幻の東部戦線 18 (「機動戦」と「前方防御」)

 ヒンメロート会議での討議内容をまとめた「意見書」は西ドイツ再軍備のマグナカルタと呼ばれるほど、それに続く軍備計画の骨格作りに影響を与えています。総兵力50万人、陸軍12個師団、34万人、残りが海空軍という今に続く枠組みも「ヒンメロート意見書」の中に盛り込まれたものです。ただ、ここにはあまり目新しい主張はありません。それまでに発表された元将軍達の見解を取捨選択した上で総合的に組み立てたものでしたし、「意見書」の多くの部分は純軍事的な内容より、精神、教育、倫理といった面に割かれています。

 

 敗戦後、非難の的となっていた元ドイツ軍人の名誉と待遇の回復、誹謗中傷の即時停止など、当時としてはとても切実だった問題の解決をアデアウアー政権に迫るもので、こうした要求に対して翌年にはアデナウアー首相自身が「ドイツ軍人は勇敢に戦った英雄的人々である」と公的に宣言することになります。元将軍グループにとっては軍備の詳細や防衛戦略よりも大戦に参加した将兵の地位向上や恩給の獲得などの方が現実味のある切迫した問題でしたから無理のない話です。

 

 機動警察構想を否定して本格的軍備に直接向かうことを提言している点は大きな変化ではありますが、タイムスケジュール的にはさして変わりはありません。12個師団の編成と装備の完成はそう簡単にはできないからです。西ヨーロッパの防衛構想についても当時のNATO中枢の考えと大きく異なる部分は無く、対ソ戦が勃発した場合、西欧にある連合軍と共に戦い、アメリカ軍の増援部隊の到着と反撃開始まで持ち堪えるという基本構想は同じです。

 

 ただし、NATOの防衛計画はあくまでもライン川を防衛線として位置づけていますから、国土の大半がライン川東岸にある西ドイツにとってこの防衛計画だけは受け容れ難いものがありました。エルベ川からライン川までの地域を遅滞戦闘の場として消費してしまうNATOの戦略では西ドイツは国土の西の端しか守られず、たとえ戦争に勝利できても全国土を移動する戦線が舐めつくし、戦後の荒廃は第二次世界大戦以上となる可能性がありました。

 

 それを避けるには何としてもエルベ川からライン川までの守り難い平坦な地域でソ連軍を支えなければなりません。そのための必要兵力は最低25個師団と算定され、その半数をドイツ師団で担うという考え方から12個師団という兵力規模が主張されています。それでもこの地域で遅滞戦闘を行いながら主防衛線であるライン川まで退却するNATOの防衛計画の下では、残り半数の西欧諸国軍がドイツ国土を死守してくれるとは限りません。国土の防衛はドイツ軍によってしか達成できないとの考えで12個師団は「全て戦車師団」であるべきだと主張されます。

 

 最新装備で定数を満たした12個の戦車師団というかつての東部戦線でさえ夢のような陣容で西欧諸国の師団群を補助兵力としてソ連軍の侵攻を迎え撃ち、押し返すという発想の根源にあったのは1943年春、スターリングラード戦後のソ連軍攻勢を機動防御で打ち破ってクルスク攻勢の基盤となったマンシュタインの戦い振りでした。それが元将軍達にとってかつての対ソ戦における唯一の「財産」だったからです。同じようにやればまた勝てると考えたのです。

 

 このように「ヒンメロート意見書」の防衛構想のキーワードはエルベ川からライン川にかけての地域で行う攻撃的な「機動戦」と、それによってライン川より東で守るという「前方防御」構想です。その闘いで敗れて、初めてライン川まで退却し、その後方に控える連合軍30個師団に合流するという2フェイズの防衛計画が特徴なのですが、12個の戦車師団が機動防御の末に敗れた後の絶望的な状況など殆ど考えても仕方がありません。それよりも注目しておくべき点は「ソ連軍を撃破したあと」のことです。ドイツの元将軍達はエルベ川を越えて進撃し旧国土の回復を目指すことを重視していました。東ドイツとポーランドに併合された旧プロシア地域を奪い返すことが「第三次世界大戦」にドイツが参加する意義だとの発想です。西ドイツ軍にとって敵前線の後方地域は「敵地」ではないんですね。

 

 こうした「機動戦」と「前方防御」の発想は初期のNATO構想と対立するものでしたが、結果的にNATOは戦後の長い時間をかけてゆっくりと防衛計画をシフトして行きます。ドイツが西欧防衛に参画する以上、いずれはそうなるべき流れがあったのです。

11月 22, 2011 · BUN · 7 Comments
Posted in: 西ドイツ再軍備, NATO, 冷戦, 幻の東部戦線

7 Responses

  1. マンスール - 11月 25, 2011

    第2次大戦後の話は今生きている人間の生活に直結するので、格段に生々しく感じられます。

    旧独領東端のポーランドへの割譲は、ソ連による旧ポーランド東部の併合と密接に関わっています。旧プロシア奪回はこの一連の動きを押し戻すわけです。ソ連を完敗させた上でポーランド全体をもう一度戦前の位置に戻すか、ソ連とは適当なところで手を打って第4次ポーランド分割に持ち込むのか、どちらかでしょう。旧将軍連は本気かよ?と思いますが。

  2. BUN - 12月 2, 2011

    マンスールさん

    そうですね。本気かよ、と思っちゃうんですが本気なんですね。
    ソ連の話も触れるつもりでいますのでお待ちください。

  3. 戦略目的と編成ファン スキピオ・クマさん - 12月 5, 2011

    旧将軍連は本気かよ?と思いますが。
    機動防御からの反撃がピタッと決まって、一気にソ連との旧国境まで追撃してしまえば、条件付ながら有り得るストーリーのような気がします。
    ポーランド人の地域は米英仏軍が守り、ウクライナとの前線に拘束された状態が暫く続いて、かつ講和が結ばれないという条件下です。勿論、旧プロシャやドイツ系住民の地域はドイツ軍が守ることになります。その間にドイツ系の地域では住民投票でドイツに編入というストーリーは否定できないでしょう。米英仏はそのような事態にならないように行動するでしょうが、戦場には戦場の論理があるので、予めストーリーを描いておいて、戦場の変化スピードをコントロールしていく必要があります。
    ドイツ系住民の編入となれば、世界中から避難を浴びるので、その都度国際監視下で住民投票をすることになるでしょうが、何回もドイツ編入派が勝てば、正面から反対する理由がなくなるような気がします。
    アメリカの支援が減るでしょうから、ドイツの産業が復活していることに加えて、敵の補給物資を沢山分捕っていて、暫く戦えることも条件です。
    こういったifに思いを巡らすのは楽しいですね。ドイツの将軍達が「戦いが動き出したら失地挽回のチャンスを掴めるように準備しておく」と考えるのは正道だと思います。実際・・・歴史を見てみると「幸運がいくつも重なる」ことってありますよね。

  4. rabbit - 12月 7, 2011

    第二次世界大戦終了後にチェコ等の東欧在住のドイツ系住民は、一千万人単位で追放されて西ドイツに強制移住させられたとのこと。
    だからこそ旧ドイツ地域を奪い返すことが将軍たちの夢だったのでしょう。
    しかし、かつてそこにあったドイツ系地域は既に存在せず、住民投票による編入といった手段は実行不可能ではないでしょうか。

  5. BUN - 12月 7, 2011

    対ソ戦下のポーランドの主要都市はソ連から前線までの輸送拠点として核攻撃の目標ですから、何処の国が分捕るかといったような話の前に大変なことになってしまっているはずで、何にせよあんまり楽しい想像じゃないですね・・。

  6. 戦略目的と編成ファン スキピオ・クマさん - 12月 7, 2011

     第二次世界大戦終了後にチェコ等の東欧在住のドイツ系住民は、一千万人単位で追放されて西ドイツに強制移住させられたとのこと。・・・
     全く知りませんでした。「プロイセン帝国」や「ドイツ騎士団領」に昔から住んでいたドイツ系住民は西ドイツに追放になっていたんですか。教えて頂いてありがとうございます。
    民族間の対立を無くすという意味では、根本解決になりますね。しかし、1000万人単位とは、すごい話ですね。
    西ドイツは、敗戦+強制移住と「陰の極み」に立たされたことがバネになって、結果的にEU内で一人勝ちの経済に成長できたのでしょうね。(賠償金額がどのくらいの額か知りませんが、イギリスのように戦時中の赤字国債の償還に苦しまないという面もあったのかな???)
    これからも貴重な情報を教えてください。

  7. BUN - 12月 8, 2011

    現在Bund der Vertriebenen(追放者同盟)が主張する数字が戦時中の占領地に進出した移住者をも含めて1500万人ですから、1000万人を超えたとしても「1000万人単位」といった表現はちょっとオーバーですね。

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