砲兵の仕事 34 (イタリア戦線での学習)

 アメリカ軍がヨーロッパの地上戦に直接介入する覚悟を決めたのは1940年6月のフランス崩壊の時点です。このときアメリカ軍が手本にしたのはドイツ軍の電撃戦でしたから、1942年の秋に北アフリカに上陸したアメリカ軍の砲兵部隊は機動戦志向の編制と戦術を持っています。既に火力主義への変革を成し遂げたイギリス軍に周回おくれで、後悔し始めたドイツ軍にさえ半周おくれのスタートでした。

 ただアメリカ軍砲兵部隊には優れた点も多くあります。機動戦志向の砲兵を育てた結果、機材の機械化が進んでいたことが第一に挙げられます。アメリカ軍戦車師団には最初から自走砲が配備されています。これは当時のドイツ軍にはやりたくても実現できない贅沢です。第二に機動戦に対応するために整備された優れた無線電話網があります。これは今後の火力主義への戦術転換の際に極めて貴重なリソースとなります。そして第三に砲兵隊の中に火力集中を実施するための指揮組織を持っていたことです。火力指揮センター(FDC)はそれまで砲兵中隊単位で指揮されていた砲撃戦を大隊単位で統一指揮するために設けられたもので、アメリカ軍砲兵組織が他国に並ぶ合理的なものであったことを示しています。

 けれども1942年当初のFDCは砲兵大隊規模でしか機能しません。アメリカ軍の師団砲兵は105㎜榴弾砲装備の3個大隊が近接支援任務に当たり、より長射程の155mm榴弾砲1個大隊が対砲兵戦を含めた総合支援任務を担う編制になっています。アメリカ軍師団の持つ基本構造は3個戦闘団ですから、それぞれに直轄の榴弾砲大隊が分派され、状況によって155mm榴弾砲大隊が協力するというものだったからです。

 こうした説明を聞くと何となく納得してしまいそうですが、既に火力主義に転じていたイギリス軍にしてみれば「0点」の答案に過ぎません。西欧流の火力主義とはアメリカ軍師団が3個戦闘団で構成されているなら、全ての戦闘団が師団砲兵4個大隊の火力支援を受けられるような「火力の機動性」を実現することだからです。そして必要とあらば隣接する師団の火力と軍団直轄砲兵の火力までもが集中できるような工夫が常識化しつつある中で、アメリカ軍砲兵はチュニジアの戦いが終わるまで、ついにその実力を発揮できないまま過ごしてしまいます。ひとつの戦闘に投入できる火力が小さく、チュニジア半島の地形を利用して防御を固めたドイツ軍をうまく制圧することができなかったためです。

 そしてチュニジア戦に続くシシリー島の戦いもおよそ機動戦には向かず、逆に地形をよく利用したドイツ軍による遅滞戦闘が成功しやすい戦場でしたからアメリカ軍は砲兵戦術の再考を迫られることになります。野砲兵が自走する突撃砲と化してまで追いかける必要のある「突破独走中の戦車部隊」など戦場の何処にも存在しないのです。そして悪いことにイギリス軍との戦闘で痛い目にあっているドイツ軍は友軍の数少ない砲兵の集中運用を試みるようになり、同時にその砲兵陣地は優れた野戦築城を伴うようになっています。並みの砲撃では撃破できない第一次世界大戦のような陣地線がイタリア半島に何度も構築されるようになります。○○線、○○ラインと呼ばれる前大戦式の防衛線はドイツ軍による野戦築城と砲兵火力集中の試みを表すものです。

 余談になりますが、ドイツ軍によってパンターを初めとする戦車の砲塔を地下壕とセットで配置する戦車砲塔トーチカが盛んに使われたのがイタリア戦線です。このような兵器を「火力には優れていたが機動力の無い戦車砲塔トーチカはその位置が発見されれば容易に撃破されてしまう存在だった」とする解説がありますが、高価なパンター砲塔をそのような無駄遣いに投じる余裕はドイツ軍にはありません。よく防御され、榴弾が無効で直撃しなければ被害を受けない戦車砲塔が配置されていたら、それを潰すために大変な努力を必要とします。これに対砲兵戦を仕掛けた場合、早急に撃破できなければ射撃陣地が相手に露見した友軍の砲兵に対して敵野砲から逆に対砲兵戦が仕掛けられてしまいます。かといって何の対策も無く戦車で対抗すればパンターカノンは友軍戦車に耐え難い交換比率を強いるでしょう。そして最悪の場合、目標の砲塔トーチカは未発見の砲塔トーチカと相互支援関係にあり、十字砲火を浴びせてくる場合さえ考えられます。このようにイタリア戦線は戦車より、よく防御された砲兵陣地が威力を発揮する戦場だったのです。

 こうした特徴を持つイタリア戦線での経験はアメリカ軍に多くの影響を与えます。たとえば普通に考えると理解しにくい一部砲兵の牽引砲への先祖返り、といった現象もチュニジア、シシリーの戦訓の影響によるものです。そしてアメリカ軍砲兵はチュニジア、シシリー、イタリアの戦闘でイギリス流の火力主義を幾度もの苦戦を伴いながら学ぶことになりますが、その苦戦の中で発達したのがFDCの指揮統制規模の拡大と航空部隊との連携でした。砲兵大隊の運用合理化策でしかなかったFDCの機能と権限をイギリス軍並みに大きくすることが「火力の機動性」を実現する唯一の道でしたし、ドイツ軍に欠乏しアメリカ軍に豊富にあるリソースが航空兵力だったからです。

 イタリア戦線で常識となった1門ごとに強力に防御されたドイツ軍砲兵陣地はアフリカ戦線時代の砲兵陣地とは訳が違います。面的な制圧射撃ではまったく効果が無い上に陣地変換が頻繁に行われるため、現在位置の捕捉が困難というそれは厄介なものになってしまっています。このためにアメリカ軍の対砲兵戦もそのやり方が変わります。

 それまでの対砲兵戦は航空写真偵察情報をもとに作成された砲兵地図を基礎として敵砲兵陣地を特定した時点で仕事の大半は終わりでした。ところが1門ずつが強力に防御されるようになってしまったイタリア戦線では大量の榴弾射撃を加えても撃破できない事例が激増します。このような現象は当たり前といえば当たり前で、ドイツ軍はついに実現できませんでしたが、野砲の標準口径を105mm/150mmクラスから150mm/200mmクラスに増大することで対応しようと試み、ソ連軍は突撃砲の大量投入による直接射撃で解決しようとした課題です。

 苦戦してから装備の更新を考えても間に合うはずもありませんから、アメリカ軍は対砲兵戦のやり方を工夫するようになります。漫然と面制圧射撃をするのでは効果が上がらない以上、直撃必中を狙うように変わります。敵砲兵陣地を発見次第、砲戦観測機が敵陣地上空に張り付き、敵砲兵陣地にある砲の破壊を目視確認するまでその砲の破壊を担当する砲兵中隊が延々と撃ち続けるというものです。とんでもなく手間が掛かりますが、こうすればいつかは当たりますし、砲兵火力が優位にあればあるほど手早く済む理屈です。そして我が日本陸軍も沖縄本島の戦闘でこれと同じ方式の対砲兵戦闘をより大規模にやられた経験があります。その際は加農砲3門に対して軍団砲兵全てが指向されています。敵砲兵はそうまでしても潰す価値がある存在だということでもあります。

 こうした執拗な対砲兵戦は制空権と砲兵火力の優越があってこそ実現できる戦術ですが、異常に手間のかかるやり方であることも事実です。連合軍のイタリア戦線での進撃が遅い理由には「機動線に向かない地形が」「ドイツ軍の老練な遅滞戦闘が」といったもっともらしい説明のほかに、全ての戦闘にこうした手間がかかるようになってしまったという事情があります。そしてアメリカ軍自身も「まだまだ火力が足りないのではないか」と考えるようになってゆきます。

12月 13, 2010 · BUN · 11 Comments
Posted in: 砲兵の仕事, 陸戦

11 Responses

  1. ねこ800 - 12月 13, 2010

    ( ̄ヘ ̄;)ウーン

    個々の兵器の火力が勝っていても運用次第では意味が半減するってことなのでしょうか。。。

  2. ペドロ - 12月 13, 2010

    >敵砲兵陣地を発見次第、砲戦観測機が敵陣地上空に張り付き、
    >敵砲兵陣地にある砲の破壊を目視確認するまで
    >その砲の破壊を担当する砲兵中隊が延々と撃ち続けるというもの

    末期の戦場に投入された日本兵の方が必ず回想する「観測機」ですね。砲兵陣地がない代わりに炊事の煙一筋でも集中砲火を食らったとか。対空兵器が乏しい日本軍向けの戦術かと思い込んでいましたが、ドイツ兵やイタリア兵の方の手記にも恨めし気に書いてあるかもしれませんね。

  3. 75 - 12月 14, 2010

    >牽引砲への先祖返り
    FH70が共同開発国でもあるイギリスやドイツで退役してる一方で
    イタリアやそれに日本で大量に運用され続けているのもこうした戦いを想定してのことなんでしょうか

  4. BUN - 12月 15, 2010

    ねこ800さん

    だったらもっと大砲があればいい、というのがソ連式ですね。

    ペドロさん

    制空権下で陣地上空に観測機が張り付く様子は実は第一次世界大戦のベルダン戦から見られる昔からのスタイルでもあります。確かに嫌だったでしょうね。

    75さん

    火力は機動力に優る、機材の機動力より火力の機動力、といった砲兵戦の原則以上に牽引砲を延命させた理由のひとつに火力戦の基礎となる補給問題があります。「進撃する自走化砲兵にどうやって補給するんだ?」「補給能力の限界から機動を拘束されるのならあえて自走化しなくても良いのでは?」という問題です。

  5. ねこ800 - 12月 18, 2010

    ふと思ったんですが、兵器って質より量なんでしょうかね。

    兵器を操作し、実際に戦闘行為を行うのが最終的にはヒトであるなら過剰な性能の兵器の意味ってあまりなくて、安価で大量に手に入れられる火力がたくさんあったほうがいいような気もするんですが、

    そういいつつ国の予算の限界もあるからあまり量が多くても人件費で破綻しかねないし、やっぱり性能で数を補えるならそこそこの性能でそこそこの火力でということになって、機械化すればすべてOKでもないってことなのかなあと。

  6.   - 12月 20, 2010

    逆に考えるとジャングルのような場所では無駄な砲撃をさせやすいので大国相手の消耗戦で有利?

  7. BUN - 12月 20, 2010

    ねこ800さん

    現実には、数を補うために質の充実を図ることもあればその逆もあり、巧く行くこともあれば失敗することもある、という煮え切らない答えになるんんじゃないかと思います。

    お名前の無い方

    防備の堅い敵陣や目標を視認し難い地形に対して砲弾を無駄を承知で撃ち込む理由の多くは、敵を撃破するためというよりも、友軍の損害を減らすためで、無駄ダマを覚悟で実施されます。ですから単純に砲弾を浪費させたから勝ち、という訳でもありません。

  8. きっど - 12月 31, 2010

    >そしてアメリカ軍自身も「まだまだ火力が足りないのではないか」と考えるようになってゆきます。
    アメリカ軍の理想はソ連式の「大砲いっぱい方式」と以前書かれていましたが、ソ連のように1個戦闘団毎に大規模な砲兵隊を専属で付ける必要か有ると考えたのでしょうか?(その割には重砲の生産数が少ないようですが)
    それとも、「リトル・デービッド」の様な超重砲を使おうとしたのでしょうか?

  9. きっど - 12月 31, 2010

    追記
    重防御された陣地は重自走砲の直接射撃で対抗することにし、45年になってから慌てて生産しているようですが、直接射撃だと陣地に配置されたパンター砲塔のような対戦車砲等の射撃を受ける筈です。
    同様の任務に使用されたソ連の重突撃砲は重装甲を纏っていますが、ほとんど無防備に近いアメリカの重自走砲で大丈夫だったのでしょうか?

  10. BUN - 12月 31, 2010

    きっどさん

    アメリカ軍は最初にドイツ式で学び、次にソ連式の火力主義を理想としています。歩兵師団に行き渡ったGHQ戦車大隊や大規模な航空攻撃能力もソ連式に繋がるものですが、ソ連式が良かったという本当の意味は、アメリカ軍が終戦まで砲兵の大規模集中を掲げながら実践できていなかったところにあるのだと思います。

    また、M12自走砲は実践投入前に大規模改造で防御力強化を図っています。意識していない訳じゃないんですね。こうした任務には本来ならT28が理想だった訳です。好評だったのは諸兵科連合が上手くできたことと相手が予想よりも弱かったためでしょう。

  11. taku - 1月 19, 2011

    砲兵の仕事 10でも壕に埋められた砲の処理に非常に大きなリソースを割いていたことを記述していましたが、それはテクノロジーが進歩したWW2においても実情はほとんど変わらないのですね。

    トーチカ型の定点防御、というのはやはり上記のWW1における教訓の流れも汲んでいたのでしょうか?
    そうであればイタリア戦線に移行する以前にも東部戦線などにおいて活躍があってもよさそうなものでしょうが、やはりそういった戦例は多く、静的防御を取り入れたドイツ軍及び連合軍の間ではもはや常識程度の戦術だったのでしょうか?
    また、あったのであれば火力支援の劣るドイツ軍はどのようにしてその火点を処理したのでしょうか。
    というか、それがまさにここまで漠然と読んできた”ストロングポイント”に他ならないでしょうか。

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