テオドロス3世が語る †![]() 簒奪者テオドロス ミカエル10世第4皇子 わたしの俗名はテオドロス・パレオロゴス。 治世のあいだは3世を名乗ったが、 我が甥イサキオスは狂い、傷つき、主を呪い、それでも5年生きながらえた。 ![]() 1413年、諸侯の要求に抗しきれず選挙法継承に変更 狂帝イサキオス4世はもはや皇帝の寝台に横たわる木偶にすぎぬ。 甥に刺客を差し向けた夏、 第一継承者は今まで通り皇子コンスタンティノスだが、 ![]() 対立皇帝コンスタンティノス・パレオロゴス イサキオス4世唯一の男子 1414年春、スラブ人どもは幼いコンスタンティノスを対立皇帝に担いで独立した。 わたしは彼らを放っておいた。 ![]() 千々に乱れる世の中で、理想に燃えるボゴミル派などの急進セクトが伸張 帝国当局と軋轢を起こす 悪い事は続くものだ。 わたしはスミルナに興ったボゴミル派異端の動向に注目していたが、 こうして1415年には、3人の皇帝と2人のブルガリア王、1人のメシアが ![]() 1415年、分裂する帝国 紫:イサキオス4世帝国 赤:コンスタンティノス11世帝国 オレンジ:レオン7世帝国 青:アナスタシア・パレオロゴスのブルガリア王国 緑:アセン家のブルガリア王国 クリーム色:オフリドの『神の国』 ところでメシアならもう1人いた。 そう、かの有名な。 混乱期 †![]() ![]() 『狂えるメシア』バルトロメオス・パレオロゴス ミカエル10世第8皇子 異端、破門、狂気の三重奏が織りなすバルトロメオスの凄まじいペルソナは ![]() 音楽の力は凄まじい 彼はリュートをたずさえて各地を放浪した。 あまたの追随者が出たが、弟の域にまで達する者は誰一人いなかった。 ![]() 簒奪者テオドロスのもとでパレオロゴス朝ルネサンスが花ひらく バルトロメオスの生んだ熱狂は文芸に波及し、 ![]() 摂政およびテサロニケ専制公テオドロス 選挙法継承により58歳で皇帝に即位 1418年、甥イサキオスがついに召された。 すでに高齢のわたしには、即位後すぐに後継者問題が突きつけられていた。 ![]() テッサリア伯レオ ![]() アルタ伯アドリアノス 息子のレオ、アドリアノスは皇帝の器ではない。 ほかに宮廷にはパレオロゴスの男子が6名いた。 ![]() ダヴィド・パレオロゴス バルトロメオスとオズグル・コペルの子 悪疫で多くの男子を失ったパレオロゴス家にとってダヴィドは期待の星だった。 だが、すでに複雑怪奇というべき様態を示していたロマニア情勢が ![]() 1419年の帝国 オフリドの『神の国』やレオン7世帝国は短命だった またコペル家を始めとする武勇にすぐれたトルコ人戦士たちが トゥグリル朝最前線のアナトリアへ封じられた 1419年わたしはオフリドの異端共和国に対して十字軍を起こし、 そのときだ、対立皇帝コンスタンティノスが わたしには4つの選択肢があった。
わたしは介入することに決めた。 15人目の使者が承諾の返事を持ち帰った。 ![]() コンスタンティノスの臣従によって帝位継承順は大きく動く / ニコメディア公グレゴリイ・リューリコヴィチ、ニケーア公ダニシュメンド・コペル、 アドリアノープル公デメトリオス・アンティオキテスといった大貴族たちを押さえて ヴィディン公コンスタンティノスが首位に躍り出た いくさのあと †![]() 1420年9月7日の戦線 この時点ではまだコンスタンティノスは臣従していない わたしは1419年から1421年にかけてセルビアを転戦し、 コンスタンティノスの領する4州とあわせ、 和議が行われたのはラグーサ近郊、修道院の中庭だった。 我が足元に頭をすりつけ、和を乞うボレスラフ王。 ![]() 1421年8月のパレオロゴス家勢力圏 コンスタンティノスはローマ皇帝テオドロス3世、ブルガリア女王アナスタシア、 テサロニケ公レオ、エピロス公アドリアノスそれぞれの第一継承者である こうしてわたしはセルビア王国を手に入れた。 アナスタシア・パレオロゴスのブルガリア王国とあわせ、 わたしはコンスタンティノスと話し合った。 ![]() コンスタンティノープル総主教ダヴィド・パレオロゴス 一方、わたしの都合で振り回されたダヴィドに謝らなくてはならなかった。 ![]() 9年の時を経て、『狂えるメシア』が堂々の再臨 その新曲の数々は帝国を熱狂の坩堝へ叩きこんだ 1425年、二度目のバルトロメオス旋風が帝国を沸かせていたころ、 わたしはアトス山の小さな僧坊に空きを見つけ、修道院長に話をした。 ![]() それからずっと、わたしはこの庵で贖罪と祈りの日々を過ごしている。 ところでコンスタンティノスの即位式は盛大だったそうだね。
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