砲兵の仕事 36 (機動力と火力の逆転)

 1944年6月6日に始まったノルマンディ上陸作戦から翌年5月までのフランスからドイツ中央部まで続く北西ヨーロッパの戦いは戦争初期の1940年に同じ地域で戦われた電撃戦とは随分とおもむきが違います。

 この頃は連合軍でもドイツ軍でも電撃戦時代とは「機動」と「火力」の地位が逆転し、すぐれた機動が火力の優位を覆すという軍人にとってロマンチックな発想は過去のものとして捨て去られています。

 1930年代に世界的に流行した機動戦論にあったような戦車部隊の単独突破による勝利の可能性は誰が考えても現実的ではなく、連合軍は砲兵の集中と航空兵力によって敵の攻撃を撃破し、その火力を敵対戦車砲と砲兵の制圧に用いて反撃に転じて突破を実現し、友軍の機動の自由を確保するという第一次世界大戦の原則に立ち返っています。ノルマンディ戦で見られた「猛砲撃」や「猛爆撃」は連合軍が物量に富むから実施されたのではなく、前大戦の原則に立ち戻った際に必須だったからです。それは人的損害を最小限にするためには砲弾と爆弾を大量に消費しなければならないという前大戦の教訓によって意識的に選び取られた戦術でした。

 一方のドイツ軍も準備不足だった上陸直後はともかくとして、7月になると砲兵の集中を行い、連合軍の攻勢に対して的確な反撃を行うようになります。ドイツ軍は連合軍よりも小規模な砲兵リソースを有効活用するため、縦深制圧を意図的に放棄して友軍の直接支援任務に集中投入して戦線の破綻を防ごうと試みます。当時、ドイツ軍にとって西部戦線将兵の士気低下、厭戦気分は極めて深刻な問題で、精鋭ドイツ軍の面影はまったくありませんでしたが、それでも2ヶ月以上持ち堪えることができたのは曲りなりにも威力のある火力支援システムを築き上げることができたからです。崩れ行く西部戦線を一時的に支えたのは連合軍並みの戦術を身につけた砲兵とドイツ本土防空戦を圧迫しながらも投入され続けた航空兵力でした。

 しかし、そうは言っても、西部戦線でドイツ軍の砲兵が活躍したエピソードはあまり伝わっていません。活躍したのは残された数少ない精鋭である戦車部隊だと思われていますし、少数ながら強力なティーガー戦車やパンター戦車が多数の連合軍戦車を苦しめ抜いたことになっています。なかでもイギリス軍はノルマンディでドイツ軍の戦車エース1人を相手に1個旅団が壊滅するなど、ドイツ戦車によって大いに苦しめられたことになっています。数は少なくても優秀なドイツ軍戦車部隊が全力で敵戦車を撃破し続けたからこそ、西部戦線はあれだけ持ち堪えたんじゃないか、という気持ちにもなってきます。

 けれども全体を見渡すと北西ヨーロッパの戦闘はドイツ軍戦車の活躍した北アフリカ戦線などとはまったく異なる戦場でした。

その様相はイギリス軍戦車の損失要因からもよく理解できます。

イギリス軍戦車の損失要因

北アフリカ戦線

地雷 19.5% 対戦車砲 40.3% 戦車 38.4% 間接砲撃/空襲他 1.8%

イタリア戦線

地雷 30.0% 対戦車砲 16.0%  戦車 12.0%  間接砲撃/空襲他 42.0%

北西ヨーロッパ戦線

地雷 22.1% 対戦車砲 22.7% 戦車 14.5% 間接砲撃/空襲他 40.7%

 主に平坦な砂漠で機動戦が戦われた北アフリカでは戦車に活躍の余地がありましたが、それでもイギリス軍戦車の一番の敵は対戦車砲です。さらにイタリア戦線では戦車対戦車の対決は下火になり、ノルマンディ戦以降になっても回復しませんから地形的要因ばかりではないこともわかります。イギリス戦車が10台炎上していたら、その原因は十中八九「ドイツ戦車ではない」ようです。

 それでは敵戦車とあまり戦わなくなった戦車はどんな仕事をしていたのでしょう。

 1944年になると連合軍戦車部隊は火力支援用の自走砲に不自由しなくなります。特にアメリカ軍は戦車部隊に限らずM7自走砲が潤沢にありましたし、戦車師団にはM10やM18のような対戦車自走砲大隊も配備されています。そして何よりも75mm砲を搭載するM4シャーマン戦車そのものが優秀な砲兵部隊としての機能を持っていましたから、戦車部隊は自走砲の力を借りずとも、集結することで自らの火力で敵の対戦車砲陣地と対決できるようになってきます。やがて105mm榴弾砲搭載型のM4中戦車が配備されるようになるとオープントップで乗員がエアバーストする榴弾の脅威に晒されてしまうM7自走砲はその仕事を奪われてしまいます。

 

 このように戦車が戦車の直接対決が少なくなったからといって、両軍の戦車が暇になった訳ではありません。戦闘の様相が変わってしまい、かつての三号戦車ほどにも敵戦車を喰えなくなっているティーガーやパンターといった重戦車も、旧式化しても大砲だけは一人前に換装されているお蔭で新型戦車並みの火力を発揮できた四号戦車も、役に立たなくなってしまったのではなく、歩兵や航空機と協同する火力の一部として重要な存在でした。砲兵リソースで連合軍に劣るドイツ軍にとっては尚更のことです。

 1944年の戦場にはかつての電撃戦時代のように、戦車部隊が蹴散らせるような経験と準備の不足した敵軍はもはや存在しません。そこに出現したのは、どちらも周到に準備された火力戦で敵の防御陣を圧倒してからでなくては機動戦のフェイズに移行できず、もし移行できてもそれに追随できる支援火力が無ければせっかく展開した機動戦も簡単に終息してしまうという現実でした。

1月 10, 2011 · BUN · 7 Comments
Posted in: 砲兵の仕事, 陸戦

7 Responses

  1. ねこ800 - 1月 10, 2011

    電撃戦って自分に都合がよくて相手に都合が悪い条件がいくつも重ならないと成立しないものだったんですね。。。

  2. BUN - 1月 10, 2011

    ねこ800さん

    そうですね。戦車ファンにとってはあんまり面白くない話ですね。

  3. Tweets that mention いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 36 (機動力と火力の逆転) -- Topsy.com - 1月 10, 2011

    […] This post was mentioned on Twitter by jun, いまどら. いまどら said: 読んでる:いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 36 (機動力と火力の逆転) – http://bit.ly/fRM4qe "イギリス軍はノルマンディで […]

  4. ムチのムチ - 1月 13, 2011

    「イギリス軍戦車の損失要因」、特に「北西ヨーロッパ戦線」の状況は衝撃的ですね。
    ちなみに、ここで言う「損失」とは、修理不可能な全損とイコールなのでしょうか? 後方に下げての修理が必要な状態なのでしょうか?

  5. BUN - 1月 13, 2011

    ムチのムチさん

    元にしたのは「何によってやられたか」という損害要因の統計ですから、おそらく戦況によって大きく左右される回収、再建の可否は考慮していないとは思いますが、よくわかりません。

  6. x - 1月 20, 2011

    圧倒的に強い側が弱い側を精神的に打ちのめす戦法ということですか

  7. BUN - 1月 20, 2011

    Xさん

    ここは見る角度を変えることが大切だと思います。
    圧倒的火力を発揮してみせた側は何が弱味だったのか、ということです。
    何をしたくないために火力で敵を圧倒しなければならなかったのかを考えてみると、単なる物量戦といった平板な印象の裏にあるものが見えて来るのではないかと思います。

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