砲兵の仕事 21 (戦車と対戦車砲)
戦車とその天敵である対戦車砲とは「どちらが強い」のでしょう。各国陸軍の見解は第二次世界大戦開戦前と戦争中期以降では180度異なります。それは単に技術的な問題ばかりではなく機動戦ドクトリンと火力戦ドクトリンの対決とその結果を反映したものです。今回は「もともと戦車は弱かった」というお話です。
戦車による突破作戦に対抗する役割は1930年代であっても対戦車砲が担っていたのですが、第二次世界大戦前半まで「機動力のある戦車は対戦車砲より優勢」とする考え方が主流です。戦車の前に立ち塞がる対戦車砲は短砲身低初速の軽量な75ミリ榴弾砲を搭載した四号戦車のような支援戦車の火力で制圧でき、それで足りなければ航空支援が得られるという考え方です。ドイツ軍戦車が1942年半ば頃まで敵機関銃座と軽戦車の破壊が精一杯の小口径戦車砲を装備していた上に、ちょっと心配になるほど薄い装甲をまとっていた理由もこうした機動戦理論によっています。
1930年代に現れた各国陸軍の対戦車砲が軽野砲のミニチュア版ともいえる小型速射砲だった主な理由は戦間期の予算不足と戦車部隊に追従できる機動力を得るためでしたが、1930年代後半にはシャールB1、マチルダなどの対戦車砲が役に立たない戦車が出現します。ドイツ軍戦車に対しても2ポンド砲が通用しない装甲を持つようになると予想されるようになり、各国で第二世代の対戦車砲といえる50ミリ級対戦車砲の設計が開始されます。ところが50ミリ口径のPak38も、57ミリ口径の6ポンド砲も我が国の一式47ミリ対戦車砲もいざ実戦に投入してみると威力不足が指摘されます。世界で一番遅れて開発された日本陸軍の試製57ミリ対戦車砲も威力不足と判断されて審査中止されています。こうしてみると対戦車砲は戦車の発達に後れを取っているようにも見えます。
けれども対戦車砲の発達は戦車の装甲強化と競い合いながら順次口径を増大させたという訳でもありません。1940年のフランスや北アフリカで対戦車砲を跳ね返す装甲を持ったマチルダ戦車を仕留めたのが88ミリ高射砲だったのは有名な事実ですが、これは敵軍の突破という危機に瀕して臨機応変に決断された運用ではありません。対戦車砲の主力が37ミリ砲だった時期に88ミリ高射砲は最初から対戦車用の徹甲弾の配備を受けています。50ミリ対戦車砲も75ミリ対戦車砲も無い時期に「88ミリ対戦車砲」が活動していた理由は何なのでしょう。
第一次世界大戦で初めて戦車の大規模投入が実現したカンブレ戦でイギリス軍の戦車は75ミリ級の軽野砲によって迎え撃たれ、やがて敵戦車の撃破はドイツ陸軍野砲兵の最優先任務と規定されるようになります。馬匹牽引の軽野砲で戦車が容易に撃破できたのは当時の戦車が恐ろしく低速だったからですが、敵戦車の機動力が大したことがないのであれば、当時、前線にあった最も高初速の砲である高射砲は最優秀の対戦車砲ということになります。
高射砲に対戦車砲としての適性を見出したのはそれを管轄していたドイツ陸軍航空隊です。彼らは休戦後のベルサイユ体制下で密かに行われていた航空戦ドクトリン策定委員会の中でもこの経験を生かして高射砲の対戦車戦闘投入を研究し続けています。1935年のドイツ再軍備で誕生したドイツ空軍はその研究成果を受け継いでいたからこそ空軍の兵器である88ミリ高射砲は1940年5月の戦場でマチルダ戦車に徹甲弾を発射できたのです。
そして陸軍から独立を果たしたドイツ空軍の高射砲部隊は1930年代に伝染病のように流行した装甲機動戦理論を冷静に眺めることができました。砲車を取り付けながらも射撃できるなど、野戦高射砲としての機動性を身につけたのはやはり機動戦論の影響だといえますが、だからといって大威力の対空砲弾を撃ち上げるのが高射砲ですから37ミリ対戦車砲のような観念的な軽量化、小口径化に流されることも無く、対戦車戦闘の本来の姿である「野砲口径の高初速砲」として第一次世界大戦当時の理想のまま対戦車戦に向けられたということです。ドイツ軍の対戦車戦に最初から大口径の88ミリ砲が加わった理由はこんなところにあります。
最新陸戦理論の産物である37ミリ砲と空軍の第一次世界大戦以来の戦訓による88ミリ砲という対照的な兵器で構成されていたドイツ軍の対戦車戦力ですが、威力不足の陸軍37ミリ砲が50ミリ砲を経て順当に75ミリ口径のPaK40に進化して行ったかと言えばそうでもありません。1941年の「T34ショック」で慌てて量産されたような印象を受けるPaK40がまとまった数で配備されるのは独ソ戦勃発から2年も経過した1943年以降でしかありません。1942年の年間生産実績を見てもPaK40はたったの2000門でしかないのです。
これにはちゃんとした理由があります。1943年までドイツ軍は対戦車砲を大量生産する必要がまったくありません。それというのも独ソ戦初期に弾薬と共に大量に鹵獲したソ連軍の76ミリ野砲(総数で1万5000門程度が鹵獲されたとも言われます)が再生されてドイツ軍の対戦車戦力を支えていたからです。「野砲口径の高初速砲」という対戦車砲のあるべき姿は本物の野砲を大量に入手することで達成されていたということで、しかも皮肉なことにソ連軍の76ミリ砲はドイツの技術で開発された野砲でした。こうした種類の大砲が戦車を狙い始めるようになると、今まで十分だと考えられていた支援戦車が搭載する短砲身の低初速榴弾砲はアウトレンジされ、戦車は支援戦車と共に裸にされてしまいます。短砲身の四号戦車は支援戦車としての任務を果たせなくなり、イギリス軍の短砲身榴弾砲搭載支援戦車は「いまさら不要」と酷評され、わが国初のドイツ式支援戦車であるホイ車(二式砲戦車)は計画が放棄されます。
ソ連軍が76ミリ野砲でドイツ戦車を仕留めたように、火力戦主義に復帰したイギリス軍もまた対戦車砲の王道を歩み始めます。機動戦至上主義から解き放たれ、総動員によって予算の呪縛を逃れたイギリス軍が生み出した理想的な対戦車砲である「野砲口径の高初速砲」とは言うまでもなく17ポンド砲のことです。ドイツ軍重戦車を遠距離から撃破できる対戦車砲の開発はドイツ軍重戦車より早い段階で発注されています。北アフリカ戦線にティーガー戦車が到着した直後の1943年1月に最初の17ポンド砲がチュニジアに出現したのはこのためです。ティーガー戦車は最初から敵の対戦車砲に正面装甲を射貫かれてしまう戦車でした。戦車と対戦車砲のシーソーゲームのように見える兵器の投入合戦は表面的な事実でしかありません。
けれども対戦車砲のあるべき姿は1930年代に嫌われた機動力の欠如という欠点をより顕著に抱えています。75ミリ級野砲の亜種であるドイツ軍のPaK40は対戦車砲としての限界を超えた「重すぎる対戦車砲」で、このためにPaK40は東部戦線の悪路にはまり込んで放棄されることの多い、不便な大砲でした。もともと牽引式の対戦車砲は中小口径であっても急進撃には追従できず、1944年秋の西部戦線ではアメリカ版の6ポンド砲である57ミリ対戦車砲は進撃途中に落伍し、大量に放棄されてしまいます。
対戦車砲が本来の姿を取り戻したことで、1920年代にイギリス陸軍が見出した正解である自走化が促進されます。そして対戦車砲の自走化は75ミリ級以上の大口径対戦車砲をも戦場に送り込めることを意味していました。各国陸軍は重い75ミリ級対戦車砲を自走化し始め、航空兵器に押されて陸戦兵器の優先順位が極端に低かった日本陸軍でさえ七糎半対戦車砲といえば自走砲を意味するようになります。これを凌駕する威力を持つ戦車を作り上げようとするとティーガー以上の化け物戦車が必要になります。
こうして考えてみると、ひょっとしたら1917年のカンブレ戦でイギリス軍の菱形戦車がドイツ軍の野砲で撃破されたその時に、戦車という新兵器の命運は尽きていたのかもしれません。ただ戦間期の機動戦理論の流行によって戦車への過剰な評価が生まれ、対戦車砲の不自然な弱体化にも助けられ、ついには第一次世界大戦時よりも退化したお粗末な対戦車戦術のお蔭で「電撃戦」と呼ばれる大規模突破作戦まで成功してしまうのです。けれども機動戦論の熱から醒めた戦争中期以降の陸戦指揮官たちの中で「戦車の機動力は対戦車砲の火力に優る」と考える者は誰ひとりいなくなります。
9月 8, 2010
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BUN ·
18 Comments
Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 陸戦

18 Responses
いつも勉強させてもらっています。
今回の内容は初めて聞く内容も多く、とても興味深いです。
ただ、なかなかにレベルが高く、理解するのに苦労もしています。
自分なりに内容をまとめてみたのですが
http://www.geocities.jp/bbhusou/anti_tank.jpg
おおよその所はあっているでしょうか?
じゃあ、戦車の存在意義ってどうなってしまうんでしょう。。。
相手が準備万端待ち構えている所に突っ込んだら戦車はただで済まない、と言うのは分かります。日本軍が戦車で旅順要塞を攻めたとしても、ロシア軍が大口径砲を備え付けていたらただでは済まなかったでしょう。
しかし、人員・火力がほぼ同程度の軍が平原・砂漠で激突した場合は、どうなったんでしょう?
または、ロンメルが連合軍の半分程度の人員・火力を持っていた場合は・・
一介の火砲ファンで、「砲兵の仕事」はとても楽しみに読ませていただいています。
ティーガーの防御力が最初から「無敵」でなかったというのは正直意外でした。やはり戦車の機動力や防御力というのも敵対戦車兵器がいなくなって初めて発揮されるものなのですね。
WW2後半には火力を取り戻し、機動性も手に入れた対戦車砲も戦後には主力戦車などに置き換えられほとんど消滅してしまいますが、WW2中は「戦車の敵は戦車」というのはどこまで本当だったのでしょう?
扶桑さん
きれいにまとめて戴いていますね。
もっと極端に言ってしまえば、対戦車砲という着想自体が観念的で戦訓に根ざしたものではなく、対戦車戦をまともに戦うには第一次世界大戦時と同様に野砲が必要だったということです。
PaK40や17ポンド砲は威力はあるけれど自走化しなければ運用の限られる野砲同様の大砲だったとも言えます。
ねこ800さん
戦車を活動させるためには敵対戦車砲を制圧しなければならない、ということで、第一次大戦の機関銃と歩兵の関係とよく似ています。
それだけで何とかなるような夢の兵器ではなかったという、当たり前の話なんです。
インパ作戦従事者の甥さん
旅順要塞攻撃に第一次世界大戦式の砲兵戦が戦われていればもっと簡単に陥落していたかもしれません。
平原であれ砂漠であれ、航空優勢を確立して対砲兵戦に成功した側が優位に立つことでしょう。
戦争後半のドイツ陸軍中枢は、火力で2対1以上の劣勢に陥った場合、友軍の敗北は必至と判断しています。機動戦の夢から醒めた冷静な判断だと思います。
75さん
第二次世界大戦中、戦車の仕事の半分程度は対戦車戦闘です。
これは弾薬の生産量から見ても納得できます。
「戦車の敵は戦車」は確かにその通りなんです。
戦車万能の時代は二度と戻って来ませんが・・。
Tweets that mention いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 21 (戦車と対戦車砲) -- Topsy.com - 9月 9, 2010
[...] This post was mentioned on Twitter by クローンP, gill_gram. gill_gram said: いろいろクドい話 砲兵の仕事 21 (戦車と対戦車砲)http://stanza-citta.com/bun/2010/09/08/773 [...]
こちらで以前勉強させていただいた、「痛恨のルイジアナ演習」
http://stanza-citta.com/bun/2008/05/11/79
や「戦車駆逐車が生まれた背景」
http://stanza-citta.com/bun/2008/06/15/94
以下を思い出した次第です。
確認させていただきますが、
要するに、戦車に対する対戦車砲の価値という点では、
ルイジアナ演習で米軍は正しい結論にたどり着いていた。
しかし、米軍では当時、戦車派も対戦車砲兵派も、
諸兵科協同のドクトリンが未熟で、
諸兵科を協同して戦う戦闘団・戦闘群の編組・具体的戦術に問題があり、この点で進んでいたドイツ軍相手の現実の戦争からいろいろ学ぶ必要が生じてしまった、ということでしょうか。
ムチのムチさん
諸兵科協同の戦闘団が活躍するためには火力の優越が必要で、火力の優越が達成されるためには砲兵による直接支援と同時に縦深制圧と対砲兵戦を成功させなければならず、そもそも前大戦の最中から砲兵戦術は航空機の活動に支えられているので航空優勢が一番大切、ということになりますね。
地上部隊の諸兵科協同は少し下流の話なんです。
はじめまして。いつも楽しく読ませてもらっています。
疑問に感じたことがあるのですが、戦間期に開発された小口径の対戦車砲は元を辿れば、WW1中に使用されたプトーM1916などの歩兵に随伴できる歩兵砲に系譜を求めることが出来ると思うのですが、この種の火砲はWW1中に対戦車戦闘に用いられるということはなかったのでしょうか?
もしあったと仮定するなら戦間期に開発された対戦車砲も、こうした戦訓の上にあるのではないかと愚考する次第です。
それとも戦後の軍縮機運の中で高価な野砲が削減され、同時に低下した対戦車火力を低コストで補うために、こうした歩兵砲にまで対戦車戦闘が期待されるようになったということなのでしょうか。
Jさん
低初速の歩兵砲はどちらかと言うと戦車砲へと流れて行きます。
ですから日本のような貧しい国でも初期の戦車砲と対戦車砲は別設計なんです。
いつも楽しみにしております。
機動力で火力の不利を相殺できないとは勉強になりました。
>ひょっとしたら1917年のカンブレ戦でイギリス軍の菱形戦車がドイツ軍の野砲で撃破されたその時に、
>戦車という新兵器の命運は尽きていたのかもしれません。
戦車不要論ですか興味がありますので書いて頂きたいですね。
通りすがりという名の愛読者さん
御愛読ありがとうございます。
戦車が有用かどうかではなくて、戦車が活動するには何が必要だったか、ということなんです。
それを早く思い出した方が戦争に勝った、というお話です。
御興味が続きましたら、お付き合いください。
戦車が活動するためには対戦車砲の排除が必要で、
そのためには砲兵が必要で、
砲兵が自由に活動するためには航空偵察が必要。
航空偵察には制空権が必要で、
制空権のためには航空撃滅が必要で、
航空撃滅のためには航空戦力の独自行動性と、
十分な質と量をもった航空機・パイロットを供給できる体制が必要。
独ソ戦で航空隊が戦車の支援に熱心だったのは、(戦車が主、航空が従に見えたのは)
それがお互いの飛行場を狙った、滑走路に戦車を滑り込ませるための作戦だったからであって、
これも航空撃滅の一種であった。
実態としてはあくまでも航空が主、戦車は従。
「戦車という新兵器の命運」とは、戦車が主となる機会のことであり、
それは野砲の直射で(対戦車砲でも)戦車が倒された段階で失われていた。
結局、制空権が一番大事というところに戻ってきたんですね。
というか、実際には何も動いていないし、動いたように錯視しただけだった。
…と、いうようなことでしょうか。
スキュラさん
極端な戦車万能論の根底には第一次世界大戦の陰鬱な消耗戦を二度と繰り返したくないとの強い願いがあります。電撃戦論や戦略爆撃論、核爆弾さえもがその根っこを掘り尽くすとそこに行き当たります。
「戦車の命運が尽きていた」というのは、まさに戦争を終わらせる決勝兵器としての大きな希望がその時点で実質的に潰えていたという意味です。
戦車部隊がそれから20年後にフランス戦で実現してみせた勝利は第一次世界大戦後の時代が持っていた歪みの果てに生まれた偶然、といった側面もあるのだと思います。
先日、失礼ながら「はじめまして」の匿名で書き込ませて頂いた者です。
これからはP-47大好き男と名乗らせて頂きたく存じます。これからもどうぞよろしくお願い致します。
さて、つまり戦車の存在意義とは、
緒戦期など火力集中が出来ていない、もしくはその猶予も許されない状況で、必要とされる場所に可能な限り迅速に各種砲火力を投入するためのもの、言わば「(火力集中の原則からすれば)無理を通して道理を引っ込める」為のもの、あればとても便利だがあくまで効果は限定的なもの、と言う認識でよいのでしょうか?
だとすれば大戦後半~戦後において、口径150mmを越えるような重自走砲を除いて専門の戦車駆逐車や中口径自走砲が徐々に姿を消し、大口径砲装備のMBTに統合されていった理由の一端がおぼろげながら見えてくるような気がします。
ところで、第二次大戦の各国の戦車運用に関して、「何を目標に戦車を投入したか」でいくつか気になった点があります。
ドイツ軍は電撃戦において敵司令部や連絡線などいわば敵の「神経」を狙って麻痺・混乱させ、西側連合軍はどちらかといえば敵防御施設そのものの破壊を企図した―これは第一次大戦中期~後半の砲火力集中運用がなされた時代における各軍の目標選定に、奇妙に相通ずるものがあるのでは?
P-47大好き男さん
よろしくお願いします。
火力集中が一番必要とされる局面は防衛線の突破時です。
戦車や自動車の最大の利点は敵の防御戦闘に拘束されずに短時間に防御縦深を通り抜けて後方を蹂躙することにあります。
後方を蹂躙した結果、火力戦で潰せなかった、より後方の高度な指揮統制システムを麻痺させることができるので、ドイツ軍でも連合軍でも敵の司令部を目がけて突進する訳ではありません。
けれどMBTが直接射撃を行う自走砲の役割を担って発達したという読みは鋭いですね。
早速のご返答ありがとうございます。
私には何か変な勘違いがあったようですね。対仏電撃戦についての本には縦深突破が引き金となって組織の崩壊が云々、とありますが、敵システムの麻痺・崩壊はあくまで結果なのですね。もちろんそうなれば良いに決まっているが、あらかじめそれ一本に狙いを定めて突破を行うものではない、と。
冷戦編始まりましたね!お疲れ様です、今後ともよろしくお願いします。
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