by kotsuka
近年上記タイトルのCGによる空中戦再現番組がヒストリーチャンネルで放映されているのですが、再現映像が結構丁寧に作ってあるのと、時々搭乗員様による妙なお話が聞けたりするので割と気に入って見ていたりします。
今回はWWIの空中戦の話でありましたので、流石に搭乗員様の話は聞けずに当時の日誌を元に再現映像を作っていましたが、こんな奴のお友達のCGが画面一杯に現れて、
各機が画面内をぐりんぐりん動く空中戦の再現映像は結構迫力がありました。それにしてもWWI期の複葉戦闘機と、WWII期の単葉戦闘機の機動を単純に同一視してはいけないというのは頭で分かっていても、CGで見せつけられるとこりゃ全く違うわな、と改めて思わされますね。フォッカーDr.Iの「その場で水平に180度方向転換」なんつう機動を見ると、本当に( Д) ゚ ゚状態になりますもの。 CGに拠る再現映像はミリオタの人からは某社の本のように「参考にならねぇからイラネ」と言われることも多いですが、こういった再現映像を見るとこの番組では旨い使い方&見せ方をして居るなぁ、と思えます。
この回はこの他にも先日戦鳥で話題になった空中機動がWWI時ではどういう機動であったのかの説明とか、WWI時とその後で空中機動の名称が異なっている例があるのを示してくれるとかもあったので、非常に面白かったです。
…さて、WWIの空中戦について勉強したことでありますし、今度は気分も新たに「スカイキッド・ブラック魔王」でも見ようかと思います。
by kotsuka
某社から「お前の使っているウィルスプロテクションソフトの更新期限が近づいたぞ。今更新してくれたら三割引だ」というメールが来る。現在使っているソフトの防護率は悪くはないし、一台当て三年契約で□,000円ぐらいなら安くて良いか、と思い購入を決意。今回は出先で缶詰になる時用のTPX32号分も手続きを済ます。さてこれで彼処が潰れない限りは2012年までは大丈夫、と。
あとは「一年分の契約料払ってくれたら(約2500円)、以後終身保障だぜ」との通知が来たファイヤーウォールをどうするかだなぁ。なんかこんなに旨い話だと、却って疑わしく思えるのだが…。おまけに現時点で更新期限522日も残っているし(笑)。さて、どうしたものかいな。
by kotsuka
ここは最近は日記ではなく、月記はおろか期記になっている気もするのだが、今日は久々に更新を実施してみる。
本年最後の大仕事になった学研の「米海軍戦闘機」の見本誌が届いたので、適当にぱらぱらとめくって読んでみる。もう少し項数があればアレとかコレとか書けたのになぁ、とか思うところは多々あれど、筆者の贔屓目から見てもまあそれほど悪い出来の本では無かろうと思うので、売れてくれれば良いなぁ、と思う次第。
まあカラー写真項は綺麗だし、日本でFR-1とFD(FH-1)のある程度詳細な内容を記した記事はそう無いと思われるので、米海軍機のカラー写真が眺めたい人や、FR-1/FDの両機種が好きな人とかは、本屋で立ち読みの上、御購入を検討していただければ幸いです。
by kotsuka
先月から町内会の行事に良く休日を潰されるお陰もあって、平日&休日無く仕事続きの状況が続いております。まあずっと仕事だと流石に身体が持ちませんので、時々一日休みを取ったりもしているのですが、突発で仕事が湧くのが出版業界ですので、休むつもりで居たのが休め無くなることも多く、ここ二週間ぐらいは家で仕事&出先で仕事&町内会の行事に強制参加で殆ど休み無し状態に。
今日も本当は校正項の読み返し&訂正をやろうと思っていたんだけど、朝昼兼用の昼御飯を食べた後、疲れが出たらしく猛烈な睡魔が襲ってきて敢えなくダウンし、先程漸く目を覚ました次第。これから校正項の読み返しをするつもりですが、さて、何処まで出来ることやら。
ああ、それにしても未だ眠い。日も暮れてきたしいっそのこと仕事は明日もの凄い勢いですることにして、酒飲んで寝た方が良いかなぁ。
by kotsuka
先日去年の年末までメインマシンとして使用していたAthlonXP2500+のマシンを、我が友人であるH上級曹長殿に無償リース(期間無限)したのだが、「起動しなくなった」と言う連絡があったので修理に赴いた次第。
H上級曹長殿はエロゲとギャルゲしかインストールしない人なので、ソフトのコンフリクトとかでシステム側が何かおかしくなるとも思えず、多分ハード側の異常だろうと判断してマシンのチェックを開始。因みにこのマシンは「購入後四年間で取り敢えず壊れそうなところは全部壊れた」結果、「CPUと基盤を除けば大概のパーツが購入一年半以内、HDDに至っては新品」というマシンであるので、いよいよCPUか基盤が逝かれたか、と思いつつ電源ボタンを押してみると、起動音すらしない。
本体起動用のバッテリーは引き渡し前に新品に代えていたので、こりゃいよいよ基盤がやられたかなと考えながらケースを開けて中を見ると、何か妙な違和感がある。何がどうおかしいのかな、と思って良ーく中身を改めてみると、どうも輸送時に相当な衝撃を加えられたらしく、なんかフレームに若干歪みが出ているし、3.5インチベイなんか固定金具が片方はずれて落ちかけている(前に出ているFDDなんぞ、押すと中に引っ込むくらいグダグダ(^^;)。
こりゃあかん、と思ってケースの蓋を全部外し、取れかけた固定金具や何か差し込みが緩くなっていた内部の電源ケーブルを通常状態に戻し、基板上のメモリや起動用バッテリーの固定確認等の作業をした後、これで動かなけりゃHDDを含めて総チェックだなぁと思いつつ電源スイッチを入れると無事に起動。起動後念のためシステム側もチェックしたが、何の異常も無いのを確認。取り敢えず無事に作業が終わったので良き哉、と。
…しかしマシンを曹長殿のお宅に輸送する際には、購入時に付いてきたケースの梱包用外箱&緩衝材を使ってきっちり箱詰めしたんだがなぁ。その状況でここまで破壊した宅配業者は大した物である、と作業終了後曹長殿と共に改めて感心した次第。
by kotsuka
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前回書き込んでからの約四〇有余日の間に仕事で米国に二度も行っていた&町内会の業務に追いまくられたお陰で、日記を更新するような気力もなかった次第。現状も体力気力共に低迷状態なのだが、早いところ原稿を読み返して送らないと某所から16インチ砲弾が一〇斉射分ぐらい飛んできそうなので、無理矢理平常業務に戻しつつある様な状況であります。
今日は曇天のお陰で一日中良く日が当たる我が仕事部屋も熱帯地獄にならず、快適に作業が出来そうなのが救いかなぁ。さて、真面目に撮ってきた写真の整理でもしよう。
by kotsuka
最初の写真はモリソンの「The Struggle for the Guadalcanal」に掲載された合戦図を元にしたもので、「夕立」が米艦隊を発見する直前の2341時における陣形とされるもの。
日本の主隊は第一〇戦隊に護衛されて粛々と140度方向に進んでおり、左側警戒幕の後方には一〇分前まで右側にいた警戒隊である四水戦の朝雲以下三隻の駆逐艦が続行しています。そのやや前方にいる駆逐艦二隻は警戒隊の「夕立」と「春雨」であり、この時点でほぼ東方に針路を向けて艦隊の前方警戒に任じていることになっています。ただこの図も各艦の行動記録を付け合わせると些か話が合わないのも確かで、特にこの時点の「霧島」は本当に「比叡」と陣形を組んで進んでいたのかどうか疑問があります。
一方米艦隊は2337時にそれまでの針路310度から針路000度に転針しており、日本艦隊の頭を抑える様な格好で真北に進みつつありました。だがこの時点で駆逐艦「カッシン」が日本艦隊を発見(警戒隊の「夕立」と「春雨」)、日本艦隊へ肉薄雷撃を掛けるべく同艦以下四隻の第一〇駆逐隊は針路を315度に変針して日本艦隊へと向かっていきます。この直後に米艦隊の接近を発見した「夕立」と「春雨」は、米艦隊に頭を抑えられないように北方向に向けて転進したため、彼我の距離は開いていきますが、第一〇駆逐隊はその直前方に日本の大型艦が居るのを発見していたため、そのまま同隊は後方の大型艦へと向けてそのまま進みます。この後本文で書いたように第一〇駆逐隊の運動が急であったため米艦隊の陣形はやや乱れ、「アトランタ」と「オーバノン」、「サンフランシスコ」は併走するような形で交戦開始を迎えます。対して「夕立」からの警報を聞いた日本の主力部隊は米艦隊に頭を抑えられるのを割けるためもあって針路を八〇度に変更しますが、どうも米艦隊主力の姿しか見つけられなかったらしく、米の第一〇駆逐隊のうち最初の二隻は、交戦開始前に第一〇戦隊の右側警戒幕をすり抜けて「比叡」の側方に進出することに成功します。
この結果、合戦が開始された2350時の時点で、日米両艦隊の陣形は次の写真のような交錯した物となってしまいます。
この状況に説明を付けますと、
○ 米艦隊主隊の針路はこの時点でまだ000度。080度方向に向かいつつある日本艦隊に
対しては概ね全砲の射界が開けていた。
○ 「比叡」を護衛して日本艦隊の先頭を進む「長良」と、「比叡」の右側に居る「暁」以下の
駆逐艦三隻の合間をすり抜けて、 「カッシン」「ラフェイ」の両駆逐艦が「比叡」の右舷側を
進撃中。三番艦の「ステレット」もこれに続いていると思われるが、 この写真のように
この両艦の後方にいるのではなく、日本艦隊の右側警戒幕の前方位置にいる
可能性がある。
○ 右上方で明後日の方向に向かっている日本駆逐艦は「春雨」。
その横の駆逐艦は「夕立」で、同艦は米艦隊の 針路変針に気がついて
交戦海域目指して突撃中。
○ 米駆逐艦の先頭位置にいる「カッシン」は絶好の雷撃位置を過ぎてしまったため、
「比叡」の左舷側に移動すべく運動開始中。このため同艦は 後に「比叡」の左舷側に居た
「雪風」以下の警戒駆逐艦に叩きのめされる。
○ 「長良」の右舷側方にいる米駆逐艦は「オーバノン」。後方にいる軽巡は「アトランタ」だが、
実際にはこの時期「アトランタ」は「オーバノン」の左舷後方の至近距離を航走中。
(同一ヘクスに置くと良く分からんので、こうした次第です)。
○ 「アトランタ」の右舷側にいる重巡が「サンフランシスコ」。「比叡」の第一斉射は
この両艦の間に着弾して三式弾の弾子をばらまいた。
例の「比叡の初弾がアトランタの艦橋に命中」した、というのは「夕立」艦長の
回想に基づくものだが、「比叡」と「アトランタ」、「夕立」の位置関係を見れば、
「夕立」からそう見えたのは無理からぬところ。
○ 「朝雲」以下四水戦司令官指揮下の警戒隊の残り三隻と、
「霧島」は恐らく後方のやや離れた位置にいる。
(実際「比叡」と交戦した米艦隊前衛の駆逐艦は、合戦開始時に
「比叡」の直後に居るはずの「霧島」の姿を認めていません)。
…といった案配になります。
まあしかし、こうやって駒を盤上に並べて状況を再現してみると、同海戦がとても第二次大戦時の大型艦同士の交戦には見えない接近戦であったことが良く分かります。米側の回想録に「比叡」の砲弾が米艦の頭の上を飛び越して行く、というものが多いのも、これでは無理はありませんね。
by kotsuka
あの図は古き良きロスコーの「第二次世界大戦における米駆逐艦作戦史」に掲載されていたものです。この合戦図は出自が旧いこともあり(同書は昭和二八年の発行)、近年の研究で米艦の位置に誤解があるとかの問題点があることも指摘されていますが、日本側の航跡は各隊の戦闘詳報を元にしているらしく、第一戦隊の南進がやや早すぎる気配がある・第十戦隊の後方にいる二水戦が無視されているとかはあるものの、概ね正確であると見なせる物です。特に第三戦隊については、防研で閲覧出来る「金剛」「榛名」の戦闘詳報の内容及び付随する航跡図と比較してみたところ、市販書に出ている航跡図ではこれが一番正確であると見なせると判断出来たため、これをトレス図にして掲載して貰う様に依頼した次第です。
ただ気がついたらトレス図でなくて日本語訳版が掲載されており、日本語が妙なところは校正時に指摘しておきましたが、一部未だ妙なところが残っています。例としては「Kumano hit by Hoel Topedoes – Dead in Water Suzuya stand by」が「熊野ホールの魚雷を受け沈没。鈴谷見守る」になってたんで、「熊野魚雷を受け航行不能、鈴谷見守る(「鈴谷旗艦変更のため待機」にしたかったが、入りそうもなかったんで)」に代えましたが、掲載図では両者が合体して「熊野ホールの魚雷を受けて沈没 航行不能を鈴谷見守る」(一体どっちなんだ~(´▽`;)になっておりました。
あと因みに「熊野」が喰った魚雷は、本図では「ホール」が放った物とされていますが、最近の研究では「ジョンストン」が発射した魚雷と確認されています。私も今回改めて調査しましたが、本文に書いた通り「ホール」の魚雷は「金剛」に向けて発射されており、雨の中を驀進する「金剛」がこれを回避したことが日本側の記録からも確認出来ます。
by kotsuka
本日届いた金剛の見本誌を見て吃驚。P128の上部に載っている「左」と「右」の図は、「誌面に載せる防研の図が上がってくるまで、誌面編集参考用に」として、本職が防研で資料見ながらフリーハンドで写してきた図じゃあーりませんか(゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ。
あんなもんをそのまま載っけて、スルーしちゃった学研に敬意を表します。…校正項のは編集上暫定的に載せている奴と思ってたんで、最終版には上の元図(若しくはその修正版)を載せると思っていたので何にも言わなかったんだけど…、失敗したなぁ(防研で写真コピーした図は、校正に入る前にちゃんと渡してあったんだけどねぇ)。
取り敢えずお詫びに原図を二枚とも掲載しておく次第。
これは捷号作戦時の「軍艦金剛戦闘詳報」における機関部の浸水状況を示した第一缶室部分の断面図。
同じ戦闘詳報から「金剛」の第三缶室部分。
この両者を同じ書内にある「比叡」の断面図や、石橋先生の高い本に掲載されている「霧島」の断面図と比較するとかなりの相違があることが分かるので、興味のある人は良く見比べてみて下さい。
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戦鳥の議論岬で駄レス長官殿が挙げられている資料は、現在事前の研究会の内容報告を含めた原本が平賀讓デジタルアーカイブで丸ごと読める様になっています(資料番号2085-04-01)。この資料を読むと、軍令部側も「四六㎝五〇口径砲八門搭載艦と四一㎝五〇口径砲一二門搭載艦は略同大になる(共に四九,〇〇〇トン前後)」になることは認めており、その上で「四六㎝八門艦ではなく、四一㎝一二門艦の建造を推進する」詳細な理由を記しています(四六㎝砲八門艦の方が優位である、とする参考資料を附しての上です)。
同資料を見る限り、日本海軍が四九,〇〇〇トン程度の艦を整備することは躊躇して居る様子はありませんから、四六㎝砲搭載艦が通例言われる「艦型過大」で整備しないこととされたため、一三号艦で艦型の小型化を図ることにより、四六㎝砲艦の整備推進を図った、とするのは根拠に乏しいと思われます。更にあの資料や当時の砲煩関係資料を含めた各種資料を見ると、四六㎝五〇口径砲搭載艦のメリットは「砲の威力」面で秀でることが最たる理由になっていますが、その上で五〇口径砲艦の整備が行われないのですから、性能優位がより低い四五口径砲を五〇口径砲艦と同数の八門搭載する艦を、四一㎝五〇口径砲搭載艦に代えて整備する必要性が認められる可能性も低いと思われます。
ここらのことを勘案すると、個人的にはあの一三号艦と言われる試案は、「四五口径砲ならこの程度の艦が造れる」とした平賀造船官の一研究案に過ぎず、造船側の公式案ではなかった可能性も高い様に思います(平賀アーカイブを見ると、平賀造船官が当面採用の計画のない四一㎝四連装砲塔搭載艦の試案を、それはそれは一杯考えていらっしゃるのが分かりますが、一三号艦の試案もそれに類する物ではないかと愚考する次第)。
…「大和」の時に同試案を出してきたのは、「四六㎝四五口径砲搭載艦として昔自分が検討した」案を参考のために出してきただけでは無いのか、とも思う今日この頃でありました。