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昭和一七年四月の日本潜水艦

 今回は某所で「昭和一七年四月に北部豪州方面で潜水艦による通商破壊戦を実施して、ポートモレスビーを封鎖」、みたいな話が出ていましたが、それに関して世迷い言でも。

 実施時期として上げられた昭和一七年四月の時点で、日本の各潜水艦は開戦以来対米作戦と南方侵攻作戦に続けて参加していたことから、かなり整備劣悪な状態となっていました。
 この結果両方面における作戦が一段落した際に殆どの艦を内地に引き上げて艦の整備を実施する必要が生じたため、一時的に稼動できる潜水艦は殆ど無くなる事態が生じます。

実際に開戦当時編成されていた各潜水艦部隊が
その頃何処にいたかというと、

○一潜戦(第六艦隊指揮下:新巡潜型で構成):
 対米作戦参加後、内地で整備中
○二潜戦(第六艦隊指揮下:巡潜型で構成):
 対米作戦より引き抜かれた後、
 インド洋での通商破壊戦を実施中。
 五月に帰還、整備実施の予定。
○三潜戦(第六艦隊指揮下:海大型で構成):
 対米作戦参加後、内地で整備中
○四潜戦(連合艦隊指揮下:海大型・海中5型で構成):
 南方侵攻作戦時に作戦艦としての能力が限界に達した
 艦が出たため三月に解隊。うち三隻は呉防備隊、
 三隻は五潜戦、二隻は六潜戦(七潜戦)へ移動
○五潜戦(連合艦隊指揮下:海大型で構成):
 南方侵攻作戦終了後、内地で整備中
○六潜戦:(第三艦隊指揮下:機雷潜で構成。
       四潜戦解体後海中五型二隻を編入)
 南方侵攻作戦終了後、内地に帰還。四月一〇日解隊。
 機雷潜は第一三潜水隊として第六艦隊直轄に。 
 海中5型は七潜戦へ移動。
○七潜戦:(第四艦隊指揮下:L型潜水艦で構成)
 海中5型で編成された第二一潜水隊はトラック島に進出。
 他のL型潜水艦は内地で整備中。

 てな感じで、動ける部隊がありません。この他に三月に新編された八潜戦がありますが、新造艦の編入が多いこともあって同隊の状況は

○八潜戦:(第六艦隊指揮下;新巡潜型で構成)
 内地で整備・訓練中。

 という案配でした。かくしてこの時期豪北に進出できそうなのは、トラックにいる第二一潜水隊の海中五型二隻だけなんですな。これでどうやってポートモレスビーの封鎖をやれと…orz。

 とはいえ同方面での潜水艦作戦実施が考慮されなかった訳ではなく、軍令部は潜水艦の手当が着き次第、同方面での通商破壊戦を実施することを既に検討している状況にありました。ただ各潜水艦部隊が全く動ける状況になかったため、軍令部と連合艦隊は艦隊作戦実施の案配を考慮しながら潜水艦の投入を検討することになり、各潜水隊の整備が暫時完了して潜水艦兵力が回復する五月以降に同方面に対して潜水艦部隊を投入する事を決定します。

 この結果この方面における通商破壊戦の実施は珊瑚海海戦後のことになります。まず第二次特別攻撃に参加した八潜戦の半数が投入されたのを皮切りに、ミッドウェー海戦後には三潜戦が、七月には同月の戦時編制変更で第八艦隊指揮下に入った七潜戦の第二一潜水隊が同方面で通商破壊戦に従事しています。
(なお、この時期の七潜戦はL型で編成された潜水隊が北方部隊である第五艦隊直轄艦となったため、第一三潜水隊と第二一潜水隊の二隊で構成される形に変更されています)。
 八月以降も三潜戦と七潜戦はそのまま同方面での通商破壊戦を継続実施する予定でしたが、ガ島戦の開始によりこの計画は水泡に帰し、各潜水艦は通商破壊戦実施を取り止めてガ島奪還の艦隊作戦に充当されることになります。

 かくしてこの話は、海軍は同方面での通商破壊戦実施を無用と考えていた訳ではなく、通商破壊をやろうにも潜水艦が無くてやれないだけ、という毎度おなじみの「みんなビンボが悪いんや」オチで終わるのでありました。

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