<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
	>
<channel>
	<title>いろいろクドい話 へのコメント</title>
	<atom:link href="http://stanza-citta.com/bun/comments/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://stanza-citta.com/bun</link>
	<description>すこしバテ気味・・・。</description>
	<lastBuildDate>Tue, 22 May 2012 11:33:20 +0000</lastBuildDate>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.3.1</generator>
	<item>
		<title>名無し より 幻の東部戦線　３４　（平和共存路線はなぜ生まれたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/21/1119/comment-page-1#comment-2177</link>
		<dc:creator>名無し</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 22 May 2012 11:33:20 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1119#comment-2177</guid>
		<description>いやそんな立派な見識なんて
こちらの方こそ、ここの記事を見るたびに目から鱗が出る思いです
名前は・・・どうしましょう・・・考えておきます</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>いやそんな立派な見識なんて<br />
こちらの方こそ、ここの記事を見るたびに目から鱗が出る思いです<br />
名前は・・・どうしましょう・・・考えておきます</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>ＢＵＮ より 幻の東部戦線　３４　（平和共存路線はなぜ生まれたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/21/1119/comment-page-1#comment-2174</link>
		<dc:creator>ＢＵＮ</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 21 May 2012 22:15:15 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1119#comment-2174</guid>
		<description>名無しさん

ご愛読ありがとうございます。
ソ連の戦争計画が勢力圏の防衛から西欧侵攻へと転換したのは明確にフルシチョフ時代です。平和共存路線と全面核戦争を前提とした攻勢戦略はセットになっているんです。
ですから1950年代後半の雪解けムードが米ソ双方のボタンの掛け違いから1960年代初頭のベルリン危機やキューバ危機で危うくなった、といった認識は正確ではありませんし、現に危機終結後のフルシチョフは平和共存路線を取り戻しています。
けれどもその戦略はあくまでも攻勢主義なんですね。
ブレジネフ時代の急速な通常軍備拡大もフルシチョフ時代の戦略転換に対応した全面核戦争を前提としたもので、ソ連版の柔軟反応戦略による訳ではありません。極端に言えば二人の軍事戦略には「駆け引きの道具」か「明日の計画」かの違いがあるだけです。

またフルシチョフは確かにジューコフ等を解任していますが、解任される頃のジューコフが既に「先制核攻撃論者」であることはその発言からも確認できます。核兵器開発はスターリン時代から継承されたものですから軍部も核戦略を否定する理由がないのです。

一方、アメリカの柔軟反応戦略が実体を持つのはケネディの大統領就任以降ですし、NATOがそれを受け容れるのはさらに数年後の1967年からです。また、ケネディの危機に対する対処は基本的には柔軟反応戦略の最も「硬い」部分、すなわち大量報復戦略の考え方そのものを以てフルシチョフを圧倒している訳ですね。

冷戦は終わってしまった昔の出来事ですから仕方がないのですけれども、日本で出版された冷戦時代の解説はソ連崩壊前の資料と情報で書き上げられたものが多く、ソ連側の戦略転換を推し量るには当時としては不明点が多過ぎてその辺りがとても曖昧です。
一般に日本人は冷戦を政治思想的な出来事として捉え過ぎているのかもしれませんね。

※名無しさん、せっかくですから立派な御見識に見合うお名前をお使いください。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>名無しさん</p>
<p>ご愛読ありがとうございます。<br />
ソ連の戦争計画が勢力圏の防衛から西欧侵攻へと転換したのは明確にフルシチョフ時代です。平和共存路線と全面核戦争を前提とした攻勢戦略はセットになっているんです。<br />
ですから1950年代後半の雪解けムードが米ソ双方のボタンの掛け違いから1960年代初頭のベルリン危機やキューバ危機で危うくなった、といった認識は正確ではありませんし、現に危機終結後のフルシチョフは平和共存路線を取り戻しています。<br />
けれどもその戦略はあくまでも攻勢主義なんですね。<br />
ブレジネフ時代の急速な通常軍備拡大もフルシチョフ時代の戦略転換に対応した全面核戦争を前提としたもので、ソ連版の柔軟反応戦略による訳ではありません。極端に言えば二人の軍事戦略には「駆け引きの道具」か「明日の計画」かの違いがあるだけです。</p>
<p>またフルシチョフは確かにジューコフ等を解任していますが、解任される頃のジューコフが既に「先制核攻撃論者」であることはその発言からも確認できます。核兵器開発はスターリン時代から継承されたものですから軍部も核戦略を否定する理由がないのです。</p>
<p>一方、アメリカの柔軟反応戦略が実体を持つのはケネディの大統領就任以降ですし、NATOがそれを受け容れるのはさらに数年後の1967年からです。また、ケネディの危機に対する対処は基本的には柔軟反応戦略の最も「硬い」部分、すなわち大量報復戦略の考え方そのものを以てフルシチョフを圧倒している訳ですね。</p>
<p>冷戦は終わってしまった昔の出来事ですから仕方がないのですけれども、日本で出版された冷戦時代の解説はソ連崩壊前の資料と情報で書き上げられたものが多く、ソ連側の戦略転換を推し量るには当時としては不明点が多過ぎてその辺りがとても曖昧です。<br />
一般に日本人は冷戦を政治思想的な出来事として捉え過ぎているのかもしれませんね。</p>
<p>※名無しさん、せっかくですから立派な御見識に見合うお名前をお使いください。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>名無し より 幻の東部戦線　３４　（平和共存路線はなぜ生まれたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/21/1119/comment-page-1#comment-2173</link>
		<dc:creator>名無し</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 21 May 2012 15:01:28 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1119#comment-2173</guid>
		<description>ソ連軍は攻勢重視に移っていったのは、通常戦力を大きく増強するというブレジネフの戦略が採用されて
70年代に砲兵の自走化やT-72等の新型戦車導入などがおこなわれるようになってからだと思っていたのですが
フルシチョフの時代にはもう攻勢重視になっていたのですか。確かフルシチョフは通常戦力重視派の将軍を多数解任していたはずでしたが、意外ですね。

1960年といえば、アメリカでは柔軟反応戦略が提唱されていて、
ソ連でも核兵器を伴わない局地戦が現実味を持って議論されていましたけど
そういった動きと攻勢重視への転換は関係があったんでしょうかね？</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ソ連軍は攻勢重視に移っていったのは、通常戦力を大きく増強するというブレジネフの戦略が採用されて<br />
70年代に砲兵の自走化やT-72等の新型戦車導入などがおこなわれるようになってからだと思っていたのですが<br />
フルシチョフの時代にはもう攻勢重視になっていたのですか。確かフルシチョフは通常戦力重視派の将軍を多数解任していたはずでしたが、意外ですね。</p>
<p>1960年といえば、アメリカでは柔軟反応戦略が提唱されていて、<br />
ソ連でも核兵器を伴わない局地戦が現実味を持って議論されていましたけど<br />
そういった動きと攻勢重視への転換は関係があったんでしょうかね？</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>MUN より 幻の東部戦線　３３　（東部戦線の向こう側はどうなっていたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/06/1113/comment-page-1#comment-2170</link>
		<dc:creator>MUN</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 20 May 2012 11:10:57 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1113#comment-2170</guid>
		<description>なるほど、勉強になりました。

お忙しい中ありがとうございますf^_^;)</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>なるほど、勉強になりました。</p>
<p>お忙しい中ありがとうございますf^_^;)</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>ＢＵＮ より 幻の東部戦線　３３　（東部戦線の向こう側はどうなっていたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/06/1113/comment-page-1#comment-2163</link>
		<dc:creator>ＢＵＮ</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 18 May 2012 16:11:58 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1113#comment-2163</guid>
		<description>MUNさん

自衛隊に士官、下士官が多いのは平時に軍隊を職業として生活するためです。
そして徴兵制度はある日突然実施することができない制度です。
何年もかけて任期のサイクルを回して戦時に召集できる「訓練済みの兵士」を作っておかないと意味がありません。
現役だけで予備がいないと徴兵制は機能しないんですね。
西ドイツの徴兵制も開始から10年経ってようやくそうした予備を作り出せて軌道に乗っています。
その徴兵制もついに終わってしまいまたが・・。
だから今の若い人が突然兵隊にとられる事態は起こりそうもありません。
軍隊という組織は昔からそうしたものです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>MUNさん</p>
<p>自衛隊に士官、下士官が多いのは平時に軍隊を職業として生活するためです。<br />
そして徴兵制度はある日突然実施することができない制度です。<br />
何年もかけて任期のサイクルを回して戦時に召集できる「訓練済みの兵士」を作っておかないと意味がありません。<br />
現役だけで予備がいないと徴兵制は機能しないんですね。<br />
西ドイツの徴兵制も開始から10年経ってようやくそうした予備を作り出せて軌道に乗っています。<br />
その徴兵制もついに終わってしまいまたが・・。<br />
だから今の若い人が突然兵隊にとられる事態は起こりそうもありません。<br />
軍隊という組織は昔からそうしたものです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>MUN より 幻の東部戦線　３３　（東部戦線の向こう側はどうなっていたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/06/1113/comment-page-1#comment-2162</link>
		<dc:creator>MUN</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 18 May 2012 12:43:32 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1113#comment-2162</guid>
		<description>ご返答ありがとうございます。
忙しくされているんですね。
どなたかも書かれていましたが、長らく記載されてませんでしたので、心配しておりました。
お身体にお気をつけください。

日本軍の件は気長にお待ちしております。

しかし、このお題でも、何故戦後日本が徴兵制をとらずにすんだかが大変わかりやすく、勉強になりました。
今後は、少子化と共に、とらざるを得ないかもしれませんね。
しかし、それとは別に、有事のことを考えますと、いまの自衛隊は士官、下士官が多く、徴兵
となった場合、我々は兵隊になる、というのは本当でしょうか？

ぐだぐだですが、、
すみません。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ご返答ありがとうございます。<br />
忙しくされているんですね。<br />
どなたかも書かれていましたが、長らく記載されてませんでしたので、心配しておりました。<br />
お身体にお気をつけください。</p>
<p>日本軍の件は気長にお待ちしております。</p>
<p>しかし、このお題でも、何故戦後日本が徴兵制をとらずにすんだかが大変わかりやすく、勉強になりました。<br />
今後は、少子化と共に、とらざるを得ないかもしれませんね。<br />
しかし、それとは別に、有事のことを考えますと、いまの自衛隊は士官、下士官が多く、徴兵<br />
となった場合、我々は兵隊になる、というのは本当でしょうか？</p>
<p>ぐだぐだですが、、<br />
すみません。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>ＢＵＮ より 幻の東部戦線　３３　（東部戦線の向こう側はどうなっていたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/06/1113/comment-page-1#comment-2152</link>
		<dc:creator>ＢＵＮ</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 16 May 2012 15:20:48 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1113#comment-2152</guid>
		<description>MUNさん

ご愛読ありがとうございます。
warbirdsは単純に忙しくて書く暇がとれないのです。
殆ど毎日飛行機か新幹線で移動という暮しが続いてますので
手もとに何もない場合が多く様々な質問に答えることができません。
戦時中の日本に関しても何か書こうかと思いますが
そっち方面以外の事を気の向くままに適当に書く、というのが本ブログの主旨なんです。
でもご希望とあらば何か考えますね。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>MUNさん</p>
<p>ご愛読ありがとうございます。<br />
warbirdsは単純に忙しくて書く暇がとれないのです。<br />
殆ど毎日飛行機か新幹線で移動という暮しが続いてますので<br />
手もとに何もない場合が多く様々な質問に答えることができません。<br />
戦時中の日本に関しても何か書こうかと思いますが<br />
そっち方面以外の事を気の向くままに適当に書く、というのが本ブログの主旨なんです。<br />
でもご希望とあらば何か考えますね。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>MUN より 幻の東部戦線　３３　（東部戦線の向こう側はどうなっていたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/06/1113/comment-page-1#comment-2151</link>
		<dc:creator>MUN</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 16 May 2012 12:45:13 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1113#comment-2151</guid>
		<description>本当に毎回楽しみにしております。

最近、warbirdのほうはあまり活動がないのでしょうか。

第二次世界大戦の日本についても
記載いただけますと嬉しく思います。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>本当に毎回楽しみにしております。</p>
<p>最近、warbirdのほうはあまり活動がないのでしょうか。</p>
<p>第二次世界大戦の日本についても<br />
記載いただけますと嬉しく思います。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>ＢＵＮ より 幻の東部戦線　３３　（東部戦線の向こう側はどうなっていたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/06/1113/comment-page-1#comment-2144</link>
		<dc:creator>ＢＵＮ</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 15 May 2012 11:18:08 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1113#comment-2144</guid>
		<description>名無しさん

人的資源についてはワルシャワ条約機構諸国軍が肩代わりしていますね。
西欧諸国と対峙する兵力の半分は衛星国が負担するようになります。

戦略目的と編成ファンさん

第二次大戦型の火力戦を究極まで推し進めると30km程度の縦深制圧が十分にできてしまうので、
あえて火力の集中と継続が難しい上に高価な自走砲に依存する必要がなく、
新しい牽引砲や改良されたカチューシャの系譜で行う強力な計画射撃で攻防共に十分に用が足りたということです。
30km以上の縦深防衛線の構成が西側にとって難題だったことは西ドイツの防衛構想で触れましたが、
通常戦の枠組みで考える限り、当時のソ連軍は西側諸国軍の評価通り、攻防共に無敵の存在でした。
電撃戦で敵の指揮統制を短期間だけ麻痺、無力化するよりも、火力戦で永久に破壊できたからです。
西側が同盟国領内で使用する核兵器である戦術核兵器という無理を強いられたのはこのためですが、
ソ連軍野戦砲兵に比べるとさらにレスポンスが悪く使い勝手の悪い兵器でもありました。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>名無しさん</p>
<p>人的資源についてはワルシャワ条約機構諸国軍が肩代わりしていますね。<br />
西欧諸国と対峙する兵力の半分は衛星国が負担するようになります。</p>
<p>戦略目的と編成ファンさん</p>
<p>第二次大戦型の火力戦を究極まで推し進めると30km程度の縦深制圧が十分にできてしまうので、<br />
あえて火力の集中と継続が難しい上に高価な自走砲に依存する必要がなく、<br />
新しい牽引砲や改良されたカチューシャの系譜で行う強力な計画射撃で攻防共に十分に用が足りたということです。<br />
30km以上の縦深防衛線の構成が西側にとって難題だったことは西ドイツの防衛構想で触れましたが、<br />
通常戦の枠組みで考える限り、当時のソ連軍は西側諸国軍の評価通り、攻防共に無敵の存在でした。<br />
電撃戦で敵の指揮統制を短期間だけ麻痺、無力化するよりも、火力戦で永久に破壊できたからです。<br />
西側が同盟国領内で使用する核兵器である戦術核兵器という無理を強いられたのはこのためですが、<br />
ソ連軍野戦砲兵に比べるとさらにレスポンスが悪く使い勝手の悪い兵器でもありました。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>戦略目的と編成ファン　スキピオ・クマさん より 幻の東部戦線　３３　（東部戦線の向こう側はどうなっていたか？） へのコメント</title>
		<link>http://stanza-citta.com/bun/2012/05/06/1113/comment-page-1#comment-2142</link>
		<dc:creator>戦略目的と編成ファン　スキピオ・クマさん</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 15 May 2012 09:13:33 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://stanza-citta.com/bun/?p=1113#comment-2142</guid>
		<description>＞ソ連にとって戦争末期に転がり込んで来た東欧の勢力圏は望外の大きな収穫で、これを持て余していた・・・

　やはりそうでしたか、貧しい国が経済的・文化的に進んだ国を支配していくのは何かと大変でしょうね。　普通に考えるとコメコン内の計画生産でも、資源と付加価値の低い川上の原材料産業はソ連が、デザイン性など付加価値の高い最終製品は東独・チェコ・ハンガリーに割り当てることになりそうです。

それに平時の大軍というのは、働く体力があっても生活保護を受けている人の大群みたいでＧＤＰに寄与しないし、政治力が強くて自己増殖力も強い・・・、国家財政は厳しかったのでしょうね。

1970年代まで自走砲が配置されなかった理由が半分理解できました。
防御を主とした場合、大砲の数が沢山あれば撃ち負けないので、迅速に移動する必要が薄いと解釈して良いでしょうか？</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>＞ソ連にとって戦争末期に転がり込んで来た東欧の勢力圏は望外の大きな収穫で、これを持て余していた・・・</p>
<p>　やはりそうでしたか、貧しい国が経済的・文化的に進んだ国を支配していくのは何かと大変でしょうね。　普通に考えるとコメコン内の計画生産でも、資源と付加価値の低い川上の原材料産業はソ連が、デザイン性など付加価値の高い最終製品は東独・チェコ・ハンガリーに割り当てることになりそうです。</p>
<p>それに平時の大軍というのは、働く体力があっても生活保護を受けている人の大群みたいでＧＤＰに寄与しないし、政治力が強くて自己増殖力も強い・・・、国家財政は厳しかったのでしょうね。</p>
<p>1970年代まで自走砲が配置されなかった理由が半分理解できました。<br />
防御を主とした場合、大砲の数が沢山あれば撃ち負けないので、迅速に移動する必要が薄いと解釈して良いでしょうか？</p>
]]></content:encoded>
	</item>
</channel>
</rss>

