砲兵の仕事 番外編 (名前の無い航空戦 2 )

  悪天候を積極的に利用して敵飛行場を急襲、地上部隊の上空直衛と近接航空支援で砲兵火力を補強する意図をもって準備されたドイツ空軍部隊の総数は2000機弱ではないかと思います。内訳は単座戦闘機が殆どとはいえ第二次世界大戦末期のドイツ空軍としては驚くべき兵力集中といえます。映画や漫画にあるようにまともなエアカバー無しでひたすら突破前進を試みたと広く信じられている第5戦車軍とSS第6戦車軍はドイツ軍の最盛期以上の規模で航空支援が与えられていたのです。

 けれども攻勢初日となった12月16日に出撃した部隊はほとんどありません。この日は飛行場の移動にすら不自由する本物の荒天だったからです。当然、敵の航空阻止攻撃は考えられませんし、砲兵の射撃観測さえも妨げられます。当日の飛行は一部の基地を除いて行われず、悪天候下で実戦さながらにJu88夜戦誘導機を先頭に集結してきた部隊もあります。

このため「ラインの守り作戦」での航空戦は12月17日が初日です。

 12月17日には各地で制空戦闘が繰り広げられ、進撃路上にあった交通の要衝、サンビト上空ではI/JG2のFW190D-9とアメリカ軍戦闘機との空中戦が開始され、地上支援専門のSG4はサンビトへの地上攻撃を実施し、次いでバストーニュへと攻撃目標を移しています。激戦となったサンビト、バストーニュの戦いには地上部隊だけでなく100機以上の地上攻撃機が参加していたのです。とにかく12月いっぱい、アルデンヌ上空ではこうした戦いの連続です。言い換えれば攻勢2日目以降は悪天候といっても連合軍単座戦闘機も出撃できる程度のものだったということですが、ドイツ空軍にとってそのような半端な天候はあまりうれしくありません。

 なぜならこの頃の戦闘機乗員の多くは双発機からの転科者か、飛行時間そのものが100時間前後の新人といった状態ですから大概の空中戦は苦戦となり、たとえば大量の新人を注ぎ込んで再建した航空団の典型といえるJG77は12月18日に航空団全体で3機の撃墜を報告していますが、Bf109G-14を11機失っています。そして12月23日にはI/JG77はB-26、P-47各1機の撃墜報告と共に15機を失い、III/JG77もP-47編隊との空戦で3機の撃墜報告と引き換えに10機を失い3機が損傷、翌24日に第5戦車軍の支援に出撃したI/JG77はP-47との戦闘で3機の撃墜報告と共に16機を失い、グルッペ指揮官とシュタッフル指揮官の幹部乗員2人が戦死するといった状況です。

 作戦に参加した他の部隊も同じように連日の苦しく激しい戦闘を展開しています。「アフリカ」の称号を持つJG27の各グルッペも12月16日から12月31日までの制空戦闘で名門部隊の名に恥じず58機の撃墜を報告してはいるもののBf109G-10、G-14/AS、K-4を100機以上失って壊滅状態で年末を迎えていますし、ドイツ空軍最強をうたわれたJG26もI/JG26は12月中に12機の撃墜を報告してFw190D-9 17機を損失、II/JG26も17機撃墜を報告、9機のFw190D-9を損失しています。このように制空戦闘の結果は損害比率から見る限りドイツ空軍の敗北に終わっていますが、損害にかまわず続けられる制空戦闘のお蔭で連合軍戦闘爆撃機の活動が大きく妨げられたのは事実でしょう。ドイツ戦闘機の活発な活動がある限り、低高度で重い爆弾を抱えての戦車狩りには大きなリスクを伴うからです。

 そしてドイツ空軍の損害も恐るべきものでしたが、連合軍側の損害も無視できるものではありません。何といってもドイツ空軍戦闘機の投入規模がかつてなく大きいのです。特に両軍戦闘機隊が濃密に飛び交う戦場に出撃するB-26爆撃機はドイツ戦闘機の良い標的でした。こうした対爆撃機戦に威力を発揮したのは、Ⅳ/JG3のような部隊です。Ⅳ/JG3は重爆撃機邀撃専門の突撃飛行隊でした。「ラインの守り作戦」のために移動してきても機材は装甲と武装に優れたFw190A-8R2です。12月17日から戦闘に参加してアメリカ軍戦闘機8機の撃墜報告と共に5機を失うといった他の部隊と同じ苦労を舐めながら、もやもやした天候が確実に好転した12月23日には好天にもかかわらず護衛戦闘機無しで出撃していたB-26編隊30機を捕捉して、6機の損害と引き換えに編隊全機の撃墜を報告しています。この戦果を知った戦闘機総監 アドルフ ガーランドが翌日24日に部隊を訪問して「西部戦線最優秀部隊」とⅣ/JGを賞賛しています。こんな作戦に反対だったはずのガーランドも「ラインの守り作戦」中には自ら前線の督励に来て乗員達にハッパを掛けていたことがわかります。

 Ⅳ/JG3は突撃飛行隊の面目躍如といえる合計72機のB-26を撃墜したと報告していますが、これは混戦にありがちな誇大報告とは言い切れません。実際に撃墜されたB-26は42機でしたが損傷機は182機もあり、修理できず廃却された機体も数多くあるようです。こうした深刻な損害を問題視した連合軍は素早く反応し、12月24日にドイツ西部の航空基地に対して大規模な航空撃滅戦を実施します。アメリカ第8空軍のB-17、B-24 合計1216機が護衛のP-51 818機と共に各基地を強襲し、イギリス空軍爆撃機コマンドも248機のハリファックスと79機のランカスター、11機のモスキトーで協力した結果、12月25日以降のドイツ空軍の活動は主滑走路の破壊によってやや下火になります。昔のドイツ空軍のような爆撃機を多く含む部隊であれば作戦継続が困難になるほどの損害でしたが、今、アルデンヌ上空に出撃を繰り返しているのは草地からの発進も十分にできる単座戦闘機でしたから、舗装された滑走路の破壊では息の根を止めることができなかったのです。

 12月25日を過ぎると地上軍の進撃は誰が見ても停滞し始めます。攻撃の主力と考えられたSS第6戦車軍はほとんど進撃らしい進撃ができず、第5戦車軍もその前進が衰え、攻めあぐんでいたバストーニュはパットンの第3軍によって救援されつつあり、攻勢そのものの側面が危うくなってきます。そんな戦況で頼りになる火力を供給してくれるのは空軍だけでした。1944年最後の数日間は遅れて参加したJG54やジェット爆撃機隊を加えて、文字通り最後の航空支援が展開されています。そこまで空軍が頼りにされた理由は何といってもその戦力にありました。「ラインの守り作戦」参加部隊は12月31日現在であってもまだ1446機を保有し、定数2665機の54%を確保し、平均可動率68%を維持していたからです。

 これらの部隊が蒙った損害は12月17日から27日までに機材 644機損失 227機損傷 乗員 322人戦死 23人捕虜 133人負傷といった膨大なものです。特に激戦だったのは23日から25日の間で、3日間で戦闘機363機が失われています。合計871機、31日までの損害を加えれば900機以上もの機材が失われたにもかかわらず12月31日に1446機の戦力が維持されていた理由は作戦中にも大規模に行われた機材補充の結果でした。I/JG2やIII/JG2のように作戦開始時にFw190A-8を装備していた部隊が12月31日になるとFw190D-9装備に入れ替わっていたりします。JG2だけでFW190D-9とBf109K-4 100機以上の補充が行われたと考えられ、おそらく全体では400機程度の補充が行われたのではないかと思います。

 12月31日の戦況は地上軍の進撃が滞り(1月2日頃までじりじりと続きます)バストーニュの半包囲は段々と崩れつつあるという希望の無いものでしたが、この難局を打開するためには24日に連合軍が行ったような前線航空基地に対する総攻撃をドイツ軍側からも行い、敵の機材と基地機能を破壊して敵空軍の機能を麻痺させることで、航空優勢を確保、または拮抗させることでした。それが実現できれば地上軍への補給も改善し、アントワープへは届かなくても、バストーニュも再び孤立するかもしれませんし、ひょっとしたらミューズ川まで前進できるかもしれません。そしてドイツ軍の手には約1500機の空軍部隊という、いかにも使えそうな強いカードが残っています。そのカードを切らずに我慢する総司令部などあるはずがないのです。

 けれどもアルデンヌへの出撃を繰り返して来た各戦闘機隊は1500機近い戦力を保持しつつも累計900機に上る大損害によって疲労困憊して士気を砕かれ、希望を失いつつありました。支援すべき地上軍はどう見ても旗色が悪く、生き残った指揮官たちは「この作戦はもう終了するだろう」という見通しを持っていました。部隊は累積する損害でガタガタになり、士官が全員失われたためにグルッペ内の指揮官が全て下士官で代行されている部隊も現れる中で、誰もが力尽きていたのが1944年大晦日の状況だったのです。

 そんな各部隊に対して空軍総司令部から暗号電が届きます。

「ヘルマン」すなわち、ボーデンプラッテ作戦発動の暗号でした。

1月 16, 2011 · BUN · 10 Comments
Posted in: ドイツ空軍, 砲兵の仕事, 陸戦

10 Responses

  1. きっど - 1月 17, 2011

    機材:644機損失 227機損傷 計:871機 
    乗員:322人戦死 23人捕虜 133人負傷 計:478人
    膨大な損害ですが、それでも陸の上の航空戦のため、機材の損害の半分程度しか乗員の損害は出ていないのですね。
    主に洋上で戦闘が行われた太平洋戦線では、機材損失=乗員戦死となって、幾ら機材を補充しても乗員が追いつかない、より厳しい航空戦になったものと想像します。

  2. BUN - 1月 18, 2011

    きっどさん

    確かに友軍上空の制空戦が多かったのでこれだけで済んでいるのですが、ここはむしろその規模に陸の航空戦の厳しさを見るべきかもしれません。2000機近い戦闘機が投入され10日やそこらで機材900機弱、操縦者500名弱を失うような航空戦はまさに史上空前の規模なんです。問題はそれだけの大きな戦いが見えなくなってしまうような陸戦中心史観ではないかと思います。

  3. Tweets that mention いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 番外編 (名前の無い航空戦 2 ) -- Topsy.com - 1月 18, 2011

    […] This post was mentioned on Twitter by 壬生狼, baibai. baibai said: バルジ大作戦,知られざる空の戦い http://stanza-citta.com/bun/2011/01/16/876 […]

  4. ムチのムチ - 1月 19, 2011

    > 問題はそれだけの大きな戦いが見えなくなってしまうような陸戦中心史観ではないかと思います。

    単純に考えると、航空機がこんなに活躍しているなら、
    本や記事にしても売れそうですが…

    以前、「戦車が中心でないと売れない」という「空気」の世界の話をチラッと伺いましたが、
    やはり「空の戦力」に強い興味をもつ人は、
    空の戦力が中心的な、それこそ「航空戦力だけで完結した戦い」や「空軍だけで戦争を終わらせる」ような話の方が興味をかき立てられ、
    こういう作戦主目的が陸の支援という戦いには関心をもったり話題にしたりしたくない、という人が多いのでしょうか?

  5. そうや - 1月 19, 2011

    バルジの戦いにおけるドイツ空軍の航空作戦について、ポーデンプラッテ作戦は知っていましたが、その前段の地上軍支援が大々的だとは知りませんでした。興味深いです。
    しかし、大ざっぱに計算して、大晦日時点で3割以上の損害(累計900機の損害、延べ2400機が作戦参加から)とは、おっしゃっているように作戦継続が不可能なレベルの損害ですね。
    次回も更に興味がわきます。

  6. BUN - 1月 20, 2011

    ムチのムチさん

    戦略爆撃を最終到達点として考える空軍発達史を描いていると地上支援を低く見てしまいがちですね。

    そうやさん

    ボーデンプラッテ作戦だけを知っていてもドイツ空軍は何をしたかったのかと首をひねってしまいますが、その前段階の激戦の存在を知るとまるで違った姿が見えて来る、というのが今回の面白い部分だと思っています。

  7. ねこ800 - 1月 30, 2011

    この補充ってどこから出てきたんでしょう。東部戦線向けの機体を転用したんでしょうか。

  8. taffy - 9月 2, 2012

    日本軍も台湾沖航空戦で、日本軍としては空前の規模である1251機という大戦力の集中に成功していますが、4日で戦力の4分の1にあたる312機を失って敗退していますね。
    日本軍もドイツ軍も、飛行時間の短い新人だらけという点まで同じです。

  9. BUN - 9月 4, 2012

    taffyさん

    そうですね。台湾沖航空戦は駄目だ、駄目だと言われますが、よく見て行くと日本海軍航空隊も機動集中が上手くなったものだと感じます。
    現実的ではない、と言われることもある台湾沖航空戦の機動集中戦術ですが、元来、空軍はこうやって戦うものなんですね。

  10. taffy - 9月 4, 2012

    BUNさん
    4ヶ月前のマリアナ沖海戦では、日本海軍が用意できた航空機は約500機だそうですから、台湾沖での戦力集中の実績は際立ちますね。
    台湾沖での米海軍機動部隊の航空機は約1000機ということですので、緒戦の勝利以来久しくなかった数的優位が日本海軍側にあったことになります。
    海軍が大戦果に期待した気持ちちょっとわかります。

Leave a Reply