砲兵の仕事 38 (砲兵から見たアルデンヌの戦い)

 西部戦線の戦闘でノルマンディに次いで有名なのがアルデンヌの戦いです。映画「バルジ大作戦」にあるようにドイツ軍が起死回生の反撃を試みた西部戦線最後の大攻勢ですが、この戦いはドイツ軍が相当くたびれて来た頃に実施されたこともあり、ドイツ戦車部隊の最後の決闘として思い入れ一杯に語られることが多く、全体としてどんな戦いだったかをとらえることが難しい傾向にありますが、この戦いには砲兵と火力戦という視点から眺めると両軍ともになかなか面白い部分が見られます。

 連合軍の航空攻撃を避け、悪天候を衝いて電撃戦の再現を試みたと言われる作戦ですが、火力戦による敵防御陣地の破壊と制圧、火力に援護された突撃局面、突破成功後の機動戦展開と進撃に追従する火力支援という第一次世界大戦以来の原則を再学習したはずのドイツ軍が果たして1940年の電撃戦を単純に再現しようと考えていたのでしょうか。戦車部隊の奇襲による衝撃効果だけで作戦が展開できると思われていたら、あるいは敵の航空優勢を悪天候の利用だけで無害なものにできると信じていたとしたら、ドイツ軍は1940年どころではなく前大戦以前にまで退行したことになります。ついさっきまで連合軍の猛烈な火力戦に晒されていたドイツ軍はそこまで愚かな軍隊なのでしょうか。

 実際にはアルデンヌの戦いはドイツ軍が西部戦線でただ一度だけ、砲兵の独立集中運用を試みた戦いです。この攻勢のために準備された火力発揮の主体は7個の国民砲兵軍団でした。それぞれ装甲化された前線観測班を配備され、柔軟な火力運用ができるように無線装備は破格の待遇で優秀機材を供給された砲兵の大集団が支援対象の部隊に束縛されずに独自の火力戦を展開するというソ連式の砲兵運用を行い、それによって突破口を開き、突破後の機動戦展開局面にも追従させようという構想です。東部戦線で局所的に成功を収めた第18砲兵師団と同じように砲兵が独力で敵主力を捉えてその火力で撃滅するという火力戦の見本のような考え方は1940年の電撃戦にはまったく見られないものです。

 では、そんなに見事な発想がどうして戦史の片隅に追いやられてほとんど注目されなかったのかといえば、あまり上手く行かなかったからです。1944年12月のドイツ軍には大規模攻勢を実施する際に必須の項目である弾薬の集積がありません。弾薬の集積無しに攻勢はあり得ない、というのも前大戦の常識でしたが、それが達成できず、アルデンヌの戦いではドイツ軍野戦砲兵には野砲1門あたり、1日数発から良くても2、30発程度の補給が精一杯でした。この砲弾不足のため、寄せ集めの装備とはいえせっかく準備されたそれなりに強力な国民砲兵軍団も、7個のうち3個軍団は戦闘に関与できません。ですから攻勢開始時の砲撃もその精度はともかくとしてアメリカ軍が実施していたような水準には威力も密度も及ばず、突破作戦は最初の一日で滞ってしまいます。戦車部隊がどんなに精鋭でも火力支援が乏しければ迅速な突破は困難だったのです。

 しかもかろうじて突破に成功した後も進撃に追従するだけの燃料も供給が乏しく、戦闘に参加できた4個軍団も攻勢発起点から50kmにも及ばない進撃で停止せざるを得ず、火力発揮の要となるはずのドイツ軍野戦砲兵集団は作戦中に解体されてまだ使えるユニットを各師団に振り分けられてしまい、西部戦線で初めて実施された野戦砲兵の独立集中運用はあっという間に挫折してしまいます。

 弾薬に乏しく、独自に機動しようにも燃料の不足している砲兵集団はもはや渋滞の原因となるトラックの列でしかありませんから当然の処置でしたが、こうして火力支援の要を失ったドイツ軍は装甲をまとった砲兵である戦車部隊に優先的に補給を行い、「経済的な」直接射撃を行う実質的な突撃砲として活用することで急場をしのぐことになります。アルデンヌの戦いで強力なドイツ軍戦車が次々に損害を受けるのは地形的な問題だけではなく、支援火力を欠き、自らが直接射撃による火力発揮の主体となった結果でもあります。

 そして必死に突破を試みるドイツ軍を迎え撃つアメリカ軍野戦砲兵にとってもアルデンヌ戦は重要な戦いです。なぜならこの戦いでアメリカ軍は陸戦で初めてVT信管を大量使用したからです。通常型の時計信管によるエアバースト射撃も十分な威力を持っていましたが、VT信管は砲弾の威力をより効果的に引き出す新兵器でした。ドイツ軍の進撃路にあった交通の要衝であるサンビトでの防御戦で12月18日にアメリカ軍はVT信管を装着した榴弾を本格的に使用して大きな成果を上げています。

 第12砲兵グループは悪天候のために視界が遮られ、着弾を参考に時計信管の調定ができない状況下でVT信管の使用に踏み切り、その結果は12月23日付の第1軍の野戦砲兵レポートの中で「信じ難いことに累計2000人の殺害が観測により確認された。VT信管付砲弾の威力は絶大である。」と述べています。この戦闘に留まらず、第3軍司令官のパットンもVT信管の威力を絶賛しています。

「おかしな信管を取り付けた新砲弾の威力は衝撃的だった。夜間にザウアー川を渡河しようとした敵大隊を捉えたが、702人の殺害を確認することができた。私はこれを全軍が装備すべきであり、我が軍はこの砲弾を活用する何らかの新しい戦闘法を工夫しなければならないだろう。実に素晴らしい。」

 アメリカ軍の頑強な抵抗でバストーニュと共に知られるサンビトが優勢なドイツ軍相手に粘りに粘れた理由の一つがこのVT信管だったことは確かです。

 けれども大威力のVT信管はそれ以降、大量使用されることはありません。朝鮮戦争でもベトナム戦争でもVT信管の使用は全砲弾の5%程度でしかなかったと言われています。その理由はこの精密な電波信管が量産に向かず、航空母艦を守るためならともかく陸戦で大量消費するには高価に過ぎたからです。戦後にVT信管が大量使用された最初の戦争はフォークランドあたりではないかとも言われていますが、ソリッドステート化されない時代のVT信管はそのような高級品だったのです。

 技術的な問題の他にもうひとつ、戦後まで色濃く残るアメリカ軍砲兵の傾向がこの戦いで露呈しています。それは砲兵の集中に関するものです。

 1944年12月になってもアメリカ軍の火力集中は洗練されず、軍団レベルの集中がうまく行きません。この傾向はアメリカ軍内部からも指摘されていますが、砲火を交えたドイツ軍側からもはっきりと認識できるほどだったようで、アルデンヌ戦でのアメリカ軍砲兵に対してドイツ軍砲兵から「師団レベルでの砲兵火力集中は迅速で鋭いものだったが、隣接する師団と協同する軍団レベルでの火力集中は統一を欠き威力を損なっていた。」という評価が下されています。

 その理由が何処にあったかを断言することはできませんが、アメリカ軍自身が戦後になってからも「軍団レベルでの火力集中はドクトリン化されていても実施面では空文化していた。」と自己批判していますから事実なのでしょう。

 アメリカ軍砲兵が第一次世界大戦で本格的砲兵戦を学びそこなっていたこと、その後の予算削減によってその戦術と兵器開発が主に師団レベルの火力発揮を目標にしていたことは既に紹介しましたが、結局、アメリカ軍はイギリス軍砲兵のような柔軟な運用も、ソ連軍のような独立運用も採り込みきれていなかったようです。

 もちろん何度かの成功体験はあるのですが、アメリカ軍内部にも火力集中についての物足りなさが感じられていたようで、終戦後になっても「ソ連式の独立運用できる砲兵師団の創設」といった提案が生まれたりします。

 ドイツ軍は軍団レベルでの火力集中を砲弾と燃料の不足で達成できませんでしたが、アメリカ軍もまた軍団レベルの火力集中を自由自在に実施できる軍隊ではなかったのです。

 砲兵の化け物であるソ連軍を仮想敵とした冷戦期の戦術思想に興味があるようでしたら、「アメリカ軍は野戦での大規模火力集中に自信を持っていなかった」という点は覚えておく必要があると思います。

1月 13, 2011 · BUN · 7 Comments
Posted in: 砲兵の仕事, 陸戦

7 Responses

  1. ムチのムチ - 1月 13, 2011

     太平洋戦線、特に沖縄戦やそこでの海兵隊の戦闘について日本語でかかれた書籍では、軍団レベル+艦砲の火力運用を巧みに実施していた印象があります。これは、元々の火力が米軍に比して小さく、かつ制空権も兵站もろくにない状況の日本軍相手の戦闘であったため、問題が顕在化していないだけの話なのでしょうか?

     なお、ヨーロッパ西部戦線で米軍は軍団レベルの火力運用、特に集中に問題があったのに対し、英軍は自分たちの火力運用について満足し、ドイツ軍もそれを高評価していたのでしょうか?

    そうであるなら、それはひょっとして英軍が、歩兵・戦車部隊と砲兵組織のバランスのとれた前進に気を使っていたのであって、西部戦線で米軍のような進撃スピードを重視した攻撃をマーケット・ガーデン作戦以外やっていないことと関係ある、というような背景があったりするのでしょうか?

  2. BUN - 1月 13, 2011

    ムチのムチさん

    太平洋戦線ではフィリピンと沖縄程度しか砲兵の火力集中は見られません。島嶼や沿岸の拠点を巡る陸海空一体の火力戦も陸の関与が少なく、「破壊」「無力化」という視点から見た場合、シシリー島からイタリア南部、北西ヨーロッパ沿岸での実績のような成功事例も少ないので「巧み」とは言い難いように思います。「○日間連続して実施された激しい艦砲射撃の結果、日本軍○○守備隊は海兵隊の上陸と同時に降伏した。」といった展開が理想だった訳です。日本軍は降伏しない、とかそんな話ではなくて、ですけれども。

    ドイツ軍を火力で圧倒したのはイギリス軍ですから、当然それなりの評価があります。そしてイギリス軍が熟達した大規模火力集中をアメリカ軍が上手に実施できない傾向にあったのは歴史的な経緯も影響していますが、一番の違いは指揮統制システムの柔軟性にあると言われています。
    また機動戦の展開局面での両軍の戦術はあんまり変わりません。

  3. 出沼ひさし - 1月 14, 2011

    VT信管は陸上では大量使用されなかったんですね。
    コストパフォーマンスから考えれば対空射撃より陸上砲撃で使った方が良かったように思えます。

  4. ムチのムチ - 1月 16, 2011

     いつ、どこで読んだ誰の文かは忘れましたが、沖縄等での米軍の砲兵運用についての記事で、陸上戦における米軍各火砲一門あたりの一日の使用段数を出していたものがありました。数字等覚えていなくて申し訳ないのですが、「鉄の暴風」と言われる割には使用弾数が少なめなのに驚いた記憶があります。当時の私は「ああ、制止・制圧射撃においては、米軍は集中的な射撃指揮により効率的・経済的に火力運用しているのだな」と思った次第です。たしかに、BUNさんの言われるとおり、「「破壊」「無力化」という視点から見た場合」の効果は少ない、ということになるのでしょう。
    対して英軍は、ビルマ戦線等で、その優れた火力集中の能力で日本軍に大打撃を与えた戦例等はあるのでしょうか?

    > イギリス軍が熟達した大規模火力集中をアメリカ軍が上手に実施できない傾向にあったのは歴史的な経緯も影響していますが、一番の違いは指揮統制システムの柔軟性にあると言われています。

    (具体的な数字を知っているわけでなく、イメージで申し訳ありませんが)この時点の米軍と英軍では、通信機材等にはあまり質・量において差があるとは思えませんし、仮に差があっても少なくとも量では米軍の方が上回っているのではないか、と思えます。
    英軍の方が米軍を上回っていた点としては将兵の練度という点があがると思いますが、北アフリカやシシリーの頃ならともかく、ノルマンディーからしばらくたった時点では、その差はかなり縮小しているのではないか、と思われます。
    軍団レベルでの火力集中に差をもたらした「指揮統制システムの柔軟性」とは、具体的にはどのようなものなのでしょうか?
    「砲兵の仕事 17 (モンティ登場以前にあった変化)」で述べられていた、「イギリス陸軍は前線に老練な佐官クラスの砲兵将校を配置して砲撃戦を臨機に計画変更できるように個人の独断専行権を与えた」このことにつきてしまうのでしょうか?
    そして、(おそらく)駐在武官等の情報によってソ連軍からも学んだ米軍が、同じ戦場で一緒に戦っている英軍から学ばなかったのはなぜなのでしょうか?
     1944年後半の機動戦となった局面では、米軍が伸びた補給路のため、燃料不足への対処で様々な工夫と努力を求められたことが有名ですが、砲弾の補給では不足等生じなかったのでしょうか?
     長々と質問してしまい、申し訳ありません。

  5. BUN - 1月 16, 2011

    出沼さん

    野戦砲兵の存在理由のひとつには「低コスト」という要素があります。
    海軍と陸軍の違いが現れる部分かもしれませんね。

    ムチのムチさん

    将兵の錬度の違いではなく、組織上の問題なんです。
    ですから時間では解決しません。

    英軍式の、前線OPに権限移譲することで支援火力の運用に柔軟性と即応性を持たせる第一次大戦以来のやり方よりも、砲兵司令部に強力な権限を与えて上から一気にやるソ連式の砲兵に魅力を感じてるアメリカはFDCを段階的に上位の組織に設けるようになっていますが、それを運用するノウハウは未熟なまま戦争を終えてしまいます。人的要因に左右されやすい英軍式よりソ連式の独立運用の方が単純明快で説得力があったからなのでしょう。

    けれどもそこで忘れてはならないのは、第二次大戦後期の陸戦を戦うために必要な要素としては近接航空支援の方が遥かに重要だったことです。
    北アフリカは米軍にとって学習の場ではありましたが、必修科目は砲兵運用ではなく航空支援だった訳です。
    ですから戦後の研究も北アフリカで英軍の実績を参考に発達した航空支援システムに関するものは比較的多くありますが、砲兵運用に関するものは少数です。
    米軍は北アフリカという学校で、選択科目の点数は平均点でしたが必修科目はトップクラスで卒業しているということです。

    こんなことを書いているとどこが本文だかわからなくなっちゃいますね・・・。

  6. ムチのムチ - 1月 16, 2011

    > 米軍は北アフリカという学校で、選択科目の点数は平均点でしたが必修科目はトップクラスで卒業しているということです。
     よくわかる喩えです。ただ、世の中には、必修科目よりも選択科目の方に強い興味をもつ人間というものがいるわけでして… (私もこの傾向がありますが)
     特に、二十世紀以降の戦争における航空優勢の重要性は、この日本・日本語の世界でも多くの文献・雑誌・ネット情報によって知ることができます。そして、こちらの連載は、従来とは違った角度・深度で、航空戦力の重要性を説かれているため、大変貴重なものだと感じています。
     しかしながら、砲兵に関してはその重要性を説明するものがすくなく、あっても具体性に欠けていたり、無機的な数字でわかりにくいものばかりであったようにおもわれます。(この事が現今の日本における火砲の大幅削減に関係しているのかも知れません。)
    ところが今回の連載では、二十世紀以降の戦いにおいては航空優勢の下、火力の優勢も戦況に大きな影響を与えているという点が、具体的に納得のいく形で、通説に対する疑問点の提示と解説によって語られているわけで、干天の慈雨と感じた次第です。有難うございます。これからもよろしくお願いします。

     さて、申し訳ありませんが、また質問させていただきます。米軍が学んだ「砲兵司令部に強力な権限を与えて上から一気にやるソ連式の砲兵」の本家、ソ連軍の砲兵の大規模火力集中については、ドイツ軍の評価、ソ連軍自体の認識はどのようなものなのでしょうか?

    > ですから戦後の研究も北アフリカで英軍の実績を参考に発達した航空支援システムに関するものは比較的多くありますが、砲兵運用に関するものは少数です。
     ということは、米軍砲兵は第二次大戦の問題点を改善せずに朝鮮戦争で戦ったのでしょうか?

  7. BUN - 1月 16, 2011

    ムチのムチさん

    亀の如くのんびりとしておりますが、少しずつ順を追って話を進めていますので、場合によってはお望みの話題が出ることと思います。少々お待ちください。

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