 この件に付き、「世界の艦船」編集部並びに読者の皆様に深く陳謝致します。このようなことが再び起こらないように、以後原稿執筆の際にはより内容の精査に努めるように致しますので、平にご容赦下さいますようお願い申し上げます。

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