幻の東部戦線 17 (決戦 ヒンメロート会議)

 国内の解説書には朝鮮戦争の勃発によって西ドイツの再軍備が開始されたとほぼ例外無く書かれています。けれども再軍備については今まで紹介した通り、1950年6月の時点では大筋は決定してシュヴェーリン構想が動き初めていました。朝鮮戦争があっても無くても1950年代前半には機動警察構想が実現し、1950年代後半には実質的な国軍へと変貌していたことでしょう。これは現実の西ドイツ再軍備と同じペースです。

 

 朝鮮戦争という事件は無視することのできない重大事件ではありましたが、ヨーロッパ正面の軍事情勢を一変させるような出来事ではないのです。

 イギリス軍は情報分析の結果、即時のソ連軍侵攻はあり得ないと判断していますし、アメリカも同様です。そしてドイツの元将軍達でさえ冷静でした。主要な人物は対ソ諜報活動でアメリカに協力していたゲーレン機関の情報に触れる機会があったからです。たとえば元陸軍参謀総長で対ソ戦の事実上の責任者だったハルダーも「ソ連軍侵攻は当面あり得ない」と判断しています。はるか極東とはいえ、東西両陣営による分断国家で共産主義勢力の側からの侵攻が始まったにも拘わらず落ち着いた態度でした。

 

 このように軍事のプロフェッショナル達は冷静に事態を眺めていましたが、西欧諸国での朝鮮戦争による心理的なショックは大きく、基本的に在野のジャーナリストであるリデルハートは戦争勃発のニュースを聞くと居ても立っても居られず、直ちにイギリスを発って西ドイツに入り、「同じような侵攻がヨーロッパでも発生する!」と各方面に向けて警鐘を鳴らし始めます。その結果は不安を煽るばかりで何の役にも立ちませんでしたが。

 

 こうした雰囲気を感じ取った元将軍達は現状のシュヴェーリン構想のような段階的再軍備ではなく、もう少し自分達寄りのルートを辿るようなよりストレートな計画に修正する機会が生まれたのではないか、と思い始めます。その為にはもう一度、対ソ戦のエキスパートである自分達の存在価値を強調しなければならないし、緩急硬軟それぞれの再軍備論を統一しなければならないだろうと考え始めます。再軍備に関して戦争のプロ達の意見を聞き、一つの見解にまとめる会議を半ば公式な形で実現しようという計画です。

 

 元将軍グループとアデナウアー政権とのパイプはドイツ連邦政府の成立以来、アデナウアーの閣僚であるヴィルダームート(Wildermuth)によって繋がっていました。ヴィルダームートは終戦時に国防軍の大佐で戦時中のインフレ昇進システムの中でも残念ながら「将軍」にはなり損ねていましたが、元将軍グループの意見をアデナウアーに伝える重要な役割を担っていました。将軍になれなかったことで免罪符を得たかたちです。将軍よりも遥か大量に存在したナチスドイツ軍の佐官クラスまで追放してしまったら戦後社会が立ち直れませんから、国防軍将校の軍歴があっても戦争犯罪に無縁で運と実力のある人物は政治家として活動し大臣にもなれたのです。

 

 閣僚内にあって元将軍グループのスポークスマンでもあったヴィルダームートは当然のことながら元将軍グループ復権の障害であるシュヴェーリンを敵視しています。元将軍達への義理や同情からではなく「自分こそが初代国防大臣に相応しい」との自負を包み隠さず持っていたからです。再軍備問題に関する軍事エキスパート会議を実現させることが将来の国防大臣への道を開く大仕事なのだとヴィルダームートは考えたようで、精力的に活動を開始します。

 

 こうした動きはシュヴェーリンにとっては面白くありません。既に米英が認めていた段階的な再軍備案が具体化しようとしていた時期にOKHの生き残りが再集結して何らかの統一見解をまとめるような会議を自分抜きで開催されては堪らないからです。けれどもシュヴェーリンにはこの動きを止める政治力がありません。イギリスの後押しで安全保障アドバイザーに就任したシュヴェーリンには政権内部に有力な盟友が居なかったのです。そしてアデナウアーは朝鮮戦争という事件に対して、戦争プロフェッショナル達のように冷静な見通しを確信できないため、再軍備計画について元将軍グループの意見を聞きたいと考え始めます。元将軍達に勝手気ままに百家争鳴されるより統一見解を持たせた方が対応しやすいからでもあります。

 

 シュヴェーリンは会議の計画が自分抜きで持ち上がって来たことに抗議しますが、アデナウアーが認めた以上、問題はシュヴェーリン側と元将軍グループ側とでいったい誰を会議に送り込むかに絞られ、会議はシュヴェーリン構想と元将軍グループとの決戦場の様相を示し始めます。アデナウアーもそうした対立を理解していたようで、今度は元将軍グループ側のヴィルダームートに「現閣僚の会議出席は国民感情への配慮から許されない」と釘を刺します。

 

 こうして1950年10月にヒンメロート修道院で3日間にわたり開催された将軍達の会議は一般に西ドイツ再軍備に向けてのスタートを切った出来事として知られていますが、実態は既に固まりかけていた段階的再軍備計画の修正をめぐるシュヴェーリンと元将軍グループとの決戦の場でした。実際の会議は旧陸軍、旧海軍、旧空軍の元将軍達の代表者が出席しいくつもの分科会を構成する組織的なもので、元将軍の一人であるシュヴェーリンも状況説明を担当して2日間にわたり参加しています。そして会議のメンバーは次のように決まっています。

 

統轄議長

ハインリッヒ フィーティングホーフ上級大将(C軍集団司令官)

軍事政治分科会

議長

ハンス シュパイデル中将(B軍集団参謀長)

メンバー

ルドルフ マイスター大将(空軍人事局長)

フリードリッヒ ルーゲ中将(海軍造船局長)

エーベルハルト ノスティッツ大佐(第二戦車軍参謀長)

 

総合分科会

議長

ヘルマン フェルチュ大将(F軍集団参謀長)

メンバー

ロベルト クナウス大将(空軍大学校長)

ヴォルフ バウディシン少佐(アフリカ軍団参謀)

ホルスト クリューガー少佐(空軍)

 

組織分科会

議長

アドルフ ホイジンガー中将(参謀本部作戦課長)

メンバー

ハンス レティガー大将(C軍集団参謀長)

ルドルフ マイスター大将(空軍人事局長)

ヴァルター グラディッシュ大将(ベルリン軍法会議議長)

ヨーハン キールマンセグ大佐(第11装甲擲弾兵連隊長)

 

訓練教育分科会

議長

フリードリッヒ ゼンガー大将(第14戦車軍団長)

シュルツ ヒンリンクス大佐(海軍大学教官)

ホルスト クリューガー少佐(空軍)

 

 

 会議のメンバーはこのような構成で、陸軍から9人、海軍、空軍から3人ずつが選出されています。各分科会は新たに問題を討議したというよりも、それまでの見解を整理統一する作業を行っています。そして、暗闘の場として眺めるとシュパイデル、ホイジンガー、フェルチュ、ゼンガーといった将軍グループのリーダー格が分科会の議長を務め、シュパイデル達に距離を置いた立場の人物は統轄議長のフィーティングホーフとハンス レティガー程度という圧倒的な情勢でした。海軍、空軍のメンバーは必ずしもシュパイデル、ホイジンガー、フェルチュといった元将軍グループの見解に同調した訳ではありませんが、西ドイツの再軍備にとって海空軍はあくまでも脇役でしかありません。

実力をぶつけ合う戦いこそありませんが、この会議でのシュヴェーリンは「関ヶ原の石田三成」のようなものでした。

11月 4, 2011 · BUN · 2 Comments
Posted in: 西ドイツ再軍備, NATO, 冷戦, 幻の東部戦線

2 Responses

  1. モーター - 11月 6, 2011

    昔に、ドイツ軍について書いてあった本に政治には関わらないで云々カンヌン、とか言うのがあったのを思い出しましたが、あれは何時の話だったんだろう、と思ってしまいます。
    シュヴェーリンは経緯が経緯何ですから、政権内に協力者なんてほとんどいないわけだから、こういった会議をすると、将軍グループが有利そうですね。

    しかし、これまでとは違う意味で生臭い話が続いてるなあ。

  2. BUN - 12月 2, 2011

    レスが大幅に遅れてごめんなさい。
    確かに生臭い話ばっかりですね。
    本当はもっと兵器やら戦術やらの話をしたいんですけれど重ねてごめんなさい、です。

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