幻の東部戦線 14 (人材がいない・・・)

 国内の出版物の殆どには「西ドイツ再軍備は1950年6月25日の朝鮮戦争勃発によって始まった」と書かれています。けれどもいままで紹介した通り、再軍備に向けての動きは占領軍、とくにアメリカ軍側の黙認と後押しを受けて研究が続けられ、再軍備の核となるナチスドイツ時代の将軍達は1949年にはすでに西ドイツ政府の下に間接的にではあっても組織化され、朝鮮戦争が始まる直前の4月にはアデナウアー首相の下に安全保障担当アドバイザーが置かれます。再軍備前なので暫定的な呼び方をされていますがこの職は個人としてのアドバイザーではなく、その下に組織を持つ実質的な国防大臣でした。

 

 

 ナチスドイツの将軍達の意見には様々なものがあり、彼らの中にはガイルやシュパイデルやマントイフェルのようにその再軍備草案を原則的に公開する者もいましたが、その多くはアメリカ軍向けに分析資料として提出されています。元々が捕虜となった将軍達のワークでしたから当然と言えば当然ですが、再軍備案をアメリカ軍が陰に日向に後押ししていた証拠でもあります。そしてそれらの再軍備案の中にはどう見ても「アメリカ軍が書かせたのではないか」と疑える「ライン川防衛線構想」を主張するものまで混じっていますから尚更のことです。

 

 

それでも将軍達の主張にはいくつかの共通点があります。

「西欧同盟軍の一員としてのドイツ軍を再建する」

「できるだけ早期に再軍備を開始したい」

そして最も重視されているのがその表現と定義には振れ幅がありますが、

「どんな形であれ最優先に参謀本部を再建しなければならない」

というものです。

 

 

 実はドイツの再軍備問題で一番のネックは最後の部分にありました。

 西ドイツは西欧同盟に加わらず東西対立の下で中立の立場をとることも当時は有力な選択肢でしたし、そもそも再軍備反対論は国民の間に極めて根強く、日本のように非武装中立政策が選ばれる可能性も十分にありました。大体、あんな大きな戦争に負けて国土が荒廃し、おまけに東西に分割されてしまったのに、今さら国軍を再建しようなどという意見を熱心に支持するような「安全保障に関心の高い」人間の方が当時の空気の中では能天気な変り者だったのです。この辺りの常識の違いを私達は忘れがちです。

 

 

 アメリカと西欧諸国にとって、ドイツの中立が選択肢の中にあった以上、西欧同盟に再建ドイツ軍が組み入れられるかどうかは必須ではありません。そうであるならば再建時期が遅いか早いかといった問題も最重要という訳でもありません。再建ドイツ軍の規模についても独自の再軍備を実行する力は限られており、大兵力を整備するにはどうしてもアメリカの力を借りる必要がありましたから極端に言えばドイツが何を言おうがいつでも自由になる問題でした。

 

 

 けれども西欧諸国にとって最も受け容れ難い主張がドイツ参謀本部の再建です。ソ連軍と対峙する西欧同盟軍にとって西ドイツが供給する兵力と軍需品は喉から手が出るほどに欲しいものでしたが、その一方で再軍備に伴うドイツ参謀本部の再建は最も忌み嫌われる事態でした。ドイツ軍将校の戦場での優秀さには定評がありましたが、求められたのは優秀な戦術指揮官であって、参謀本部にたむろして西欧諸国にとって危険な戦略を弄びかねないドイツ高級将校の群れではなかったのです。

 

 

 純軍事的にはマントイフェルのような主張は正しいものでしたし、ソ連が本当に侵攻してくるなら直ちにそうすべき問題でしたが、純軍事的に正しいことばかりやられては世の中たまったものではありません。アデナウアーの悩みはそこにあり、元ナチスドイツの将軍達があまり認識していない矛盾もそこにありました。自分達が再登場する場として必死に求めていたドイツ国軍の再建に自分達自身、すなわち旧ドイツ陸軍参謀本部の存在が最大の障壁だという絶望的な状況があったのです。

 

 

 そして元将軍達の集団も悩みを抱えていました。再軍備論に関わることを許された将軍達とはマントイフェルやヴェンクなどを除けばほぼ反ナチス的なヒトラーへの反抗者か、ヒトラー暗殺未遂事件に連座した者達です。こうした将軍達は確かにナチスに反感を持っていましたが、彼らの理想としたイメージは東部戦線で優勢なソ連軍を相手に敢闘した「大戦中の参謀本部」を反ナチス的に浄化して再建することではなく、ヒトラー登場以前の「前ナチス時代の参謀本部」の姿でした。

 

 

 ドイツの将軍達の中でも正統派の将軍達は自分達より少し若い世代にあたる大量の戦時昇進による急造将軍達は高級将校に必要な深い教養と高貴な人格を持ち合わせていない、と考えていました。彼らが再建ドイツ軍に求めた参謀本部は独自の実力主義でそうした候補者の中から選りすぐりの人材で構成されるべきだとしていますが、その実力には高級将校として相応しい教養と人格も「実力」のうちとして数えられています。

 

 将軍グループの中枢にあったハルダーはこうした現状を「ドイツ将校団の内部崩壊」として焦りと共に捉えています。ドイツ参謀本部の良き伝統が失われつつあるというハルダーの憂いはナチスドイツ軍の将軍達に「反ナチス」というフィルターをかけて優秀な人材を選び出すというそもそも矛盾した作業を目の当たりにしてますます深まります。

 急速養成の素人揃いだったドイツの将軍の中で多少なりとも優秀な人材はヒトラーの覚えがめでたい「ナチス」でしたから、思想的フィルタリングの後に残るのは「国家転覆を企んだ反逆者」か「命令反抗を繰り返したひねくれ者」ばかりでした。荒々しいマントイフェルのような「小ロンメル」風の人材を推さざるを得ないハルダーの心中はどんなものだったことでしょう。

 

 とにかく朝鮮戦争以前にドイツ政府は実質的な国防相として働く安全保障アドバイザーとそれに従う組織を置き、再軍備への道を公式に歩み始めていたのです。

 けれどもアデアウアーの安全保障アドバイザーとして登場したのはマントイフェルではありません。

10月 6, 2011 · BUN · 2 Comments
Posted in: 西ドイツ再軍備, NATO, 冷戦, 幻の東部戦線

2 Responses

  1. モーター - 10月 9, 2011

    はじめまして、モーターです。いつも興味深く拝見しています。
    急遽昇進した将軍たちのなかで、わりかし優秀なのは大抵ちょっとナチスっぽいとするなら、陸軍はまだしも、海軍や空軍なんて、何処から人材引っ張り出してくればいいのかすら、分からなくなってしまうのですけど。

  2. BUN - 10月 19, 2011

    こちらこそはじめまして。
    表に立つ人々の選定という点ではまさに悩みの種ですね。
    15はそんな話になります。

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