Archive for 6月 23rd, 2008

戦鳥議論岬を見て呟く 其の二

 戦鳥の議論岬で駄レス長官殿が挙げられている資料は、現在事前の研究会の内容報告を含めた原本が平賀讓デジタルアーカイブで丸ごと読める様になっています(資料番号2085-04-01)。この資料を読むと、軍令部側も「四六㎝五〇口径砲八門搭載艦と四一㎝五〇口径砲一二門搭載艦は略同大になる(共に四九,〇〇〇トン前後)」になることは認めており、その上で「四六㎝八門艦ではなく、四一㎝一二門艦の建造を推進する」詳細な理由を記しています(四六㎝砲八門艦の方が優位である、とする参考資料を附しての上です)。

 同資料を見る限り、日本海軍が四九,〇〇〇トン程度の艦を整備することは躊躇して居る様子はありませんから、四六㎝砲搭載艦が通例言われる「艦型過大」で整備しないこととされたため、一三号艦で艦型の小型化を図ることにより、四六㎝砲艦の整備推進を図った、とするのは根拠に乏しいと思われます。更にあの資料や当時の砲煩関係資料を含めた各種資料を見ると、四六㎝五〇口径砲搭載艦のメリットは「砲の威力」面で秀でることが最たる理由になっていますが、その上で五〇口径砲艦の整備が行われないのですから、性能優位がより低い四五口径砲を五〇口径砲艦と同数の八門搭載する艦を、四一㎝五〇口径砲搭載艦に代えて整備する必要性が認められる可能性も低いと思われます。
 ここらのことを勘案すると、個人的にはあの一三号艦と言われる試案は、「四五口径砲ならこの程度の艦が造れる」とした平賀造船官の一研究案に過ぎず、造船側の公式案ではなかった可能性も高い様に思います(平賀アーカイブを見ると、平賀造船官が当面採用の計画のない四一㎝四連装砲塔搭載艦の試案を、それはそれは一杯考えていらっしゃるのが分かりますが、一三号艦の試案もそれに類する物ではないかと愚考する次第)。

 …「大和」の時に同試案を出してきたのは、「四六㎝四五口径砲搭載艦として昔自分が検討した」案を参考のために出してきただけでは無いのか、とも思う今日この頃でありました。

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