砲兵の仕事 37 (火力主義の背景)

 圧倒的な火力でドイツ軍の東部戦線を崩壊させつつあったソ連軍に対して、アメリカ軍の砲兵戦力はそれほどでもありません。野砲の生産もソ連軍に比べれば意外なほどに少なく、よくこれでドイツ軍相手に戦えたものだと思いますが、アメリカ軍には別の手段がありました。

 前回に触れた戦車部隊の火力増大はそのひとつです。戦車部隊が支援火力を自給自足できるようになって来たことで、アメリカ軍砲兵は野戦砲兵の重要任務の一つである戦車部隊への火力支援というテーマから解放されます。これは重要な変化でしたが、さらに重要な変化は航空支援の充実です。1944年になるとイギリス軍でも友軍最前線から6kmまでを野戦砲兵の分担範囲とし、それ以上の目標は航空支援の対象と考えるようになっています。アメリカ軍はさらに進んで近接支援と対砲兵戦までを航空に任せるようになり、地上攻撃機を長射程の砲兵として大いに活用し始めます。要はそれだけ航空支援の密度が上がって来たということですが、考えてみればそうした戦い方は既に第一次世界大戦で出現していたものです。第一次世界大戦末期と同じような航空機の運用を、より複雑でより高価になった航空機を使って、大量に、そして柔軟に、即時に投入できるようになったのが戦争後期のアメリカ軍でした。他国の陸軍はソ連軍を除いてそこまでの集中を実現できていません。

 このように航空による火力の肩代わりが行われたことで、1944年のノルマンディ戦を切り抜けることができたのですが、ノルマンディ戦での苦戦もまた航空支援に責任の一端があります。その悩みもまた第一次世界大戦で味わったものと変わりません。

 たとえばカーン地区での突破作戦には長距離砲兵の代りに戦略爆撃機を含む大量の航空機が投入されてドイツ軍防御陣地の破壊が試みられますが、極度に狭い正面に対して集中された爆撃は第一次世界大戦の猛砲撃と同じような過度の破壊をもたらして、友軍の前進をも阻んでしまいます。このような一定範囲の全てを目標とする「破壊主義」の砲撃戦はそうした欠点を持つことが知られた結果、敵の中枢に攻撃を集中する「無力化主義」に至ったのが第一次世界大戦の経験でしたが、ノルマンディ戦での航空攻撃は全般的に縦深において不十分で、個別目標に対しては不徹底な傾向がありました。これは連合国航空部隊の失敗というよりも、ドイツ軍側の偽装と分散、防御の徹底が大きな要因です。

 ノルマンディ戦では連合軍の突破作戦が何度も計画されては挫折しますが、それが愚直な戦術の反復を原因としていたなら、連合軍は余りにも愚かな軍隊です。イギリス軍でもアメリカ軍でもノルマンディで過ごした夏の間になされていたことは、航空と砲兵との連携をより洗練する試みと、地上部隊レベルでの諸兵科協同の実現です。

 そして、いくつかの欠陥が露呈したからといって連合軍はその戦術を大幅に変更することはありません。1944年という時期は第一次世界大戦後期の1917年、1918年に良く似ていて、この時期の連合軍にとって最も不足していたのは機材でも弾薬でもなく、マンパワーだったという事情もまったく同じです。大規模火力戦は弾薬の浪費を招きますが、砲弾と爆弾を費やせば費やすほどに人命が救えるという結果が既に出ている以上、戦術が変更されることはありません。ましてフランスを解放してドイツ本国に迫る連合軍の前には「ジークフリート線」という脅威があったのですから、たとえその実態がどうであれ、マンパワーの不足が最大の問題だった連合軍にとって手を緩めることなど考えられなかったのです。

 こうして野砲兵と航空攻撃による「破壊主義」は続けられ、誤爆によって「タンクデストロイヤーの父」であるマクネア中将までが戦死してしまいますが、精度に劣っても巧妙な偽装によって隠された目標を撃破するには仕方の無いことと考えられ、「破壊主義」はどんどんエスカレートして行きます。

 けれども、大規模な火力戦は重防御のドイツ軍陣地を必ず破壊できるわけではなく、100㎡に対して平均1.8tもの爆弾と砲弾が打ち込まれても、ドイツ軍陣地の10%から15%を破壊した程度、といった事例が連続しています。太平洋戦線の硫黄島などを連想させますが、猛烈な爆撃と砲撃は防御陣地にこもるドイツ軍将兵の士気崩壊を招くことが経験によって知られ始めます。兵器が破壊されなくとも常識を超えた猛攻はそれを扱う兵士達を心理的に圧倒してしまうという、東部戦線のソ連軍が「破壊主義」の徹底によって「無力化主義」の成果をも手にしたのと同じ体験です。

 このように砲兵リソースでソ連軍に劣る西部戦線の連合軍は航空攻撃でその不足を補い、戦略爆撃機を転用してまでも火力の集中を達成していました。その火力集中は単純に豊富な物量がもたらしたものではなく、背後には連合軍にとって最も不足していた要素であるマンパワーをいたずらに失えないという明確な理由があります。

1月 10, 2011 · BUN · 4 Comments
Posted in: 砲兵の仕事, 陸戦

4 Responses

  1. ムチのムチ - 1月 10, 2011

     二十世紀以降の陸戦の実相に緊迫する本連載に大変勉強させていただいております。今年もよろしくお願いします。

    >  こうして野砲兵と航空攻撃による「破壊主義」は続けられ、誤爆によって「タンクデストロイヤーの父」であるマクネア中将までが戦死してしまいますが、

    なにか、オチがついたという気がしてしまうエピソードですね。

     結局、火力の面からみると、ノルマンディーにおいて米軍正面で突破に成功し、英軍正面は駄目だったのはたまたまの巡り合わせ、ということなのでしょうか? それとも各種装備等の数量や運用、射撃システム等に、実は差があったのでしょうか?

     なお、「砲兵の仕事 24 (戦場の女王とはどういうことか?)」のコメント3で、
    > このソ連式砲兵運用なんですが、
    > これは素晴らしい、実に参考になる、と情報を集め、大戦後期からその運用コンセプトを採り入れた軍隊があります。
    > アメリカ陸軍です。
    と述べておられますが、これは具体的にはどのような方法・手段で米陸軍はソ連軍の運用コンセプトを知ったのでしょうか?

    英軍には、こういうソ連軍から学んだ運用コンセプトはなかったのでしょうか?

  2. BUN - 1月 10, 2011

    ムチのムチさん

    そんなに大げさなものではありませんが、今年もよろしくお願いいたします。

    イギリス軍もアメリカ軍も同じような考え方で戦闘を進めています。基本的な考え方に大きな差はありません。
    どちらも理屈の上では鋭く正確な砲撃による無力化主義を理想としているのですが、結局はソ連式の破壊主義をエスカレートさせ、その果てに無力化主義の成果を得ています。
    そして大戦中の同盟国間であれば戦闘の概況は伝わります。日本でさえ対米英開戦前に戦われたバトルオブブリテンの実相をよく把握しています。

  3. ロードスの騎士 - 1月 12, 2011

    勉強になります。でも日本軍に「時として豪雨という表現をも超えたり」と米軍火砲は評されていますが、それはなぜでしょう。

  4. BUN - 1月 12, 2011

    ロードスの騎士さん

    米軍の砲兵火力集中規模が「ソ連に比べて劣る」といっても、その威力と精度は空前のものです。ここで紹介しているように例えば、1944年9月のル・アーブルのように機材と兵員を失わずとも実質的に砲撃のショック効果のみで陥落してしまう事例も多くあります。
    当たり前の話ですが砲撃は撃たれる側にとっては過酷な体験なのです。

    特に日本軍の場合、数時間、数日にわたる準備砲撃など砲兵の教範には載っていても、建軍以来、実際に体験した者はなく、演習ですら想定されていませんから、たとえ短時間でも集中度と精度の高い射撃を浴びると天変地異のように表現されるのも無理は無いんです。
    それは愚かとか旧式ということではなく、第二次大戦前の新しい常識はそうした猛砲撃を「前大戦の遺物」として捨て去っていたということです。

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