約二年半にわたってすったもんだしていた町内会館の
問題が解決。こっち側が当該の会館の除却決議をしたことで、
厚顔無恥なS町会も漸く話し合いに応じ、二つの町内会館で
双方の持つ資産権を交換して当該会館をS町会の単独管理と
することで決着した次第。
ま、裁判所調停までやった割には無難な結果で
終わったかな、と思います。あとはS町会の馬鹿どもが、
また厚顔無恥なことを言い出さないことを祈るだけです…。
(まあ決着内容についての公正証書作ったから、
多分大丈夫だと思うけどね…)。
約二年半にわたってすったもんだしていた町内会館の
問題が解決。こっち側が当該の会館の除却決議をしたことで、
厚顔無恥なS町会も漸く話し合いに応じ、二つの町内会館で
双方の持つ資産権を交換して当該会館をS町会の単独管理と
することで決着した次第。
ま、裁判所調停までやった割には無難な結果で
終わったかな、と思います。あとはS町会の馬鹿どもが、
また厚顔無恥なことを言い出さないことを祈るだけです…。
(まあ決着内容についての公正証書作ったから、
多分大丈夫だと思うけどね…)。
P-38の戦記の次はP-49/P-58の話か、P-51D/K/Mの話でも書こうかな~、と思っているうちに月日が過ぎ(思うだけなら誰でも出来る)、気がつけば学研さんから題記の本が届いていたので読んでみた。
この本編集段階でかなりグダグダしたのを見ていたので、こんなんで内容大丈夫かいな(´・ω・`)と結構心配だったのだが、出来上がった本を見てみればソコソコの出来映えで一安心。内容も幾つか「?」と思うトコロはあるけど、まあ普通に読めるもの。お好きな人は本屋で立ち読みの上、御購入を検討していただければ幸いです。
とはいえ気にならない点がない訳ではなくて、特に個々の戦史部分の花形とも言えるミッドウェーの記事で、三空母被爆に居たるまでの解説補助に付いている最後の三枚のイラスト、絵も解説も間違いだらけというのはどうなのよ、と思いました。あとこれは通説がそうなっているから仕方が無いとも思うんだけど、三空母被爆時に「飛龍」が他の空母から離れて艦隊の先頭を走っている、という誤解が無くなるのは何時の事やら、とも思った次第です(…つくづく「日米空母決戦ミッドウェー」で、項数の都合で被爆時の艦隊陣形図を載せられなかったのは失敗だったなぁ)。
昔「日米空母決戦ミッドウェー」の原稿を書くのに疲れた時、現実逃避に某所で「人形とボードゲームによるパノラマで見るミッドウェー海戦」として三空母被爆時の陣形を解説したことがあるけど、あれを使ってここでも解説しようかいな。
今回は陸軍機絡みの戦史の話でも。
アリューシャン方面に最初に出来た米側の飛行場は、ウムナク島のフォート・グレンに「秘密飛行場」として作られた陸軍飛行場であります(同飛行場はウラナスカ島のダッチ・ハーバーから西に約60浬の位置にあり、爆撃機の運用も考慮した全長1,500m、幅30mと実に立派な滑走路を持つ有用な航空基地でありました。…但し日本側はアリューシャン作戦開始前の時点で、同飛行場には全く気付いておりませんでしたorz。
さてフォート・グレンの飛行場は一九四二年四月に完成、日本側のAL作戦実施に対応する形で五月二二日より同方面に展開する第11航空軍所属の陸軍機の展開が開始されます(同飛行場での作戦行動を開始した六月一日時点で、同基地への展開機数はP-40Eが17機、雷撃機として展開したB-26が6機)。この時期同方面にはP-39/P-40装備の第11と第18戦闘機隊が展開していましたが、日本軍の侵攻間近と考えられたため、米陸軍は航空兵力の増備を決定、その中には最新鋭の「P-38E」を装備した第54戦闘機隊も含まれておりました。
、
同戦闘機隊は六月一日に米本土からアラスカのエルメンドルフ基地に展開、ウムナクへの進出準備に入りましたが、その二日後にフォート・グレンの飛行隊は日本の第二機動部隊によるダッチハーバー空襲により戦闘状態に入るという緊急事態を迎えます。同方面への大規模侵攻作戦実施も有り得ることから、同飛行場への増援兵力投入は緊急を要するとされたため、第五四戦闘機隊も六月五日より同基地への展開を開始します。
しかしその前日の六月四日に同方面での日本側の航空攻撃は終結してしまい、この増援は見事空振りとなるのでした。六月中旬には米第11航空軍は攻勢に転じ、同航空軍の第二八混成爆撃航空群に所属する爆撃機はアッツ・キスカへの継続した爆撃作戦の実施に入ります。その一方でこの両島に一番近いフォート・グレンの飛行場はキスカより536浬ばかり離れておりましたので、この時期の攻勢作戦に戦闘機隊は参加できず、ダッチハーバーとフォート・グレンの防空任務に投ぜられますが、タマに東港空の九七大艇が来る以外日本機の来襲は無かったので、各戦闘機隊は同基地で無聊をかこつ日々を送る羽目になります。
そんなこともあり、同基地に展開した「P-38E」が実際に空戦を経験するのは同基地に展開後約2ヶ月を経た八月四日のことになります。この日キスカを出撃してアトカ島爆撃に向かった九七大艇二機を、第54戦闘機隊の「P-38E」二機が同島上空でこれを迎撃、約30分の空戦の後に二機とも撃墜したことを報じました。
米軍の公式記録ではこれが全戦域における「P-38」の最初の交戦記録であり、また本機が上げた最初の撃墜戦果とされています。もっとも日本側の記録によれば、東港空の九七大艇が「P-38」と交戦したのは確かですが、一機が被弾しただけだったとされています。故にこれは「P-38最初の撃墜記録」とするには、ややというかかなり問題があるのも確かです(とはいえ本機を扱う洋書では、必ずこれを「本機最初の撃墜記録」とされる様に、海外ではほぼ通説になっております…)。しかしこれが「P-38」最初の交戦記録であることは事実で、欧州方面での活躍が目立つ本機の最初の交戦が対日戦であったという事実は、航空戦史好きの方なら覚えておいても良い事項かも知れません。
昨年夏に超強行軍日程で実施した米本土遠征の成果とも言うべき本の三冊目である「米陸軍戦闘機」の見本誌が届く。この本は扱う機数が多いだけに、原稿の文字数がある一定数で制限される雑誌では辛い面もあったのだけど(実際に各項の字数も減らしたし、載せるつもりで作った発動機性能表とか、一杯集めた機体マニュアル記載の美味しそうな構造図とか配置図面とかは、スペースの都合で殆ど載せられなかったのですorz)、出来上がった本を改めて見ると、まあ悪くはない出来かなとも思います。
一応本書で掲載できなかった図面とか性能表の一部は、本文の正誤共々ここで出していこうと思っていますので、余り期待せずにお待ち下さい。
取り敢えず大戦時の米陸軍機好きであれば、藤森先生の写真を見るだけでも楽しめる本であると思いますので、本屋で立ち読みの上で御購入を検討していただければ幸いです。
米陸軍戦闘機―連合軍の勝利に大きく寄与した「最優秀戦闘機」誕生への道程 (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 68)
航空情報の2009年8月号でF-2改に関する記事を書いた訳ですが、某有名軍事ブログや読者様のメール等で「あんたAPG-73の最大探知距離とルックダウン時のJ/APG-1の探知距離比べてどうするねん」と突っ込まれておりますれば、それに対する雑文を書いておく次第。
この件に付き、某ブログでは各種資料を当たった上で、
○AN/APG-66/68とAN/APG-73の最大探知距離は同じ80nmとされる。
○AN/APG-66の探知距離はルックダウン時で20-30nm、
ルックアップで25-40nm。
AN/APG-68はそれぞれ27.5nm/35nmでAPG-66と大差はない。
これを考慮すると、最大探知距離が同等のAN/APG-73の場合、
ルックダウン時の探知距離は、APG-66/68と同等でJ/APG-1
(ルックダウン時35nm)を下回ると思われる。
最大探知可能距離もJ/APG-1の方が上回る可能性がある。
としています。
一方私が今回の記事を書くにあたり、APG-65/73系列の性能を調べるのに使用した資料は、
「The Naval Institute Guide to World Naval Weapons Systems(以下WNWS:NIP発行)」
の1997-1998版及びFifth Edition(2006発行)の二冊と、昔米海軍関係の知り合いから貰った機密に引っかからない程度のメーカー・海軍関係資料です(以下○○○○としておきます)。
これらの資料によると、APG-65/73のレンジスケールは最大160nmとなっており、空対空モードの最大探知可能距離も160nmとされています(Range-While-Scanモードの場合/WNWS1997-1998版ではP207に記載:恐らくこれは対大型機に対する最大探知距離でしょう)。一方某ブログで上げられたAPG-66のルックアップ・ルックダウン時の探知能力値は、WNWSの1997-1998版ではAir-to-Airモードの数値として記載されています。
一方某ブログで比較例に出されたAN/APG-66の最大探知距離は、通例同所の記載通り80nmとされますが、これはAN/APG-65/73の「最大探知可能距離160nm」と同様の最大探知可能距離の数値で、戦闘機サイズの目標に対しての最大探知距離は約35nmとする資料があります(Globalsecurity.org等でもこの数値が記載されています)。 これから見てNWNSに記載された同レーダーのルックアップ・ルックダウン時の探知距離の数値は戦闘機サイズの目標に対する物と見て問題無いかと思います。またこれらの資料の内容からいくと、AN/APG-66とAN/APG-65/73とでは最大探知可能可能距離は公称で80nm対160nmと大きな差があり、戦闘機サイズの目標に対する最大探知距離も同様にAN/APG-66の約40nmに対し、AN/APG-65/73は80nmと約倍の差があると考えられます。
さて上記のAN/APG-66の最大探知距離とルックアップ・ルックダウン時の数値を比較すると、同レーダーで戦闘機サイズの目標に対して索敵を実施した場合、最大探知可能距離に比してルックアップの場合で最大50%、ルックダウン時では最大37.5%程度の距離で探知できることになります。この数値が戦闘機用レーダーの最大探知距離と戦闘機程度の大きさの目標を探知可能な性能値の差異の平均と仮定して、APG-65/73系列の最大探知距離にこれらの値を掛けると、ルックアップ時の最大探知距離は対戦闘機時の最大探知距離として通常言われる80nm(おお!)になります。一方ルックダウン時の場合は最大60nm(AN/APG-66の下限側数値である25%としても40nm)となりますので、現時点ではAN/APG-73の方がJ/APG-1より同条件でのルックダウン時の探知距離が長い可能性は充分にある、と本職には思えます。
因みに該当記事に記載したAN/APG-73の探知距離が80nmという数値は、NWNSにはルックダウン時の数値が載っていなかったので、○○○○な資料に載っていたルックダウン時の探知距離として記載されていた数値を使用しました。この数値は通例言われる戦闘機サイズの目標に対する最大探知距離と変わらない上に、NWNS記載のAN/APG-66やAN/APG-71等の探知能力等から換算すると、やや探知距離が長すぎる気はしますので、「ルックダウン時の最大探知可能距離」かも知れません。
ただ記事の執筆時に最大160nmの探知能力があるなら、対戦闘機で達成不可能な数値では無いと思ったのと(最低でも上の推論程度の性能はあると思っていましたし、レーダーは似た様な電波特性・出力値のものでも、目的別の調整で各部の性能が変わるのは良くある話ですから)、資料の性能記載が戦闘機サイズの探知能力を中心に書かれている資料であったので、それを使用した次第です。
しかしこの点については、AN/APG-65/73のルックダウン時の性能について、条件が揃っていない・内容が確認できない数値を使用した、と言われればその通りだと思います。その点については謝罪いたします。
なお、某ブログで傍証に使われたAN/APG-66とAN/APG-68に関して、こちらの資料だと気になる点があったのでちょっと追記します。AN/APG-66の探知距離はWNWSの1997-1998版に某ブログでも示された数値が掲載される一方で、同書内ではAN/APG-68の性能詳細は出ていません。その一方で、AN/APG-66のレンジスケールが最大80nmなのに対し(APG-66の最大探知可能距離は80nmですから当然ですね)、AN/APG-68は探知可能距離の拡大が為された結果、レンジスケールが最大160nmまで拡大された、とされています。これからいくと、AN/APG-66とAN/APG-68の探知能力に相応の差異がある可能性が否定できないと思います。
まあ色々とグダグダ書いてきましたが、該当記事はここらの点を考慮した上で書いたもので、単に誤記した訳ではないし、根拠が無いものを書いた訳でもない、とだけ申し上げる次第です。
またこの内容に付き、より明確な内容が把握出来た・修正が必要な内容が出てきましたら、こちらの日記に追記する形でフォローしていきたいと思います。なお、この件に付き、この他にも何か質問等ありましたらコメント欄に記載するか、メールで御連絡頂ければ幸いです。当方出来る範囲で対応いたします。
P185左段20-21行目のところ、元文章で「米新戦艦」とした筈のところが「米戦艦」になっているのを発見。これじゃスリガオ海峡海戦が無かったことになってしまう(゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ。
…というわけで、第七戦艦戦隊の戦闘は「米新戦艦が参加した最後の本格的な水上戦闘」です。スリガオ海峡海戦に参加した第七艦隊の戦艦群の皆様、誠に申し訳ありませんm(__:)m。校正で見落とした本職が全て悪いのであります。
;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン
…これだけではなんなので、ちょいと同一装備の比較の話でも。本書のP63に掲載したマサチューセッツの5in連装副砲の乗降用ハッチは鋼鈑が薄いけど、P117掲載のニュージャージーの副砲のものは砲塔装甲と同じ厚みがあります。これからいくとマサチューセッツは記念艦への改修時に、より取り回しの楽な駆逐艦用のモノをくっつけたのかな~と思ったり。
あと1980年代に大改装を受けたニュージャージーとウィスコンシンが装備するMk37型副砲方位盤の装備・外形が異なる点も面白いですね。
これらを含めて、各艦の同一装備を比較してみると、結構な相違があります。本書掲載の写真を注意深く比較・観察すると、結構な発見が出来ると思いますよ。
本職がカメラマン兼文章書きを担当した「米戦艦大図鑑」が発売。
写真項掲載写真は外観だけでなく主砲塔内部等の珍しい写真も載っているし、
戦史関係以外の項は全てフルカラーという太っ腹な本であるので、
売れればいいなぁ、と思った次第。甲板処理やら艤装品等の細部写真も多いので、
モデラーの人にも良い資料になると思われます。御興味のある方は本屋で
立ち読みの上で、購入を検討していただければ幸いです。
若干裏話を書くと、あの本でノースカロライナの全景写真がないのは、
写真が撮れそうな位置に濃密かつ邪魔な草っ原があったので、
まともに撮影が出来なかったため。。
記念艦となったノースカロライナの写真をふんだんに使用した
写真集である「U.S.S. North Carolina:WWII Battleships Memorial」
(Oxford Memorial Press)という本がありますが、これを読んで
「ノースカロライナの全景が載ってないのは何でだろう」、と
それまで思っていたのだけど、現地で撮影して思いっきり納得。
ありゃぁ陸上側からは余程無茶なことをしないと、
邪魔な草を入れないで全景を撮ることは出来ませんもの。
以前より友人や善意の第三者の方から「Wikipediaのビスマルクの項で滅茶苦茶言われて居るぞ」という連絡を結構戴いていた次第。時には「あれはもう誹謗中傷に近いから、なんとかしたら?」とも言われることもあるのだが、個人的には彼処で喧嘩するのは単なる労力の無駄だと考えておりますれば、彼処に参戦する気はありません、と前置きしつつ、時折彼処絡みで御質問いただく内容の取り纏めと、若干気になったものについて回答しておこうと思った次第です。
○第二次大戦時のドイツ戦艦が「防御様式が旧式」「(バイエルン級等の)
第一次大戦艦の延長線上にしかない」とか言う評価は、
1975年発行のSEA WARFARE 1939-1945
(Phoebus History of the World Wars Special:
Donald Macyntyre/Salamander books)や、
2002年発行のTHE WORLD’S WORST WARSHIPS
(ANTHONY PRESTON/Conway Maritime Press)
とかで書かれていることを含めて、海外では昔から現在まで
ドイツ戦艦に対する評価としては一般的に見られる物です。
○Wikiでは「日本で最初に否定的な記述は大塚により」と書かれているけど、
これは完全な間違い。1990年にHJが出した「戦艦」には既に出てきています。
(ジョン・ジョーダン著/石橋孝夫訳:
原題はAn Illustrated Guide to Battleships and Battlecruisers:
Salamander books:1985)
○私がドイツ戦艦の設計等に批判的な見方をする様になったのは、
ジョーダン先生の「戦艦」を読んだあとの話。
当時日本でのドイツ戦艦の評価は、世界の艦船の特集本で
阿部先生が書かれていた内容が一般的だったから、
「ええ、これ本当かな」と 思っていたけど、その後
Garzke&Dulin jr.のBattleships枢軸国/中立国版を読んで
「ジョーダン先生の言うことは概ね正しい」と考える様になり、
更にその後に出たKoop&Schmolke著の
「Battleships of the Bismarck Class」
「Battleships of the Scharnhorst Class」(出版社は全部NIP)等を
読んで、2000年頃には「ああこりゃ本当に駄目なんだ」と
思う様になっていた次第。
この結果もあり、戦鳥に出した「ある巨大戦艦の真実」や
学研の「世界の戦艦」では、本職はドイツ戦艦については
ジョーダン先生の評価を完全に肯定する形で記事を書いています.
(「戦艦」の「ビスマルク」に関する評価が非常に簡潔かつ
余りに明瞭な文章であったので、「世界の戦艦」では
殆どそのまま使わせて戴いた程でございます)。
○「技術の断絶」による各種の問題は、「戦艦」にも簡潔に記載されているほか、
M.J.Whitley先生が書かれている一連のドイツ水上艦解説書
(German Captal Ships of WWII他)を読むと概ね把握出来ます。
(機関の信頼性とかの話はKoop&Schmolkeの本にある日誌の抜粋とかを
付き合わせると非常に良く分かります)
これを含めて、本職がドイツ戦艦で「駄目」と書いた内容については、
ちゃんと根拠となる資料があります。
○脚柱30で「(「ドイツ海軍全史」で)大塚が評価を代えた理由は不明」と
書いてあるけど、本職は「巨大戦艦の真実」で一番主砲塔測距儀の
水密が駄目・高角砲の射撃指揮所の配置が駄目とは書いたけど、
主砲の射撃指揮装備自体が駄目って書いた記憶はないんですが…。
○以下今見たらすんげぇ揉めているWikiのノート絡み。
戦鳥に出している「ある巨大戦艦の真実」は、元々BUN師匠に
「真実日記に出した『米空母の真実』が好評だから、また何か書いて」と
言われたのが執筆の発端。
その頃出たNaval Historyに掲載されたビスマルクの研究記事に
面白い内容があったので(これが文中で触れた「二次資料」の正体)、
これと既に私の脳内で固まっていたドイツ戦艦評を組み合わせて
作ったのがあれ。
故に彼処でIさんが言っている「SUDOさんの論考に影響されて」
あれを書いたという様な事実はありません。
逆に私があれを出したので、その直後の飲み会かIRCにおいて、
SUDOさんから「大塚さんがあんなこと書くから、俺もあれを書かないと
イケナイじゃないか」と文句を言われた記憶があります。
因みにSUDOさんが書いた「魚雷は大人になってから・番外編」執筆時には、
本職より資料協力もしております。
○「巨大戦艦の真実」で、対話形式を取ったのはSUDOさんの
「魚雷は大人になってから」が好評だと聞いたので、
「戦鳥を見ている人はこういう感じの文章が好きなのかいな」と思ったから。
ミリタリーとギャルゲコラボの対話形式は、それ以前に自分のところで
「ときメモ」ネタで文章書いた経験があったから、それの延長線上として
あれを纏めました。
因みになんで「ときメモ」ネタだったかというと
(1)「ときメモ」は1999年頃まで凄いメジャーなゲームだったので、
大概の人は知っていると思った。
(2)「ときメモ」ならWin版を自分でもプレイしていたから、あのネタで書くのは容易
という理由によります。
時にIさん、「ときメモ」はギャルゲ(当時の呼称は恋愛シムだっけ?)であって、
エロゲじゃあないよ。
○学研で二回独艦関連の記事を書いたのは、「世界の戦艦」が
歴群太平洋戦史担当の編集部、「ドイツ海軍全史」が
歴群大西洋戦史担当の編集部より別時期に別途依頼されたからです。
「世界の戦艦」は本来八八艦隊本であったのが主執筆者が抜けるという
緊急事態により、急遽主執筆者となった本職が企画書を書いて
認可を受けたもの。
「ドイツ海軍全史」は学研側から内容指定の上で書いております。
共に内容が独艦に好意的で無いのは、両記事の執筆時に資料を見て
本職が判断した内容を書いた結果です。金ほしさに同じネタを使い廻した、
なんてことはありませんよ。
…とりあえず、これだけ。
この件とかで何か質問がありましたら、トラックバックに書くかメールを送るなりして頂ければ幸いです。出来る範囲で回答します(メールアドレスは本職HPのトップページ下端に書いてあります)。
町内会の新役員・理事が決定したので、昨日は朝の1000時から臨時定例会議を開いて引き継ぎ作業を実施。新会長は中々精力的な方であったが、本職と比較して年齢が35歳上な事もあって話がくどい面があり、妙に時間が掛かったので結局1300時まで会議が長引く。たかだか町内会の会議で多人数を3時間拘束するのはイカンよなぁ、と思いましたが、新体制の批判をする気はないので黙っておりました。但し現会長は4月末の総会までは継続して引き継ぎを行う必要があるのと、祭りが終わるまでは結構な頻度で会長の補佐をせんといかんので、暫くこれに付き合わなきゃならんか、と思うとやや鬱(´Д`)。
1400時からは町内会連合の会議に参加。副会長が一人辞めることになったので、連合の規約により本職が連合副会長に昇格することが自動的に決定(基幹となる三町会の会長職経験者が副会長に選出されることになっていて、それに該当する人間で連合の役職に就いてないのは本職だけ(´Д`;))。「本業が忙しい時は連合には出ない」・「本業との両立が無理な時は辞任する」ことを認めさせた上で引き受けましたが、正直余計な仕事を増やすんじゃない、というのが本音。因みに連合の定例会と臨時理事会が終了したのは1730時。町内会の会議で見事に一日が潰れ、なんにも出来ませんでした(;´Д`)。
家に帰った後は憂さ晴らしに一人酒を飲んでいたのですが、良く考えたら当日の暁の空を眺めるまで某所向けの原稿を書いていて寝不足だった結果、ある程度の量を飲んだ時点で撃沈、以後朝まで爆睡しておりました(´▽`;)。
明日・明後日締切の原稿が控える中、本日も夕方の早い時間に町内会連合に呼ばれております。だがしかし、どうせ仕事の時間を潰されるのであれば、その時間を入院中の主計科教官殿の見舞い&知り合いに誘われた飲み会に費やした方が有意義である様に本職には思えますので、本日は今から我が家より脱出することに致しましょう。
∟(´▽`;)¬=3=3=3=3 逃Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
近年上記タイトルのCGによる空中戦再現番組がヒストリーチャンネルで放映されているのですが、再現映像が結構丁寧に作ってあるのと、時々搭乗員様による妙なお話が聞けたりするので割と気に入って見ていたりします。
今回はWWIの空中戦の話でありましたので、流石に搭乗員様の話は聞けずに当時の日誌を元に再現映像を作っていましたが、こんな奴のお友達のCGが画面一杯に現れて、
各機が画面内をぐりんぐりん動く空中戦の再現映像は結構迫力がありました。それにしてもWWI期の複葉戦闘機と、WWII期の単葉戦闘機の機動を単純に同一視してはいけないというのは頭で分かっていても、CGで見せつけられるとこりゃ全く違うわな、と改めて思わされますね。フォッカーDr.Iの「その場で水平に180度方向転換」なんつう機動を見ると、本当に( Д) ゚ ゚状態になりますもの。 CGに拠る再現映像はミリオタの人からは某社の本のように「参考にならねぇからイラネ」と言われることも多いですが、こういった再現映像を見るとこの番組では旨い使い方&見せ方をして居るなぁ、と思えます。
この回はこの他にも先日戦鳥で話題になった空中機動がWWI時ではどういう機動であったのかの説明とか、WWI時とその後で空中機動の名称が異なっている例があるのを示してくれるとかもあったので、非常に面白かったです。
…さて、WWIの空中戦について勉強したことでありますし、今度は気分も新たに「スカイキッド・ブラック魔王」でも見ようかと思います。
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