Archive for 6月, 2008

学研「金剛」本掲載のサマール沖海戦合戦図

 あの図は古き良きロスコーの「第二次世界大戦における米駆逐艦作戦史」に掲載されていたものです。この合戦図は出自が旧いこともあり(同書は昭和二八年の発行)、近年の研究で米艦の位置に誤解があるとかの問題点があることも指摘されていますが、日本側の航跡は各隊の戦闘詳報を元にしているらしく、第一戦隊の南進がやや早すぎる気配がある・第十戦隊の後方にいる二水戦が無視されているとかはあるものの、概ね正確であると見なせる物です。特に第三戦隊については、防研で閲覧出来る「金剛」「榛名」の戦闘詳報の内容及び付随する航跡図と比較してみたところ、市販書に出ている航跡図ではこれが一番正確であると見なせると判断出来たため、これをトレス図にして掲載して貰う様に依頼した次第です。

 ただ気がついたらトレス図でなくて日本語訳版が掲載されており、日本語が妙なところは校正時に指摘しておきましたが、一部未だ妙なところが残っています。例としては「Kumano hit by Hoel Topedoes – Dead in Water Suzuya stand by」が「熊野ホールの魚雷を受け沈没。鈴谷見守る」になってたんで、「熊野魚雷を受け航行不能、鈴谷見守る(「鈴谷旗艦変更のため待機」にしたかったが、入りそうもなかったんで)」に代えましたが、掲載図では両者が合体して「熊野ホールの魚雷を受けて沈没 航行不能を鈴谷見守る」(一体どっちなんだ~(´▽`;)になっておりました。
 あと因みに「熊野」が喰った魚雷は、本図では「ホール」が放った物とされていますが、最近の研究では「ジョンストン」が発射した魚雷と確認されています。私も今回改めて調査しましたが、本文に書いた通り「ホール」の魚雷は「金剛」に向けて発射されており、雨の中を驀進する「金剛」がこれを回避したことが日本側の記録からも確認出来ます。

学研「金剛」本を見て驚く&それの訂正というか差替図の掲載

 本日届いた金剛の見本誌を見て吃驚。P128の上部に載っている「左」と「右」の図は、「誌面に載せる防研の図が上がってくるまで、誌面編集参考用に」として、本職が防研で資料見ながらフリーハンドで写してきた図じゃあーりませんか(゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ。

 あんなもんをそのまま載っけて、スルーしちゃった学研に敬意を表します。…校正項のは編集上暫定的に載せている奴と思ってたんで、最終版には上の元図(若しくはその修正版)を載せると思っていたので何にも言わなかったんだけど…、失敗したなぁ(防研で写真コピーした図は、校正に入る前にちゃんと渡してあったんだけどねぇ)。

 取り敢えずお詫びに原図を二枚とも掲載しておく次第。

 kongo_no1br_cross_section.jpg

これは捷号作戦時の「軍艦金剛戦闘詳報」における機関部の浸水状況を示した第一缶室部分の断面図。

kongo_no3br_cross_section.jpg

同じ戦闘詳報から「金剛」の第三缶室部分。

  この両者を同じ書内にある「比叡」の断面図や、石橋先生の高い本に掲載されている「霧島」の断面図と比較するとかなりの相違があることが分かるので、興味のある人は良く見比べてみて下さい。

戦鳥議論岬を見て呟く 其の二

 戦鳥の議論岬で駄レス長官殿が挙げられている資料は、現在事前の研究会の内容報告を含めた原本が平賀讓デジタルアーカイブで丸ごと読める様になっています(資料番号2085-04-01)。この資料を読むと、軍令部側も「四六㎝五〇口径砲八門搭載艦と四一㎝五〇口径砲一二門搭載艦は略同大になる(共に四九,〇〇〇トン前後)」になることは認めており、その上で「四六㎝八門艦ではなく、四一㎝一二門艦の建造を推進する」詳細な理由を記しています(四六㎝砲八門艦の方が優位である、とする参考資料を附しての上です)。

 同資料を見る限り、日本海軍が四九,〇〇〇トン程度の艦を整備することは躊躇して居る様子はありませんから、四六㎝砲搭載艦が通例言われる「艦型過大」で整備しないこととされたため、一三号艦で艦型の小型化を図ることにより、四六㎝砲艦の整備推進を図った、とするのは根拠に乏しいと思われます。更にあの資料や当時の砲煩関係資料を含めた各種資料を見ると、四六㎝五〇口径砲搭載艦のメリットは「砲の威力」面で秀でることが最たる理由になっていますが、その上で五〇口径砲艦の整備が行われないのですから、性能優位がより低い四五口径砲を五〇口径砲艦と同数の八門搭載する艦を、四一㎝五〇口径砲搭載艦に代えて整備する必要性が認められる可能性も低いと思われます。
 ここらのことを勘案すると、個人的にはあの一三号艦と言われる試案は、「四五口径砲ならこの程度の艦が造れる」とした平賀造船官の一研究案に過ぎず、造船側の公式案ではなかった可能性も高い様に思います(平賀アーカイブを見ると、平賀造船官が当面採用の計画のない四一㎝四連装砲塔搭載艦の試案を、それはそれは一杯考えていらっしゃるのが分かりますが、一三号艦の試案もそれに類する物ではないかと愚考する次第)。

 …「大和」の時に同試案を出してきたのは、「四六㎝四五口径砲搭載艦として昔自分が検討した」案を参考のために出してきただけでは無いのか、とも思う今日この頃でありました。

戦鳥議論岬を見て呟く

○ 英国の15inMkIは何故42口径なのでせうか

  当時英国で容易に製造可能な砲身長の最大限で作った結果、という説がありますね。確かにMkIの研究開始とほぼ同時に開発された「金剛」用の14in/45と砲身長全く同一なんですよね、アレ。

 因みにあの大砲は完成後精度の良さと威力の高さから「奇跡の大砲」と砲術関係者から絶賛されておりますが、それは完成後の話であって、開発時には15インチ砲には42口径がベストマッチだったから、なんてことは一言も言われておりません。

○ 何故18インチ42口径砲では駄目なのでせうか。砲口初速が低くても、SHSみたいな重量砲弾を使って、威力を補えばいいじゃないですか。

  …日本海軍が「18インチ42口径砲」と呼んでいる某砲がまさしくそういった砲な訳ですが、、これが運用開始後精度不良で対艦戦闘用の艦砲としては不適、って言われてるんですから、日本海軍が同類を作ることたぁありませんわな。更にこの時期に出た砲術学校の資料では、「18インチ42口径砲の砲威力を含めた実効は、16インチ50口径砲と大差ない」という見解を出している例もありますので、より容易に製造出来る16インチ50口径砲を次期戦艦の主砲として選択するのも当然でしょう。…おまけに八八艦隊計画の予算承認時には、既に米国が18インチ47口径砲の開発研究に着手したことは英国経由で伝わってきてますから、精度不良かつ威力的にも中途半端な18インチ42口径砲ではなく、より威力の勝る18インチ50口径砲の開発に進むのは当然でしょう。

 …あと、八八艦隊当時と昭和一桁後期の時期の艦砲を単純に比較して、「大和は45口径で良いとされたのに、八八艦隊時に50口径でないと駄目なのは何故」と言うのは無意味だよ、と。八八艦隊計画当時の艦砲と徹甲弾を取り巻く技術状況を考慮しないと、八八艦隊戦艦用の18インチ50口径砲が大和の主砲より「砲弾は拠り軽く、初速はかなり高い」砲とされたのか理解出来ないと思います、ハイ。

Virtual PC 2007

 ちょっよ旧いソフトを動かす必要があったため、Virtual PCをメインのXP機に入れてみる。この手のソフトはMac時代から結構使った経験があるのだが、処理速度が低すぎるのを含めて概ね使い物にならなくて使うのを止めた記憶だけが残る。さてあれから結構な年月が過ぎたことだし、マシンも高性能化したからなんとかなるかな、と思ってちょっと使ってみた次第。

  …ビデオ周りやサウンド関係が完全にエミュレート出来ないとかの不具合もあるが、取り敢えず仮想マシンが大きな不具合もなく動くのは大したモンだと思う。これだけ動くのであれば、使用するソフトによっては充分に代用になると思が、旧作ゲーム用PCとしてちゃんと使えるかと言われると、ビデオ・サウンドの相性もあるのでちょっとキツイかな、という気もする(AHの5thFleetなんぞ、MMX133MHzのマシンで走らせるより遅いからねぇ(笑))。…本職の知り合いにして、某雑誌編集者であらせられる長浜(仮名)先生は、ここらの不具合をどう対処しているんだろうなぁ。彼の所では目立った不具合でないんだろうか。

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