砲兵の仕事 33 (後れをとるアメリカ軍砲兵)

 ここしばらくイギリス軍とソ連軍、ドイツ軍の砲兵がそれぞれ第一次世界大戦式の火力戦に回帰してゆく様子を紹介してきましたが、それでは連合軍の中核となった第二次世界大戦のアメリカ軍で野砲兵はどのような存在だったのでしょう。太平洋戦争に関する戦記を読むとそこに描かれるアメリカ軍砲兵は「鉄の暴風」といった圧倒的な火力を誇る超越的な印象を与えます。なにか説明するまでもない物量主義の権化のように感じてしまいますが、その実態はどんなものだったのでしょうか。

 アメリカ軍野砲兵は第一次世界大戦中のフランス軍によって育成されています。アメリカ軍に近代的砲兵戦術を教えたのはフランス軍で、その装備も殆どがフランス製です。75mm野砲のM1897から155mmGPF、240mm榴弾砲までフランス製の野砲が供給され、一部のイギリス製18ポンド砲やアメリカ製の75mm野砲もフランス製砲弾を使えるように改造されています。ただ飛行機と同じく、アメリカの戦時工業が大量に製品を供給できるようになる前に休戦を迎えてしまったのでアメリカ軍野砲兵の規模はまだ小さく、主力の75mm野砲さえフランス製M1897が1828門、アメリカ製が143門といった程度しか供給されていません。

 育成途上で戦争が終わってしまったことでアメリカ軍の野砲兵はとても中途半端な状態でその成長を止めてしまいます。これはアメリカ軍にとって非常に不満なことで、せっかく学んだ戦術と知見を実践する機会がないのです。そのために戦後まもない1919年には新しい世代の砲兵をどのように建設すべきかを探る作業が始まります。ウェスターベルト委員会と呼ばれる砲兵装備と運用に関する委員会が設けられ、そこからいくつかの方針が生まれます。まだ世界大戦の記憶が生々しい時期ですからその内容は鋭さを失わず、将来の砲兵はかくあるべし、といった明確な展望を持っています。

 このウェスターベルト委員会の答申は多岐にわたりますが、注目すべき点は第一次世界大戦中の経験によって主力野砲となった75mm砲がドイツ軍陣地の攻撃には威力不足であり、105mm口径以上の砲を将来の主力野砲とすべきであるとしたことと、機動戦に対応するために砲兵全般の機械化を促進する必要があり、最終的には装軌車台に全砲を積載するべきだとしたところです。大口径化と自走化を目指す明確な提言が1919年にあったわけです。そしてアメリカ軍はこのウェスターベルト委員会の答申に沿って改革を進め、装備を更新して現代に至ります、と言ってしまうと話が終わってしまいますが、事実、その通りでした。

ただ委員会から20年もの間、大きな停滞期間があったというだけのことです。

 世界大戦後の大幅な予算縮小と孤立主義がアメリカ軍砲兵を第一次世界大戦レベルに追いつく途上で凍結させてしまったことで、アメリカ軍はイギリス軍やドイツ軍のように砲兵戦の奥義を実戦で学ばないまま次の戦争を迎えることになってしまいます。そのためにアメリカ軍の砲兵部隊は独特の長所を持ちながらも第二次世界大戦中期までその装備と戦術、指揮統制組織に相当なハンディキャップを負っていました。

 アメリカ軍の野砲兵は第一次世界大戦の砲兵戦術で最も重要な大規模火力集中について十分に経験を積めず、しかも戦後の極端な予算削減で装備と組織をそれに向けて強化する機会も失ってしまいます。第一次世界大戦で急いで入手したフランス製の野砲群はそれなりの数があったので、将来の戦争でヨーロッパ方面への地上兵力による介入は無い、との見通しから戦後の軍備としてはそれで十分であると判断されてしまったことも痛手でした。

 このため戦間期のアメリカ軍砲兵は乏しい予算の中で一回り小さな世界での充実を目指すようになります。歩兵師団の師団砲兵を改良、合理化しようという発想と試みが1930年代を通じて細々と続けられます。75mm口径のパックハウザー(分解搬送榴弾砲)の完成などがその成果ですが、1919年に理想とされた105mm榴弾砲の研究開発も進められてはいたものの予算の制約から量産は少しも捗りません。第二次世界大戦を迎えたとき、アメリカ軍は新型野砲の増産に取り掛かりましたが、1920年代から砲兵の充実を重視してきたソ連軍とはスタート地点がかけ離れてしまっていたのです。その差がどんなものだったか、年度毎の野砲生産数で比較してみます。

1940年

軽野砲生産  米  36門 ソ連 2549門

野戦重砲生産 米   0門 ソ連 2253門

1941年

軽野砲生産  米 1019門 ソ連 9296門

野戦重砲生産 米  64門 ソ連 5305門

他連装ロケット砲     ソ連 1000基

1942年

軽野砲生産  米 4597門 ソ連 27237門

野戦重砲生産 米  647門 ソ連 2194門

多連装ロケット砲      ソ連 3300基

1943年

軽野砲生産  米 7292門 ソ連 20249門

野戦重砲生産 米 2660門 ソ連 1500門

多連装ロケット砲      ソ連 3300基

1944年

軽野砲生産  米 2525門 ソ連 22823門

野戦重砲生産 米 3284門 ソ連 693門

多連装ロケット砲      ソ連 2600基

1945年

軽野砲生産  米 935門 ソ連 12383門

野戦重砲生産 米 1147門 ソ連 1285門

多連装ロケット砲      ソ連 800基

 アメリカの野砲生産数があまりにも少ないことに驚きます。

 1940年の36門の内訳は日本陸軍で言えば山砲に相当する75mmパックハウザーのみです。その後の増産もソ連にはまったく及びません。この生産数ですから同盟国へのレンドリースもこと野砲に関しては極めて少数で、当然のことながらソ連には送られていません。野戦重砲の生産がソ連を上回る傾向がありますが、ソ連軍にはアメリカには殆ど存在しない自走野戦重砲であるISU-152が1944年だけで2500輌以上生産されて直接射撃任務を担当し、間接射撃では多連装ロケット砲が野戦重砲の任務を肩代わりしつつあります。野砲の開発と生産についてはアメリカ軍はソ連軍に対して完全に後れを取っています。

 ソ連軍ほどに圧倒的な優勢を達成できないアメリカ軍砲兵は、段々と火力戦に転換しつつあった戦争後半のドイツ軍に対してどのように戦いを進めていったのか、機動力と火力のバランスをどのように考えていたのか、これからそんなところを追いかけてみたいと思います。

11月 23, 2010 · BUN · 7 Comments
Posted in: 砲兵の仕事, 陸戦

7 Responses

  1. 栗田 - 11月 24, 2010

    いつも興味深く拝読しています。
    エクセルでぱたぱたと比較グラフを作ってビックリしました。
    アメリカ相手であれほどの砲力の隔絶を感じた我が国からすると、ソビエトの火器生産のスケールって、どれだけのものだったか。

    野戦重砲でアメリカよりも7割増し
    軽野砲ではアメリカの6倍!
    アメリカこそが連合国の中で物量面での唯一無二の存在だったという先入観を持っておりましたので、ただただ驚きを感じています。

  2. Job - 11月 24, 2010

    ソ連側の軽野砲生産が42年から激増していますが、ZIS-3の生産数をすべて含めた数値だと思います。
    ISUの記述からも考えて、これはあくまで野砲として使用し得る牽引砲の生産数を記載したもので、自走砲や対戦車砲も含めた総数ではないという認識でよろしいでしょうか。

  3. uuchan - 11月 25, 2010

    太平洋戦争のアメリカの砲撃シーンで思い出すものは、戦艦の艦砲射撃と上陸用舟艇のロケット砲射撃で、どちらも海軍です。陸軍の砲兵力は島嶼戦でもそれほど強くはなかったために、硫黄島や沖縄のような地にもぐる戦い方がアメリカには苦手としたのでしょうか。
    中国軍の米式装備も、どの程度砲兵力があったのか。
    大陸で末期まで日本軍が自身を持っていたのも、砲兵力の差によるものかもしれません。
    興味がつきません。

  4. BUN - 11月 27, 2010

    栗田さん

    面白いですよね。
    戦間期のアメリカ陸軍が何を考えていたか、というテーマはどこかで別にやりたいと思っているんです。

    jobさん

    ご指摘の内容は「SU-76に搭載された分まで勘定に入れていないか?」ということでしょうか。
    だとしたらSU-76の本格的な生産は1943年度からですし、「ソ連的」な数で大量生産されるのはT-34/85と同時期の1944年度なので大丈夫ではないかと思います。SU-76が何処にでも大量に現れるのは1944年になってからです。1942年度のSU-76生産実績は26輌程度ではないでしょうか。

    1942年度の増加はご指摘のZIS-3の生産が立ち上がり10139門の実績を示したことが最大の要因ですが、76mm連隊砲M1927も前年の3918門から6809門、76mm野砲F22USVが2616門から6049門、122mm軽榴弾砲M30が2762門から4240門と、合計8000門近く増産されていることも重要です。

    uuchanさん

    また面白いところに着目されましたね。
    中国はアメリカ製の大砲のレンドリース先として、イギリスに次ぐ存在です。といってもその下には南米とかが続きますが、75mmPACKHOWIZER中心で、あんまり良い兵器を貰ってないな、という感じです。御想像の通りアメリカ軍同様の火力発揮は望めませんね。

  5. Job - 11月 27, 2010

    何を聞きたいのか不明瞭な質問ですみませんでした。
    詳細な生産数のお答え、恐れ入ります。

  6. 季節労働者 - 12月 11, 2010

    いつも興味深く拝読させていただいております。

    本題からは横道に逸れてしまいますが。
    1945年の野砲生産量が、5月で一応戦争を終えているソ連より、8月まで戦争を続けていた米国の方が少ない点も気になりました。

    ソ連がどのような意図を持って、1945年に野砲を14000門も生産したのかという点にも興味があります。
    砲身命数などの損耗等により、戦争中は常に月産2000門程度の補充が必要だったのか。それとも、ドイツ降伏後の対米、対日戦をも視野にいれていたのでしょうか。

  7. BUN - 12月 13, 2010

    季節労働者さん

    ご愛読ありがとうございます。
    ソ連が、あるいはスターリンが何を考えていたのか、という問題は今回のテーマから確かにずれてしまいますが興味が尽きない部分だと思います。
    なんだか戦後の話まで続きそうですので、そこまで達したら触れてみたい話題ですね。

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