幻の東部戦線 15 (反逆児シュヴェーリン)

 1950年4月にアデナウアーの安全保障問題アドバイザーが任命されます。この職名はあくまでもアドバイザーですが、その下に組織を持っている事実上の国防大臣のようなものでした。アデナウアーは首相に就任するとまもなく国防軍の将軍達を組織化して再軍備についての研究を開始していましたから、ハルダーやシュパイデル、ガイル、ホイジンガーといった「非ナチス的」将軍グループから安全保障アドバイザーが選ばれるものとアデナウアー自身も将軍達も考えていましたが、現実にはそうなりません。

 ドイツの再軍備について米英仏には明確な温度差があります。ドイツから最も遠く大西洋を隔て、何といっても核爆弾を持つ戦略空軍を擁するアメリカにとってはドイツの再軍備はほとんど脅威と看做されていません。アメリカ占領軍が水面下でドイツの元将軍グループを援助したのはこうしたアメリカ側の基本的な認識があります。これに対してドイツと国境を接するフランスはドイツの占領下から解放されたばかりで、軍備どころか国土の再建を優先しなければならない状態でしたから経済的なポテンシャルのあるドイツの再軍備がその質と量と速度で、なかなか進まないフランスの再軍備を上回ることを恐れていました。

 そしてイギリスの立場は微妙です。イギリスの国家戦略にとってヨーロッパ大陸の防衛は全てではありません。フランスと同じようにドイツの再軍備についての疑念は当然持っていましたが、ヨーロッパ大陸の防衛はイギリスの世界戦略の一部でしかありませんから、イギリスは大陸にいつまでも遠征軍を張り付かせ、膨大なドイツ占領コストを負担し続ける気などさらさらありません。イギリスもまたアメリカと同じように大陸でソ連軍の大兵力と最後の一兵まで死闘を演ずるつもりは無いのです。

 こうして将来的にNATO体制の中にドイツを引き入れてヨーロッパ防衛のコストを分担させる必要があるという認識は1950年を迎えるころには揺るぎの無いものになっていました。イギリスとしては過敏な反応を示すフランスをなだめ、西ドイツの再軍備に対して明確な反対を表明するソ連の動きを注視しつつ、やるべき事を着々と進める必要がありました。ドイツを暴走させずにNATO体制に組み込み、同盟の一員として西欧防衛コストを負担させるためには、威勢の良い防衛構想を述べ立てる元将軍達は遠ざけて置きたい人々でした。

 そのために行われたのがアデナウアーに対する安全保障問題アドバイザー人事への干渉でした。イギリスはドイツの再軍備に向けての動きは肯定したけれども、アデナウアーが相談相手としている元将軍グループについては不快感を隠さなかったのです。イギリス流に言えば「粗野で尊大なマントイフェルのような人物から意見を聴いているアデナウアー」への説得工作は慎重かつ高圧的に行われ、到底勝ち目の無い交渉の末にアデナウアーはイギリス側の推薦する人物を受け容れることになります。

 こうして元機甲兵中将だったゲルハルト フォン シュヴェーリン伯爵がドイツの安全保障問題アドバイザーに任命されます。この指名はシュヴェーリン本人にとっても意外なことだったようです。ドイツ国防軍の元将軍とはいえ、シュパイデル達の将軍グループとは縁の無かった人物でしたし、そもそもシュヴェーリン自身は他の将軍達のようにまとまった西欧防衛構想を主張していません。

 シュヴェーリンは1899年に生まれ、第一次世界大戦に従軍したドイツの将軍の中では正統派に属していましたが、第一次世界大戦後は義勇軍への参加を経て一旦は軍を離れ、貿易や石油工業関連の仕事を経てアメリカ在住の経験もある企業人としての才能もある人物でした。
 ナチスドイツの再軍備後には陸軍に復帰して情報担当の参謀として勤務し、1939年の開戦直前の時期には当時の陸軍の中では少数派だった親イギリス派として戦争回避に向けて活動した結果、陸軍総司令部を追われ、最前線に送られて各地を転戦しています。
これだけなら普通の穏健派将校なのですが、野戦指揮官としてのシュヴェーリンはなかなか侮れない活躍を見せています。

 アフリカで戦い、東部戦線では第16装甲擲弾兵師団を率いて激戦の続いた南方戦区で戦い続けたシュヴェーリンはその戦功でマンシュタインやホトと並んで剣付柏葉騎士十字章を授与されるほどの英雄となったからですが、同時に死守命令に反して部隊を後退させるなど反骨精神の旺盛な反ナチス的態度をも隠さない異端児でもありました。やがて東部戦線での消耗回復のために師団と共にフランスに移動したシュヴェーリンはノルマンディ上陸後の戦闘にも参加し、増強され第116戦車師団と改称された指揮下の師団を率いてファーレーズからの脱出戦にも生き残っています。そして兵力わずか600人となった師団と残る12両の戦車と共にアーヘンの防衛に就いたシュヴェーリンはアーヘンの町の破壊と市民の犠牲を避けるために、残された兵力での最後の死闘を拒否し、連合軍への降伏を試みた末に逮捕されてしまいます。

 そのまま映画にしたいくらいのドラマチックな経歴の持ち主であるシュヴェーリンは現役時代から戦後に至るまでドイツ参謀本部の伝統主義を一貫して嫌い続けたため、元将軍グループからは露骨に遠ざけられていたようです。
 このように軍人として優秀で国際感覚があり、しかも親イギリス派であるというシュヴェーリンのキャラクターはイギリス占領軍にとっては最も好ましいものでした。やがてイギリス占領軍首脳との幾度かの懇談の後で、安全保障問題アドバイザーとして推薦された際、アデナウアーが拒否できなかったのも頷けるような気がします。
 それというのもアデナウアーの下で独自に進められていた人選が「ナチスドイツの将軍から非ナチス的かつ優秀な人材を選び出す」作業となり、当たり前のように難航していたからです。マントイフェルの他にも、ベルリン救援作戦で第12軍を率いて果敢に戦ったヴァルター ヴェンク中将など何人かの候補が上がってはいましたが、その人物とドイツの置かれた国際的環境を考慮すると誰もが何かしらの欠点を抱えていることが自覚されていました。
 シュヴェーリンはドイツの将軍には非常に珍しいリベラル派でありながら軍歴も抜群で、しかも貴族で育ちが良く、政治家としてやって行けるだけの教養もある上に、独自の構想を振り回すこともなくアデナウアーの方針に従う理想的な人材でしたから、アデナウアー自身もシュヴェーリンを積極的に受け容れて信頼し始めます。
しかしこの事態は元将軍グループにとって最大の危機を意味していました。

10月 19, 2011 · BUN · 2 Comments
Posted in: 西ドイツ再軍備, NATO, 冷戦, 幻の東部戦線

2 Responses

  1. モーター - 10月 23, 2011

    シュヴェーリンとか、聞いたこともない将軍ですね。結構活躍しているのを見ると、将軍グループから離れていたから宣伝しなかったのかもしれませんけど。
    なるほど、外国が指名するという手がありましたか。確かにこれなら、表に出していい人物を選びやすいですね。空軍や海軍のほうも、こんな感じで選ばれるのでしょうか?

    あと、こういう選ばれ方をすると、本当に将軍グループの立場がありませんね。焦るのもむべなるかな。

  2. BUN - 10月 26, 2011

    モーターさん

    イギリスが推したら錦の御旗かといえばそうでもないのが戦後の西ドイツです。シュヴェーリンの登場は色々な人々や組織が結局どう繋がっていたのかを明らかにしてくれています。

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