「P-38」最初の空戦

 今回は陸軍機絡みの戦史の話でも。

 アリューシャン方面に最初に出来た米側の飛行場は、ウムナク島のフォート・グレンに「秘密飛行場」として作られた陸軍飛行場であります(同飛行場はウラナスカ島のダッチ・ハーバーから西に約60浬の位置にあり、爆撃機の運用も考慮した全長1,500m、幅30mと実に立派な滑走路を持つ有用な航空基地でありました。…但し日本側はアリューシャン作戦開始前の時点で、同飛行場には全く気付いておりませんでしたorz。

 さてフォート・グレンの飛行場は一九四二年四月に完成、日本側のAL作戦実施に対応する形で五月二二日より同方面に展開する第11航空軍所属の陸軍機の展開が開始されます(同飛行場での作戦行動を開始した六月一日時点で、同基地への展開機数はP-40Eが17機、雷撃機として展開したB-26が6機)。この時期同方面にはP-39/P-40装備の第11と第18戦闘機隊が展開していましたが、日本軍の侵攻間近と考えられたため、米陸軍は航空兵力の増備を決定、その中には最新鋭の「P-38E」を装備した第54戦闘機隊も含まれておりました。

P38E

 同戦闘機隊は六月一日に米本土からアラスカのエルメンドルフ基地に展開、ウムナクへの進出準備に入りましたが、その二日後にフォート・グレンの飛行隊は日本の第二機動部隊によるダッチハーバー空襲により戦闘状態に入るという緊急事態を迎えます。同方面への大規模侵攻作戦実施も有り得ることから、同飛行場への増援兵力投入は緊急を要するとされたため、第五四戦闘機隊も六月五日より同基地への展開を開始します。

 しかしその前日の六月四日に同方面での日本側の航空攻撃は終結してしまい、この増援は見事空振りとなるのでした。六月中旬には米第11航空軍は攻勢に転じ、同航空軍の第二八混成爆撃航空群に所属する爆撃機はアッツ・キスカへの継続した爆撃作戦の実施に入ります。その一方でこの両島に一番近いフォート・グレンの飛行場はキスカより536浬ばかり離れておりましたので、この時期の攻勢作戦に戦闘機隊は参加できず、ダッチハーバーとフォート・グレンの防空任務に投ぜられますが、タマに東港空の九七大艇が来る以外日本機の来襲は無かったので、各戦闘機隊は同基地で無聊をかこつ日々を送る羽目になります。

 そんなこともあり、同基地に展開した「P-38E」が実際に空戦を経験するのは同基地に展開後約2ヶ月を経た八月四日のことになります。この日キスカを出撃してアトカ島爆撃に向かった九七大艇二機を、第54戦闘機隊の「P-38E」二機が同島上空でこれを迎撃、約30分の空戦の後に二機とも撃墜したことを報じました。

 

MAVIS

 

 米軍の公式記録ではこれが全戦域における「P-38」の最初の交戦記録であり、また本機が上げた最初の撃墜戦果とされています。もっとも日本側の記録によれば、東港空の九七大艇が「P-38」と交戦したのは確かですが、一機が被弾しただけだったとされています。故にこれは「P-38最初の撃墜記録」とするには、ややというかかなり問題があるのも確かです(とはいえ本機を扱う洋書では、必ずこれを「本機最初の撃墜記録」とされる様に、海外ではほぼ通説になっております…)。しかしこれが「P-38」最初の交戦記録であることは事実で、欧州方面での活躍が目立つ本機の最初の交戦が対日戦であったという事実は、航空戦史好きの方なら覚えておいても良い事項かも知れません。

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