砲兵の仕事 番外編 (名前の無い航空戦 1 )

 アルデンヌの戦いで、ドイツ軍は冬季の悪天候を利用して連合軍の航空攻撃を避け、かつての「電撃戦」を再現しようと試みたように考えられやすいのですが、実際には1940年に実施されたアルデンヌ突破作戦とは大きく異なり、1900門の火砲を集中して独立運用する典型的な火力戦が計画されていたことを前回で紹介しました。それでは1940年5月の電撃戦でドイツ軍の火力支援を空から担ったドイツ空軍は1944年12月の戦場では何をしていたのでしょうか。

 連合軍が砲兵火力の不足を航空支援によって補っていたように、ドイツ軍もまた野戦砲兵の兵力と機動力の不足を航空兵力によって補強しています。ところが、アルデンヌの戦いでのドイツ空軍は作戦がとっくに挫折していた1945年1月1日に実施された航空総攻撃「ボーデンプラッテ作戦」で「いたずらに消耗して貴重な防空戦闘機隊を壊滅させた」と紹介されるばかりで、まるで役に立っていない印象があります。

 その上に当時、戦闘機総監だったアドルフ ガーランドが、自分の発案による本土防空戦での大反撃計画が「ボーデンプラッテ作戦」に兵力を奪われて頓挫したことを戦後の回想の中で激しく批判しているため、まるでドイツ空軍は何か大きな間違いを犯していたかのように受け取られています。伝説的な戦闘機エースの言葉は真実を語っているように思えますし、対立したヘルマン ゲーリングは戦争犯罪者で軍事的な才能に欠ける人物だとされていますから、何となくガーランドの言い分を聞いてしまうものです。こうした事情で一般的に印象づけられているドイツ空軍の不振と失策は恐らくこんなものだと思います。

「西部戦線の戦闘で兵力を消耗して役に立たなかった」

「出撃しようにも悪天候で活躍の機会がなかった」

「航空基地を攻撃しても物量に富む敵には効果がなかった」

「1月1日になってから攻撃を行っても時機を失して意味がなかった」

 結論から言ってしまえば、こうした認識はほぼ全て事実誤認と先入観によって生まれたものです。

 そもそも第一次世界大戦の昔から大規模な地上軍の攻勢があるところに大規模な航空攻勢が無いはずがありません。1940年の電撃戦にしても空軍なくしては成り立たない戦いでした。電撃戦を成し遂げたドイツ軍の戦闘力は精強な戦車部隊によってではなく、空飛ぶ砲兵として活躍した空軍に支えられていたことは軍事費の内訳を見ても明らかです。たとえば1939年度の軍用機調達予算は10億4000万ライヒスマルクでしたが、装甲戦闘車輌調達に投じられた予算はわずか840万ライヒスマルクでしかありません。金の掛け方が、ひと桁どころか3桁も違います。近代戦の戦備とはそうしたものなのです。アルデンヌでの反撃計画「ラインの守り作戦」もそうした枠組みの中で生まれたものですから、「苦し紛れの奇手」のような印象に縛られずに落ち着いて眺めると意外にもドクトリンに忠実な作戦であることがわかります。

 

 前置きが長くなりましたが、まずは計画段階から見て行きます。西部戦線での反撃構想はフランスからの撤退がほぼ完了した1944年の9月頃から検討され始め、10月末には作戦の骨格が整います。空軍の任務もそれにつれて具体化し、11月14日にはゲーリングから次のような命令が下されます。

A 第2戦闘機軍団は第3戦闘機師団と共に前線付近の飛行場にある敵戦闘機と爆撃機を攻撃せよ

B 第2戦闘機軍団のさらに重要な任務は上空直衛によって地上軍に機動の自由を確保することにあり

C 第4地上攻撃航空団の主任務はミューズ川渡河の援護にあり

D 第3航空師団はジェット爆撃機によって敵飛行場攻撃、その他目標を爆撃機と夜間攻撃機によって攻撃せよ 第2夜間戦闘航空団は保有するJu88夜戦をもって夜間攻撃せよ

 作戦開始と共に航空撃滅戦を仕掛けて敵空軍を麻痺させ、上空直衛を行って進撃する地上軍を航空阻止攻撃から守り、作戦成功の鍵となるミューズ川渡河にはFw190F-8を装備したSG4(定数132機)が増強されるというものです。当たり前過ぎて面白くないほどドクトリンに忠実な作戦構想であることがわかります。しかもこの命令は作戦開始日の1ヵ月以上前に発令されており、「ラインの守り作戦」が悪天候だけを頼りにした単純な奇襲作戦ではなく、計画的な空陸一体の突破作戦であることを示しています。

 そしてもう一つ重要な点はドイツ軍が冬季の悪天候を敵空軍の攻撃を妨げる天然の防空システムとして考えるだけではなく、悪天候を積極的に利用する構想があったことです。悪天候は確かに空軍の活動を妨げますが、それをあえて利用することで奇襲効果を得ようという、日本海軍のT攻撃部隊と良く似た発想です。そして悪天候を衝いて単座戦闘機を航空撃滅戦に出撃させるため、夜間戦闘航空団が装備する航法能力に優れたJu88G夜戦とその乗員を戦闘機編隊の誘導任務に用いることが決まります。夜間戦闘機隊と昼間戦闘機隊の組み合わせは次のようなものでした。

第1夜間戦闘航空団第2グルッペ Ju88×2  第1戦闘航空団第3グルッペ担当

第1夜間戦闘航空団第3グルッペ Ju88×4  第1戦闘航空団第1、第2グルッペ担当

第5夜間戦闘航空団第3グルッペ Ju88×8  第6戦闘航空団第1~第3グルッペ及第54戦闘航空団第4グルッペ担当

第6夜間戦闘航空団第2グルッペ Ju88×20 第26戦闘航空団第1~第3グルッペ 第27戦闘航空団第1~第4グルッペ 第77戦闘航空団第1~第3グルッペ担当

第100夜間戦闘航空団第2グルッペ Ju88×12 第4攻撃航空団第1~第3グルッペ 第53戦闘航空団第2、第3、第4グルッペ担当

第101夜間戦闘航空団第1グルッペ Ju88×16 第11戦闘航空団第2、第3グルッペ 第2戦闘航空団第2、第3グルッペ 第2戦闘航空団第1~第3グルッペ 第3戦闘航空団第1、第3、第4グルッペ担当

第101夜間戦闘航空団第2グルッペ Ju88×10 第4戦闘航空団第1~第4グルッペ 第11戦闘航空団第1グルッペ担当

 悪天候下の航空作戦用にこれだけ潤沢な誘導機が準備されていたこともちょっとした驚きですが、計画だけではなく、実際に高速の戦闘機編隊とJu88夜戦との編隊飛行訓練も開始されています。そして興味深いことにドイツ空軍のこうした奇妙な動きをアメリカ軍の情報部隊が察知しています。12月初旬の通信傍受によって航法用の信号弾が集積され始めたことが判明し、次いでJu88との編隊飛行訓練が確認され、その目的が分析された結果、ドイツ空軍の意図は本土防空戦ではなく、地上軍による攻勢の支援にあると正しく結論されています。ただ残念なことにそれを「ラインの守り作戦」にまで結びつけるには至りません。アメリカ軍の情報分析は精密で組織的ですが、その分だけ判断に時間が掛かる傾向にあります。

 そしてこのリストを眺めて気づいた方もあると思いますが、誘導される戦闘機隊はかつてアドルフ ガーランドが指揮した西部戦線の精鋭JG26、ロンメルと共に戦い「アフリカ」の称号を持つJG27、東部戦線で勇名を馳せた緑のハートをエンブレムとするJG54、といった名門揃いのオールスターキャストです。これだけ集めたら他の戦線はどうなるのか心配になるほどの顔ぶれでもあります。

 もちろん、かつての精鋭部隊も激しい消耗によって歴戦の乗員を失っていますが、よく言われるような「消耗して痩せこけた紙上の戦力」ではありません。これらの戦闘機隊は1グルッペあたり68機が定数(地上攻撃任務のSG4は42機)ですが、「ラインの守り作戦」を前にして機材の補充は比較的順調に進み、主なグルッペは概ね定数の7割以上、中にはI/JG3(第3戦闘航空団第1グルッペ)のように定数以上の80機を保有する部隊もあります。くわえて新機材への更新も進み、Bf109装備部隊はP-51Dと同程度に高速なK型か、それに準ずる性能のG-14/ASに置き換えられ、Fw190装備部隊はA-8からD-9へと機種改変が進行中でした。

 ドイツ空軍戦闘機隊は電撃戦時代のように無敵の存在ではなくなっていましたが、1940年のアルデンヌ突破よりも大規模な航空兵力の集中が行われていたことは事実です。空陸一体の機動突破作戦という1918年の春季攻勢「カイザー戦」以来の伝統は堅実に守られていたのです。

1月 15, 2011 · BUN · 4 Comments
Posted in: ドイツ空軍, 砲兵の仕事, 陸戦

4 Responses

  1. きっど - 1月 18, 2011

    >たとえば1939年度の軍用機調達予算は10億4000万ライヒスマルクでしたが、装甲戦闘車輌調達に投じられた予算はわずか840万ライヒスマルクでしかありません。
     戦車主体の電撃戦のイメージの強いドイツ軍にしては、意外なほどに装甲戦闘車輌に金をかけていませんね。
     39年当時のドイツ軍戦車部隊を見ると、1号戦車や2号戦車が大半を占めており本命の3号戦車や4号戦車の割合は僅かですが、もし軍用機より装甲戦闘車輌を重視していた場合、3号戦車や4号戦車が主力でそれに装甲ハーフトラック群が続く「夢の機甲師団」も有り得たという事ですか?
     そして史実が空軍重視であった以上、「1号戦車や2号戦車でも十分だろう」と分かっていて軽視したわけですね。

  2. BUN - 1月 18, 2011

    きっどさん

    軽視、というほどではないと思います。戦車5個師団を整備したのですからドイツ戦車部隊は文字通り世界一なんです。ただ「夢の機甲師団」を作り上げてもそれを進撃させる突破口を開く役割を担う空軍が英仏に負けていたらそもそも戦争にならない、ということですね。突破口を空けられたなら、そこを走り抜けるのは馬でも自転車でも駆け足でも良いと私のような素人は思いますが、ドイツ軍は戦車を重要と考えていたのです。
    そして戦車整備用の予算が少ないのは空軍拡充の影響もさることながら、陸軍自身が膨れ上がってその規模に応じた予算を必要としていたからでもあります。いつの時代も金を喰うのは機械より人で、戦車の調達費は少額でも、人の数の大小で規模が決まる陸軍は三軍の中で軍事費を最も消費していたんです。
    軍の規模が拡大したので優秀戦車が整備できない、なんて話は日本だけのことじゃないんですね。

  3. ヘルアーチェ - 11月 19, 2016

    1ケタや2ケタならともかく、2ケタも3ケタもちがうのは問題がちょっとあると思います。5倍や4倍でなく30倍以上は確かに問題アリだと思います。航空機の入手にだけ予算を使い、戦車の入手に予算を使わないのと変わらないからです。
    ただし、生産体勢によっては変ではないです。航空機だけ大量生産体勢ができていて、戦車は1台ずつの生産体勢しか無い場合です。予算が有っても各工房で1台ずつの少数生産が最大の全力の生産な戦車と、大量生産体勢がすでに出来上がっている航空機のちがいです。

  4. りんちゅー - 3月 16, 2017

    お邪魔します。
    初めてのコメント投稿です。

    >Fw190装備部隊はA-8からD-9へと機種改変が進行中でした。

     Fw190の場合、空冷で2段過給機のそれぞれの段の最適高度以外では
    他の発動機に比べて見劣りするとされるA型に対し、高空域でのパワーアップを
    果たした液冷エンジンのD型は、一般的には確かにはるかに性能向上して
    るんでしょう。
    でも、低い雲高の冬のドイツやベルギーでその雲の下で
    地上支援をしたり、同様の地上攻撃をする連合軍機に立ちふさがったり
    するアルデンヌ戦においては、新鋭のD型にはさして
    アドバンテージがなかったかもしれませんね・・・。

     こういう地上戦に密接に絡んだ空戦の場合、
    一般的な性能の高さは別に、低空域限定での性能がものを
    いうのではないでしょうか?
    第二次大戦でいえばYakやLagg、テンペストやタイフーン、
    エアラコブラとか。

Leave a Reply