…偶にはミリネタの話でも。
八八艦隊の時期、日本海軍は仮想敵である米戦艦を総じて高く評価しています。特に三年計画で整備されたサウスダコタ級(BB-49級)については、伝えられたスペックが実艦より相応に高かったこともあり、「計画中の物を含めて、我が戦艦ではこれに対抗出来る艦はない」という絶望的な意見すら散見されるようになっています(まあ「我が戦艦より砲力が上で、装甲厚はいかなる我が戦艦の五割以上強力な上に防御適用範囲も広い。しかも速度は我が戦艦と同等」なんてデータが伝えられたら、こう思うのも無理はないわな(´▽`))。世の中には「米側は入手した天城以降の戦艦の情報をを見てその高性能に驚愕した」という真偽不明の話がありますが、当時の日本側の状況は正にこれの裏返しでありました。
ここらの話を付き合わせていくと、八八艦隊における「紀伊」型以降の戦艦整備計画が妙に不透明であったり、その時期に造船屋が造れもしない18in砲を搭載する戦艦の計画に血道を上げているように見えるのも、「海のモンスターたる(脳内)サウスダコタ級対抗」ということを考えると何となく理解できるような気がします。軍令部が「兵力上限を設けてくれた方が作戦が立てやすい」として軍縮条約締結に乗り気であったのも、「米国と戦艦の整備競争をしても質量共に敵わない」という判断があったのかも知れないなぁ、とか思ったり。
ここら辺の話は実に興味深いので、もう少し明確に出来れば良いと思うのですが、果たしてどこまで掘り下げられるか。