幻の東部戦線 20 (スターリン最後の反撃)

 朝鮮戦争が西欧諸国に与えた衝撃は翌1951年後半頃にはすっかり醒めてしまいます。極東の戦争がヨーロッパには飛び火してこないとほぼ確信されたからですが、ドイツ国内の再軍備気運も同時に落ち着いてしまいます。こうした隙を突くようにして提示されたのがソ連からのドイツ中立化提案でした。

 

 西ドイツの再軍備はNATOの傘下に入る前提がある限り西欧諸国にとっては非常に有望な計画でしたが、東側、すなわちソ連にとっては今まで通常兵力で話にならない程に弱体だったNATO軍に西ドイツ軍が加わることは無視できない問題でした。核戦力での劣勢を通常戦力での優勢で補っていたソ連にとって新しい西ドイツ軍の誕生は絶対値として12個師団以上の地上兵力増強と新たな海空軍部隊の出現を意味していますから冷戦の行く末を変える一大事です。

 

 そこで病床にあった晩年のスターリンは最後の取引を持ち掛けます。その切り札は「ドイツの再統一」でした。再軍備も容認するがNATOとは距離を置き、中立政策を採れ。そうすれば東西ドイツの統一も許すし、東ドイツからのソ連軍撤退にも応じる、という申し入れが行われたのです。強烈な反共主義者のアデアウアーもこの申し入れには少し揺らぎます。なぜならドイツの再統一はこれから長い道を歩みつつ進めて行く国家再建のゴールだったからです。それがいきなり提示されて動揺しない方がおかしいのです。

 

 スターリンの要求はシンプルでした。非武装中立ではなく再軍備を容認して東西ドイツの統一も認める。そしてソ連軍も撤退させる。その代り、ドイツ国内の西側占領軍もそれぞれ撤退してドイツを東西両陣営の緩衝地帯とせよ、というものでした。さすが怪物政治家だけあって思い切った提案ですが、西ドイツ政府はきわめて懐疑的に受け取っています。

 なぜならソ連がヨーロッパの中央にたとえ中立政策を採るとしても強力な統一ドイツの復活を許すはずがない、という疑念が根強くあったからです。第一次世界大戦後のドイツが急速に復興して第二次世界大戦で全ヨーロッパを戦争に巻き込んだことはまだ歴史というには生々しい記憶でしたし、そんなリスクをスターリンが容認するとはどうにも疑わしいことです。とはいえ、再統一という言葉はどうしようもなく魅力的でした。

 

 では西欧諸国にとってドイツ中立論はどんな意味を持っていたのでしょう。1950年頃までのドイツ脅威論からしてみればNATOに属さない統一ドイツなどは百害あって一利も無い話でした。そしてライン川を主防衛線とする防衛計画はドイツ国内からの撤退を前提とする以上、成り立ちません。最前線は独仏国境ということになり、イギリス軍主力はデンマークへ、イギリス軍の一部とオランダ、ベルギー軍は北へ、フランス、アメリカ軍はフランスへと撤退しますからNATO軍の防衛線はドイツの北海沿岸部によって分断されてしまい、補給線も分割され、何よりもただでさえ不足していた防衛側の縦深が無くなってしまいます。これでは戦後初期のアメリカ軍の防衛計画だった「オフタックル」のようにピレネー山脈を収容陣地とする後退戦に逆戻りしてしまいます。

 

 このため、西欧諸国からはドイツ中立論についてそれぞれ独自の対案が提示されます。緩衝地帯をどこからどこまでにするかといった点や、EDC構想下のヨーロッパ共同軍はドイツ国内に展開することを認めるなど、細かな修正案が各国から出て来ますが、どれも大きな違いはありません。これから再建されるドイツ軍がNATOに加わらない、という条件が動かし難ければ本質的な問題は変わらないからです。せっかく再軍備に根強く反対するフランスを説得しかけたところなのに、まったくソ連は良いところを衝いて来ました。

 

 そしてNATOと西ドイツは統一ドイツが実現した場合、ドイツにとっての国防所要兵力がどれくらいになるか、といった点まで試算しています。

 

ソ連軍がソ連本国にまで撤収する場合

NATOに参加する統一ドイツ 12個師団

中立を選択した統一ドイツ  16個師団

ソ連軍がポーランド等東欧諸国に留まる場合

NATOに参加する統一ドイツ 16個師団

中立を選択した統一ドイツ  26個師団

 

 この試算はソ連軍が遠く本国まで撤収するならばもしソ連が侵攻する場合でも西側からの援軍が間に合うので兵力が少なくて済むが、ポーランドに留まるようだと兵力増強が必要だという点と、もう一つ、どちらにせよ中立は軍備的に高くつくのでぜひともNATOに参加すべきである、というアメリカと西欧諸国からの提言でもあります。

  こうしたソ連からの再統一と引き換えのドイツ中立化提案は1952年3月に始まり、1955年2月にも再度行われますが、結局、史実の通りソ連側提案は実を結びませんでした。ドイツをNATOから引き離すためにはかなり有効なアプローチでしたが、アデナウアー政権を説得できなかったのはアデナウアーの徹底した反共的姿勢もさることながら、交渉途中の1953年にスターリンが病没してしまったことも見逃せません。権力継承にまつわる混乱の中で、肝心なタイミングでレスポンスできなかったのです。

  多少余計な話ですが、ソ連のドイツ中立化提案は単にドイツだけの問題ではなく、「労働者の祖国」であるソビエト連邦が平和的姿勢で交渉に臨んでいるという世界各国への強力なアピールでした。そして中立化提案はNATO軍を後退させてヨーロッパでの通常戦力の優位を確立することとだけでなく、ソ連の国防上、最大の脅威であるアメリカの核戦力をも抑え込もうとする意図を含んだ動きの一つでもあります。ドイツと並ぶもう一つの最前線である極東の某国では、なぜかこのタイミングでアメリカの原爆投下を糾弾する反核平和運動が始まります。

 

 幸か不幸か再統一と引き換えの中立案という寝技をかけた所でスターリンがこの世を去ってしまったという隙をついて、ドイツの再軍備は大きな反撃を受けずに実現することになります。

 ただ、この中立提案がドイツの再軍備案にまったく影響が無かった訳ではありません。西ドイツにとってはもう一つ、国防上の悩みどころがあったからです。

12月 10, 2011 · BUN · 6 Comments
Posted in: 西ドイツ再軍備, NATO, 冷戦, 幻の東部戦線

6 Responses

  1. モーター - 12月 10, 2011

    スターリンがそんな提案をしていたとは知りませんでした。確かに統一が実現してドイツを中立に追い込めていたら、ソ連にとって冷戦はもう少し楽に展開したかもしれませんね。ドイツも今とはかなり違った国になっていたかもしれません。
    統一を本当に許すのか? という大きな疑念があることもまた事実ですが。

    将軍的には、かなり面倒な提案だったと思いますが、これまでの流れを見ると、何だかんだで中立を守るための連邦軍を創設しそうです。防衛コストを考えると、断って正解だったかもしれませんね。

  2. - 12月 11, 2011

    >>なぜかこのタイミングでアメリカの原爆投下を糾弾する反核平和運動が始まります。
    ドイツの再統一と中立化に成功していれば次は極東の某島国の番だったんでしょうね。

  3. uuchan - 12月 11, 2011

     スターリンは西側の核戦力がよほど恐ろしかったのでしょう。
     統一ドイツの中立化も、西側の核戦力の恐ろしさをたてに(極東の某国のような市民運動を通じて)すれば、東側に取り込めるという自信があったのかもしれません。統一すると反共のアデアウアー政権もいつまで続くかどうかわかりませんですし。
     また、統一ドイツも核を保有する可能性がありそうです。なんといっても科学のことでは優れた国です。

  4. スキュラ - 12月 11, 2011

    なんとなくこう、スターリンがもう一年長生きしてたら
    もうほんのチョッとだけ平和な世の中になったんじゃ
    なんて考えてしまったり(笑)

  5. 戦略目的と編成ファン スキピオ・クマさん - 12月 12, 2011

    統一ドイツの武装中立案ですか、いろいろな寝技が仕掛けられたんですね。60年前の事とは言え、妙にリアル感がありますね。
    話が纏まりかけると面白かったですね。そうするとイギリス情報部辺りが「将来ドイツとソ連が手を組んでフランスに攻めてくる下準備」なんて噂を流すでしょうね。フランスは狼狽するでしょうが、その時フランス共産党(第1党を窺う勢い)が祖国を取るのか or 理念を取るのか、見てみたい気分にはなります。(他人の事だし、フランス共産党は天邪鬼であろうから)結局ドイツ軍をNATO傘下に収めて、首根っこを押さえておくことが一番安全という結論に達するでしょう。・・・でもフランスは天邪鬼だから別な道を探す???
    詰まるところは、ドイツ再軍備プランの遅滞戦術では?

  6. BUN - 12月 13, 2011

    モーターさん

    鋭いですね。中立なら中立なりに再軍備案があって「将軍の出番」がある・・。
    これはなかなか、です。

    杜さん

    日本とドイツの軍事組織を比べると、何だか日本の方がまともな主権を保っているような気がします。

    uuchanさん

    スターリンは流石に年季の入った政治家だと思います。
    怖がるべきものを怖がれるという点で毛沢東などとは比べものになりませんね。

    スキュラさん

    はい、何となくそんな気もいたします。

    戦略目的と編成ファンさん

    さて、どうでしょう。
    オーストリアで実際にやったことをドイツに適用しようとしているだけですから。

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