幻の東部戦線 42 (柔軟反応戦略とはどんな考え方か?)

1960年代のNATO軍は大幅な戦略転換を迫られます。それはヨーロッパに核の傘を差し掛けているアメリカの核戦略が大きく変化したからです。ケネディ時代に採用された柔軟反応戦略として知られる新しい核戦略どのようなものだったのでしょう。

 

アメリカの核戦略は政権によって変化しているように思える部分もありますが、歴代大統領は核戦略そのものに手を触れることは殆ど無く、ニクソン、キッシンジャー時代までの核戦争はほぼ100%軍人の占有物です。大量報復戦略の根幹をなす単一包括戦略(SIOP)に大統領自身が口を出すことはありません。そもそも単一包括戦略とは陸海空軍の三軍でバラバラに運用する核兵器による戦争を統一しようという考え方ですが、結局のところ核戦略の主導権を空軍が握る、という結果になっています。

 

けれどもアイゼンハワー時代から大統領自身に「どうも弾頭数が多過ぎるのではないか」との疑問が浮かぶようになります。ソ連の核武装が進展するにつれ核戦争へのハードルが余りにも低くなっているのではないかとの危惧です。政権を受け継いだケネディ時代にはその危惧はフルシチョフとの度胸勝負となったキューバ危機で最大となります。運用が単純で軍人の戦略的専門性に頼らない、という点で核兵器は政治家の武器として史上稀に見るほどに扱いやすい存在でしたが、一旦、全面核戦争に突入した後、世界が、あるいは自国がどうなるか、という点を考えると当たり前のことながら頭が痛い問題でもあります。

 

それではどんな紛争にも核兵器を以て介入するという姿勢ではなく、通常兵器による限定的な侵略に対しては通常兵器で対応し、通常兵器による軍備で通常兵器による侵略戦争を抑止できるように構えるべきではないか。全面核戦争までの間に段階を置く事でより効果的な戦争抑止を実現できるのではないか、という模索が始まります。これが柔軟反応戦略の骨格となっています。1970年代の核戦略見直しは全面核戦争に突入後も、核戦争の中にさらに段階を置いて、政治的な対応や交渉の余地を残そうというものでしたが、1960年代の核戦略見直し論である柔軟反応戦略は、核戦争に至る前に幾つかの段階を踏むようにする、という工夫です。

 

通常兵力による抑止を実現するために、今まで軽視して来た通常兵力を再評価して充実させようという動きが始まりますが、ケネディ政権がこの戦略を打ち出して数年の間、柔反応戦略は仮想的であるソ連にとって「到底信じられない発想」として相手にされません。通常兵力では第二次世界大戦以来の大兵力と強力な野戦砲兵を擁するソ連軍が優位に立つに決まっているからです。アメリカとNATOにとって余りにも不利な戦略をあえて採用する裏には何かがある、という疑念が生まれ、1960年代のワルシャワ条約機構諸国の軍事指導者は様々な見地から柔軟反応戦略をアメリカの謀略として糾弾するようになります。

たとえばフルシチョフ以降の核軍備推進とブレジネフ時代の大規模な軍備拡大の負担にあえぐ東欧諸国では、柔軟反応戦略とはアメリカが経済力に劣る東側諸国に仕掛けた経済戦争であるとの批判まで飛び出します。東側の軍事常識では理解しがたいものがあったのです。

 

柔軟反応戦略に対する疑念という点では同盟国であるNATO諸国も同様でした。柔軟反応戦略を採用するということは、西欧諸国の安全保障の根幹をなすアメリカの核戦力がヨーロッパから手を引いてしまうことではないか、対ソ戦が勃発してもアメリカは核戦力で介入して来ないのではないか、という根本的な不安が根強く、NATO諸国の結束を揺るがしかねない勢いとなってきます。とはいうもののソ連の核武装はどんどん進展して1960年代後半にはアメリカと肩を並べる勢いとなって来ていますし、アメリカは時には辛抱強く、時には強硬にNATO諸国の説得を続けていましたから、いずれ妥協が生まれます。

 

これが1967年に起きたNATOの戦略転換です。NATO軍は大量報復戦略を捨てて通常兵器による戦争抑止の実現へと舵を切ることになります。その余波としてNATOの軍事同盟からフランスが離脱し、独自の核戦略を築くことになりますが、もともとNATOへの軍事的な関与が微妙な色合いをもっていたフランスの脱落はかえってNATO諸国間の調整を簡単にしたということもできます。大陸で戦いたくないイギリス、ドイツの再軍備を快く思わないフランス、目覚ましい経済復興と共にNATOの防衛線をライン川より前進させたいドイツという三つ巴のNATO内部がフランスの脱落で単純化されたからです。

 

そうはいっても通常兵器による軍備増強はNATO諸国にとって一朝一夕に実現できるものではありません。どこの国も軍事予算を増額することは難しく、またあえて軍備増強を推し進める気もありません。総論賛成各論反対の通常軍備増強政策はNATO諸国の間で1980年代まで延々と続く大問題でした。けれどもその中で柔軟反応戦略を素直に受け容れて通常軍備の根本的改革に乗り出した国があります。

当然といえば当然、それはドイツ連邦共和国でした。

2月 20, 2013 · BUN · 4 Comments
Posted in: 西ドイツ再軍備, NATO, 冷戦, 核戦争

4 Responses

  1. belka - 2月 22, 2013

    お久しぶりです。
    核戦争から通常兵器でのぶつかり合いにしようという試みだったんですね。
    相手が核を撃てばこっちも撃つぞ、という今の構造がここで生まれた
    のでしょうか。
    ドイツにとっては核戦争で国土が荒廃しない分、
    通常兵力で持ちこたえさえすればNATOからの反攻を期待出来るとむしろ良かった一面さえありそうに思えます。
    更新楽しみにしています。

  2. 唯野 - 2月 24, 2013

    更新お疲れ様です。
    歴史群像でオチまで書いちゃったのでこのシリーズはもう更新されないのかも、と思っていました。

  3. BUN - 2月 24, 2013

    belkaさん

    核戦争に突入するまでに段階を追って政治が介入する余地を作ろうとしているんですね。やがて核戦争が始まってからもそれをやろうと模索するようになります。

    唯野さん

    たしかに。テーマが重なってしまうと気を遣いますね。

  4. 氷雪 - 8月 17, 2013

    はじめまして。
    単にわかりやすかったりおもしろい解説よりも、当時の人がどういう状況で何を考えてどうしたのかわかる記事は興味深く、楽しく読ませて頂いております。

    こちらの記事に「幻の東部戦線」タグがついていないのに気づきましたので、お手隙の際に御対応頂けると読む際に助かります。

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