砲兵の仕事 26 (突撃砲という名の戦車 2)

 歩兵の火力支援任務で実績を示した突撃砲は制圧すべき敵野砲が76ミリ口径以上であるという問題に突き当たります。ソ連軍の主力戦車T34が結構な装甲防御力を持っていたことも問題です。そこで四号戦車と同時に長砲身化が計画されます。その結果、突撃砲は敵の高初速野砲とも対等以上に渡り合える兵器となり、対戦車戦闘でも目に見えて成果が上がるようになります。50000輌以上のソ連軍装甲車輌を撃破したと伝えられる突撃砲伝説の始まりです。古き良き昭和の日本では「五万」と主張すると「サバヨムナー」と合いの手が入るものでしたが、この場では不問としておきましょう。

 ただ、歩兵の火力支援兵器として登場した突撃砲の運用は活躍につれて変化し始めます。戦車キラーとしてドイツ軍の突撃砲が活躍すれば、それ以上に増殖するソ連軍の対戦車砲がドイツ軍戦車同様に突撃砲を仕留めるようになり、加えてSU85、SU100といったソ連版突撃砲も戦車と同じように、戦車よりも厄介なドイツ軍突撃砲を最優先で潰しにかかります。突撃砲は事実上の「戦車」ですから、戦車と同じくらい機動性に優れていたとしても所詮は対戦車砲に撃破されてしまう存在です。突撃砲は装甲を充実させてもどんどん脆弱な存在になって行きます。こうして突撃砲大隊は自らを対戦車砲から守るために専属の支援歩兵部隊を持つようになり、突撃砲旅団は歩兵を取り込むことで火力支援用の増援部隊から自立的な火力発揮集団へとその機能を充実させます。突撃砲が歩兵を支援するのではなく、歩兵が突撃砲の活動を支援するように両者の立場が逆転し始めます。

 こうして自立的傾向を強めた突撃砲旅団には旅団司令部に空軍連絡将校が配置され、航空観測による捜索/観測能力が与えられます。このあたりは突撃砲に残された砲兵らしい部分ですが、戦争中期以降の突撃砲の仕事は直接射撃による対戦車戦闘がその半ば以上を占めます。ドイツ軍の対戦車戦闘における突撃砲運用は大量集中投入で敵戦車部隊に対して積極的な攻撃をかけて撃破することが原則でしたが、現実には中隊規模に分割されて敵の突破地点へ急送されるのが日常的な使われ方でした。突撃砲の機動力で対戦車戦力の劣勢を補う手法です。要するに多勢に無勢の負け戦が続いていたということです。

 ご存知の通りこうした分割運用は独立重戦車大隊でも戦車師団の正規編制に組み込まれた戦車連隊でも行われていて、「集中投入の原則に反する」としてしばしば批判されています。けれども分割投入はドイツ軍よりも数割多い戦車と圧倒的な砲兵火力で突破を試みるソ連軍に対して戦線の穴を即座に繕う合理的な手段でもあります。こうして後期の東部戦線では戦車も突撃砲も運用上の区別がつき難くなってくるのです。

 とはいうものの世の中は戦車を博物学的に分類するのが好きですから、戦車と突撃砲は根本的に違うと反論されかねませんので、果たしてどれくらい区別がつかないか、数字で見てみることにします。

 まず、初期のサンプルとして三号戦車が搭載した42口径50ミリ戦車砲の砲弾生産を見てみます。

1940年

38式榴弾  18万8200発

39式徹甲弾 23万4100発

1941年

38式榴弾  268万1500発

39式徹甲弾 186万9800発

40式徹甲弾 64万3500発

と、ほぼ榴弾、徹甲弾の比率は肩を並べる数字です。

戦車砲の仕事の半分は榴弾射撃だということが数字でわかります。

そして1942年には60口径50ミリ戦車砲が入りますから60口径用戦車砲弾に移ります。

1942年

38式榴弾  75万3800発

39式徹甲弾 64万4500発

40式徹甲弾 18万4600発

1943年

38式榴弾  113万8700発

39式徹甲弾 118万6600発

40式徹甲弾  13万5900発

まだまだ肩を並べています。むしろ徹甲弾が少し多い位です。

これが1944年になると少し趣が変わります。

1944年

38式榴弾  68万4800発

39式徹甲弾 41万100発

40式徹甲弾 中止

 榴弾の比率が上がっていることがわかると思います。三号戦車が対戦車戦闘の第一線を退いたからなのでしょうか。それともこの傾向は他の戦車でも見られるのでしょうか。

そこで次はティーガー戦車の56口径KwK36用88ミリ戦車砲弾生産です。

1942年

榴弾     1万4100発

39式徹甲弾 2万1200発

40式徹甲弾   8000発

 榴弾より徹甲弾の比率が高いことが印象的です。この当時の編制では支援用に75ミリ砲搭載の三号戦車が加わっているからでしょうか。ところが1943年にはこの比率が劇的に変化します。

1943年

榴弾     139万2200発

39式徹甲弾  32万4800発

40式徹甲弾     8900発

1944年

榴弾      45万9400発

39式徹甲弾   39万4400発

 ティーガーI型の生産が終了する1944年には在庫調整のためか徹甲弾の比率が再び増えますが、榴弾の比率が大きいことに変わりはありません。

 そして1943年のクルスク戦から登場して1944年には主力戦車の座についたパンターの戦車砲弾はどうでしょう。

1943年

42式パンター用榴弾    94万6600発

39/42式パンター用徹甲弾 88万2600発

40/42式パンター用徹甲弾  1万8800発

 新型高性能戦車砲らしく徹甲弾の比率が初期の三号戦車並ですが、これも1944年になりパンターが大量に投入されるようになると一変します。

1944年

42式パンター用榴弾    174万9400発

39/42式パンター用徹甲弾 104万4200発

1945年

42式パンター用榴弾    13万8100発

39/42式パンター用徹甲弾 5万8900発

 1944年の戦場ではパンターカノンも榴弾で仕事をしていることがわかります。

 この傾向を突撃砲が搭載した75ミリ砲と比べてみます。

1942年

34式榴弾    43万3600発

38式成形炸薬弾 57万2200発

39式徹甲弾   26万2500発

40式徹甲弾      7000発

40式W徹甲弾     4400発

1943年

34式榴弾    171万7400発

38式成形炸薬弾 115万7100発

39式徹甲弾   192万4000発

40式徹甲弾    3万6400発

40式W徹甲弾   7万300発 

1944年

34式榴弾    412万8000発

39式徹甲弾   190万6500発

1945年

34式榴弾     14万2300発

39式徹甲弾     8万2000発

 戦車も突撃砲もないな、と思わせる数字ですね。

 おまけに牽引式対戦車砲の代表格として有名な75ミリPak40の砲弾生産です。

1942年

Pak40用榴弾   47万5200発

39式徹甲弾    23万9600発

1943年

Pak40用榴弾   134万7900発

39式徹甲弾    159万2600発

1944年

Pak40用榴弾  314万7000発

39式徹甲弾   172万1000発

1945年

Pak40用榴弾  22万発

39式徹甲弾   10万4000発

 戦車砲や突撃砲だけでなく、対戦車砲も戦争後期になると榴弾で軟目標を射撃していることがわかります。榴弾生産の増加は火力主義の台頭によって需要が激増したことを意味し、戦車砲弾の大量生産は戦車に向けてそれだけの砲弾が飛んでくるということで、ドイツ軍にとってもソ連軍にとっても「戦車部隊が火力支援なしに単独で行動すれば簡単にノックアウトされる」状況を示しています。大戦後期の戦場は榴弾射撃による火力制圧なくしては戦争にならない世界だったのです。

 我々がもっとも「戦車らしい」と感じる大口径長砲身戦車砲を搭載した重装甲の戦車たちの有り様は、戦間期の思想を反映して軽快な機動戦用兵器として発達した戦車が火力主義に適応して実質的な突撃砲と化した、「戦車の成れの果て」の姿なのかもしれません。

10月 11, 2010 · BUN · 10 Comments
Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 陸戦

10 Responses

  1. TAKKA - 10月 11, 2010

    はじめまして。毎回興味深い内容ばかりで続きが楽しみです。

    突撃砲は対戦車能力不足を補うために戦車の代用として運用されていったと思っておりましたが、
    そもそも戦車のほうが「突撃砲」になっていったとは驚きです。
    それにしても戦車のみならず対戦車砲まで榴弾射撃が主だったとは。
    「問答無用の火力」とは言いますが、本当に過酷な戦場になっていたのですね。

  2. Job - 10月 11, 2010

    PAk40にも榴弾が多数供給されていますが、自走砲はともかく
    大半の牽引砲の軟目標射撃がちょっと想像し難いです。

    重量を考えると37mmのような歩兵砲的運用は困難と思います。
    防戦での戦車随伴歩兵への直射や、仰角が低いですが
    野砲としても使用したのでしょうか。

  3. uuchan - 10月 12, 2010

     いつもたのしく勉強させていただいたいます。

     これまでは、単純に 戦車>砲兵>歩兵>戦車>・・・という3すくみを考えていました。
     しかし、砲兵>>戦車>歩兵>戦車>歩兵・・・であったのですね。そして飛行機>砲兵であったのしょうか。
     歩兵を主力にした旧日本陸軍は、戦車や砲兵よりも飛行機を重視し、なんとか打破しようとしたように思います。
     砲兵対砲兵の間接射撃戦や空軍による砲兵陣地攻撃戦は、戦史ものにおける記述も少なく、よくわかりません。制空権を握った方が一方的に叩いたのか、アウトレンジした方が強かったのか、数が多い方が強かったのか?

  4. BUN - 10月 12, 2010

    TAKKAさん

    はじめまして。
    機動戦から火力主義に転じた東部戦線の話はもう少し続きます。
    お付き合いください。

    jobさん

    対戦車射撃専門に思えるPak40の榴弾射撃は確かに意外な印象がありますね。防御戦を戦うことの多い対戦車砲としては戦車だけに備える訳にも行かないという事情があります。歩戦分離を自前の火力でやらねばならない場合もある、ということなのでしょう。

    uuchanさん

    対砲兵戦がどのように戦われたか、を今後、実例を挙げて紹介しようと思います。お付き合いください。

  5. きっど - 10月 12, 2010

    「末期の日本軍戦車隊には、生産の容易な榴弾ばかりが供給された」
    と、末期症状の一つであるように語られていますが、これは火力戦を反映した変化だったのでしょうか? それとも本当に余力が無くて仕方なく榴弾を生産した結果なのでしょうか?
    ドイツ軍にも、手間のかかる徹甲弾よりは手間のかからない榴弾を生産して、数を合わそうとする動きはなかったのでしょうか?

    1943年のティーガーⅠ用榴弾の異常な多さが気になります。他の砲の榴弾対徹甲弾の比率が精々2対1程度なのに4:1にも達し、また生産数の少ない重戦車用なのに絶対数も多すぎるような気がします。
    重戦車とは、主力戦車以上に軟目標に対して積極的に砲撃する存在なのでしょうか?

  6. BUN - 10月 12, 2010

    きっどさん

    そんな時、まずは本当に榴弾ばかりだったかを調べなければなりませんね。
    九七式中戦車の57ミリ砲は確かに榴弾主体なんですが、これには徹甲弾の効果が無い、という問題でそもそも需要が無いという事情があります。

    ドイツの戦車エース達の戦記がかなり豊富に読めるようになっていますからその戦績を見てはどうでしょうか。対戦車砲を撃破することも重要な仕事に数えられていますよね。

  7. 通りすがりの愛読者 - 10月 15, 2010

    いつも面白い話をありがとうございます

    突撃砲旅団編制の変化が持つ意味は興味深いですね。
    戦車部隊の編制や編成はよくありますけど、
    その狙いまで示したものは少ないですから。

  8. 素人 - 10月 18, 2010

    当初の規模の戦闘であれば、戦車はやはり強力だったのでしょうけど。

    砲兵が戦線の長さに対して十分そろい、正面では犠牲いとわず戦車を撃破
    しうる安価な兵器を、大量に使用出来てしまう総力戦においては、何でも
    良いから戦線を圧するだけの数を揃える事が、第一になるんでしょうね。
    双方がそれを行えば、電撃戦は不可能になる。

    仮に、空間その他で数が限界に場合、優位を得るべき次の段階としては
    戦力の密度を上げることになるかと思います。
    同じ空間を使って、最も強力かつ、融通の利く戦力は何か。
    その解答の進化形が、現代のMBTではないかと思うのです。
    (素早く敵を発見し、機動し、次々撃破する為の、最も有効な装備を持ち、他に不可能な防御力をも機動できる。)
    戦車とは、あの形、あの武器ではなく、そう言う事が出来る車両を戦車と
    呼ぶのが良いのではないでしょうか、当面、あの形なのでしょうけど。

    現代の少数精鋭のMBTも、もし総力戦ともなれば、生存性を顧みない数押しで、安価に撃破する方法によって、押し流される場面もあるのかも知れません。
    しかし、結局、そう言うモノは、対策(最悪、模倣すれば良い)されるでしょう。
    均衡した後には、最有力な兵器(の為の経験と科学力と生産力)を持ち得ない側は、どこかで決定的に不利になる筈だと思います。

    多少勢力に違いがあったとしても、単純な数揃えだと、均衡してしまう時期というのは、必ず出てくると思うんですよね、空間は有限ですし。
    一度、形勢が動いて仕舞えば、後は、数を適切に展開し続ける側が、それを続けられる時期は、勝つのでしょうけど。
    あとは、繰り返しで。

  9. BUN - 10月 18, 2010

    通りすがりの愛読者さん

    ありがとうございます。
    仰る通り、どうなっていたのか、という疑問もさることながら、
    なぜなんだ、という疑問も大事ですね。

    素人さん

    第一次世界大戦と第二次世界大戦の陸戦が文字通り「地続き」だったように、
    戦後の陸戦もまた火力戦の論理をそのまま受け継いでいます。
    大戦中の重戦車がMBTと名を変えても
    その存在意義と運用はティーガーの時代と比べて根本的な変化は無かった、
    というお話を準備中です。

  10. 歩兵卒 - 2月 6, 2016

    アルブレヒト・ヴァッカー氏の書いた『最強の狙撃手』という伝記的な本の中でソ連軍対戦車砲が山岳猟兵に撃ち込まれたことが書かれていました。この記事を読んだ後でしたので、「ああ、あの記事の言ってた事ってこれかな?」と思いながら読めました。

    楽しい記事をありがとうございます

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