砲兵の仕事 17 (モンティ登場以前にあった変化)

 モントゴメリーが北アフリカ戦線の指揮を執り始めたのは1942年8月18日のことです。日本では人気が無く、保守的で頑迷で物量に頼り切った作戦を行う将軍として、ほとんど悪役に近い扱いです。ノルマンディでイギリス軍の攻勢が頓挫する様はその愚かさの象徴のようです。砂漠の戦いもモントゴメリーの登場から一転して物量作戦に切り替わり、何だか面白味がなくなった気分になりますし、1942年秋から翌年5月までのアフリカ戦線の戦闘を深く調べようと思う人も少ないようです。けれども、保守的なモンティが登場したからイギリス軍の戦術が大きく転換したのかといえば、それはまったくの間違いです。

 敵軍の機動戦を受け止めてその主力を撃破し攻勢に転じるには、砲兵火力の集中こそが重要である、との認識は1939年秋以来、まったく変わっていません。ただ、戦間期の欧米に吹き荒れた機動戦主義によって吹き飛ばされてしまった組織と、フランスでの敗戦で失われた装備を大慌てで再建、補充するのにほぼ2年の月日が必要だったのです。今回はその2年間にイギリス陸軍が何をどのように変えようとしたのかを眺めてみようと思います。

 火力集中のためには弾薬の集積が重要です。第一次世界大戦では十分な弾薬の集積を待って作戦を開始し、長期間の準備砲撃で敵の防御線を無力化するのが定石でした。けれどもこうした戦術は作戦から奇襲的要素を奪ってしまうとの批判が当時から存在しています。イギリス陸軍はあれこれ迷いながらも、それでもなお大規模火力集中主義を貫き通しましたが、お蔭で敵砲兵の無力化を実現して砲弾による戦死傷者を激減するという大成果を上げています。奇襲効果による敵軍の無力化を重視したドイツ軍とはその点が大きく異なります。のんびりしたテンポの戦いには極めて合理的で切実な理由があったのです。

 機材に乏しかった初期の北アフリカ戦線でも、イギリス陸軍は1939年に復活した火力主義ドクトリンを機会さえあれば実施しています。1940年にエジプトに侵入したイタリア軍を迎え撃ち、攻勢に転じてバルディア、トブルクを攻略する際にも、半月近い日数をかけてじっくりと弾薬を蓄積して火力戦が準備されています。1941年1月21日のトブルク攻撃ではイギリス軍歩兵は第一次世界大戦そのものの対砲兵射撃に支援され、突撃時にはあの「クリーピング バラージ」に守られて前進しています。そして1941年3月、東アフリカのケレンでも同じように1918年式の火力戦によってイタリア軍を破っているのですから、イギリス陸軍の火力集中主義はモントゴメリー登場のはるか以前から実績を上げていたと言えます。

 これは偶然ではありません。砲兵による大規模火力集中には砲兵戦のための戦場サーベイが不可欠ですが、1940年当時の北アフリカ戦線には専門の砲兵戦用サーベイ部隊が配置されていません。それでも何とかイギリス軍砲兵が利用できる戦場サーベイデータが存在したのが、バルディアとトブルクだったのです。そして東アフリカのケレンでは気象データまでが利用できたので砲兵に活躍の余地が生まれ、成果も上がったのですが、その後のキレナイカへの進撃では新たなデータが利用できず、大規模火力戦の実施は事実上不可能でした。イギリス軍の持つ組織上の問題が機材不足と同様に火力戦を妨げていたのです。

 イギリス軍にとってフランス戦後の2年間は第一次世界大戦の戦術に復帰するため、かつて対機動戦で最も有効だった戦い方を1940年代の要求水準で復活させるための努力に費やされています。装甲部隊が主力となる砂漠の機動戦を受け止めて撃破する柔軟さを得るために、砲撃計画を状況に応じて変更できるよう、指揮統制組織が変わります。№18無線電話セットを大隊、中隊クラスの本部に行き渡らせる無線電話ネットワークの確立と、前線に配置された砲兵観測将校への大幅な権限委譲によって、前線観測所から旅団レベルまでの砲兵火力集中が実現できるようになり、それを師団、軍団レベルにまで拡大する組織が作られます。

 ここで面白いのは、イギリス陸軍は前線に老練な佐官クラスの砲兵将校を配置して砲撃戦を臨機に計画変更できるように個人の独断専行権を与えたのに対して、ほぼ同じ考え方をしていたアメリカ陸軍は広範囲な情報を専門グループで分析してより論理的かつ、正確な判断を行おうとしていた点です。アメリカ陸軍には「老練な砲兵将校」が居ないという事情もありますが、実際の戦争にどちらのシステムが向いていたかは言うまでもありません。

 こうした組織上の改革と無線電話ネットワークの成果は、砲撃の迅速さにそのまま繋がっています。たとえば防御戦闘で友軍前方に精度をある程度犠牲にした弾幕を張る「クイック バラージ」という戦法が1941年中に導入されます。精度が低いために友軍から500mも離れた弾幕となりますが、その名の通り要求から10分で実施されます。そして1942年前半のイギリス軍は砲撃要求から敵軍に集中射撃を行うまで、要求から初弾の発射まで2分しか要さないシステムが完成します。さらに砲兵全体にかかわる野戦重砲兵の対砲兵戦用指揮統制組織が1942年9月に復活し対機動戦、対砲兵戦に対応するイギリス陸軍の強力な砲兵組織が再生されます。第一次世界大戦の概念が速度の上がった機動戦に対応できるように段々と進化しているという訳です。

 そしてイギリス陸軍には待望の新装備が届き始めます。歩兵火力はより大口径の迫撃砲によって強化され、今まで25ポンド砲が仕方なく担当していた対戦車任務を6ポンド砲が引き受けてくれるようになります。新しい4.5インチ砲や5.5インチ砲が対砲兵戦に投入されることで射程が延伸し、縦深制圧能力も高まります。なによりも有難かったのは1920年代以来、理想とされた自走砲が配備され始めたことです。25ポンド砲装備のビショップ自走砲、6ポンド砲装備のディーコンは機動戦対応の砲兵火力集中を実現する新兵器です。

 さらにもう一つ、大きな変化があります。それはリー、グラント、そしてシャーマンといった75mm砲を装備した砲戦車の大量配備です。第一次世界大戦で用いられた野砲を原型とする戦車砲ですが、これは画期的なことでした。威力のある榴弾を発射して戦車部隊が自前の火力で敵対戦車砲と対決できるようになったからです。間接射撃による最大射程距離が8000mにもなる75mm砲という野砲クラスの戦車砲を戦車部隊が装備したということは、野砲兵の仕事を縦深制圧に専任させる画期的変化です。

 このようにシャーマン戦車に積まれた「75mm野砲」は戦争後半の縦深制圧を実現する火力戦体系を基礎から支える重要な存在です。ティーガー、パンターといったドイツの新型戦車の正面装甲を貫通できないことで凡庸な砲と思われ、それに拘ったことで批判を受けてはいますが、戦争後半の欧州戦線でドイツの新型戦車が撃破したイギリス軍戦車は全損失戦車の14% に過ぎません。戦車部隊の火力増大は間接的に砲兵支援の合理化に繋がって敵戦車による損害を大幅に減らし、主に三号戦車を相手に戦った砂漠の機動戦では戦車損失原因の40%程度が敵戦車だったのに対して、火力戦移行後には戦闘の形そのものが変っていることがわかります。戦いに勝つために重要だったのはパンターを凌ぐスーパータンクの開発よりも火力戦体系の再生と確立で、敵戦車の始末は自走砲の仕事だったのです。

 モントゴメリーの登場はイギリス陸軍の中で火力戦が組織、装備の両面で復活する大きな流れを加速、促進するものでしたが、その原因ではありません。通好みで技巧的な1930年代の「旧い」機動戦理論で戦ったドイツ軍はその変化への対応が致命的に遅れてしまいます。ロンメルはそのことを最初に思い知った数少ない賢明な将軍の1人で、欧州戦線へその教訓を持ち帰り、およそ「砂漠の狐」らしくないノルマンディ戦を指揮しているのです。

7月 9, 2010   Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 陸戦

11 Responses

  1. ムチのムチ - 7月 10, 2010

     機動戦を地形・障害・火力によって固定した作戦に持ち込み、
    物量を背景にした火力によりドイツ軍を阻止・撃破したのはモンティの功績と
    思っていましたが、その背景がしっかりと存在している、
    という事なのですね。ご教授ありがとうございます。

    >  ここで面白いのは、イギリス陸軍は前線に老練な佐官クラスの砲兵将校を配置して砲撃戦を臨機に計画変更できるように個人の独断専行権を与えたのに対して、ほぼ同じ考え方をしていたアメリカ陸軍は広範囲な情報を専門グループで分析してより論理的かつ、正確な判断を行おうとしていた点です。アメリカ陸軍には「老練な砲兵将校」が居ないという事情もありますが、実際の戦争にどちらのシステムが向いていたかは言うまでもありません。

     大いに面白い話です。我々が容易に入手できる書物では、英国砲兵の射撃指揮・火力調整に関する話はわかりませんので、
    今まで第一次大戦スタイルに米国の影響が加わったもの、程度に妄想していた次第です。
    基本的に英軍は第二次大戦時、終戦までこのスタイルでいくのでしょうか?
    対日戦部隊も同様なのでしょうか?

     ただ、この英軍スタイル、大規模な対砲兵戦の実施のために砲兵を一体化して中央集権運用した方がよい場合には問題が生じないでしょうか?
    また、近接戦闘部隊への火力支援でも、同時多発的に複数箇所で火力要求がなされ、その優先順位を決めなければいけないような場合にも問題がないでしょうか?(ひょっとしてビルマあたりで例がある?)
    まあ、敵の砲・部隊の数に比して多数の砲・砲兵部隊が存在するなら、数の力で補っておつりが来る話ではありますが、
    効率的な砲・弾薬の使用という点では問題が残りそうな。

  2. ペドロ - 7月 10, 2010

    >戦争後半の欧州戦線でドイツの新型戦車が撃破したイギリス軍戦車は全損失戦車の14% に過ぎません。

    端的な数字でそれまで漠然と抱いていたイメージが微塵に吹っ飛びました。センチュリオンやパーシング投入が遅れたのも分かるような気がします。

  3. 物書き志願 - 7月 26, 2010

    こんにちは。はじめて質問させていただきます。難しい話ながらも頑張って読んで参考にさせてもらっています。でもやっぱり難しい~
    イギリス史における第一次世界大戦の徴兵制や兵器などについて詳しい情報を探しています。

    個人的に第一次世界大戦のときの詳しいイギリス史を調べています。

    ①第一次世界大戦でイギリスが参戦した理由。調べましたがドイツがベルギーに攻めてきたから??という理由がよく分かりません。いつ頃から準備していて、本格的参戦はいつからか。

    ②徴兵制について。最初は志願制だったそうだが、いつから徴兵制になたのか。また、徴兵の対象者は誰かで、免除されるのは誰か。女性の兵士はいたのか?

    ③軍隊について。陸海空軍の各部隊の分類を細かく教えてください。諜報部隊とかもあったのかな…。また、どのような基準で人を配属するのでしょうか。

    ④各部隊でどのような兵器が使われていたか?標準的な兵士の装備(皆、銃を支給されていたのでしょうか?)や、特に飛行機について詳しくお願いします。

    ⑤兵士の待遇面について。食事や給料、希望が通るか(例えば次の戦場は嫌だから変えてくれとか)、戦闘不能になったり殉職したりした場合の兵士の家族への対応について。

    サイトですでに説明されているものもあると思いますが、私の弱い頭ではすっとばしてしまったかもしれません…。

  4. BUN - 7月 26, 2010

    ムチのムチさん

    レスが遅れて申し訳ありません。
    大規模集中を行う野戦重砲兵の射撃は基本的に事前計画によります。
    前線から突然、予定もしない目標に対して弾幕を張るようなことは
    第二次大戦時でも日常的ではありません。
    まず計画ありき、で仕事を進めるので、
    当初計画の変更を手早く合理的に行う手法があれこれと研究されている、という具合です。

    ペドロさん

    「あの」ソ連軍戦車部隊でさえ「撃滅すべき目標は敵軍の人員である」としています。戦車の仕事は必ずしも敵戦車撃滅ではない、というわかり易いけれどなかなか腹に落ちない問題ですね。

    物書き志願さん

    WW1の経緯などは総合的な史書をお調べください。
    既に権威ある大著がたくさん出版されています。

    徴兵制についての理解を深めるにはカイヨワの「戦争論」などが役に立ちます。民主主義と徴兵制の切っても切れない縁の深さが理解できると思います。

    軍隊組織についてはやはり専門書をお読みください。
    ここでレスできる題材ではありません。

    各部隊の装備、兵士の待遇などもたくさんの参考資料が出版されています。
    それをご覧ください。

  5. スキュラ - 7月 30, 2010

    > このようにシャーマン戦車に積まれた「75mm野砲」は
    >戦争後半の縦深制圧を実現する火力戦体系を
    >基礎から支える重要な存在です。

    ということは、似たような口径のT34もやはり、
    ソ連軍の砲兵火力を援護しえたということでしょうか。

  6. BUN - 7月 30, 2010

    スキュラさん

    戦車が75ミリ砲を積む意味とはまさに「砲兵」になるということです。
    いくつかの国では戦車砲が37ミリや47ミリのままだったらたぶん起こり得ないだろう兵科間の軋轢が、搭載火砲の口径増大と共に「タンクデストロイヤー」や「突撃砲」、「砲戦車」をめぐって生まれて来ますよね。

  7. ムチのムチ - 8月 8, 2010

     こちらこそ、遅い質問ですみません。

     いまさらですが、基本的な点について質問させていただきます。

    > イギリス陸軍は前線に老練な佐官クラスの砲兵将校を配置して砲撃戦を臨機に計画変更できるように個人の独断専行権を与えた

    この「老練な佐官クラスの砲兵将校」の地位と職責について質問がある次第です。
    その地域の砲兵を統括し野戦重砲兵を基幹とした砲兵隊から、前線の近接戦闘部隊(歩兵・戦車部隊)に派遣された一種の連絡将校なんでしょうか?
    それとも、個々の近接戦闘部隊の支援を命ぜられた中小の砲兵部隊の部隊長(もしくはその代行)なんでしょうか?

    その任務は、近接戦闘部隊の砲兵火力への要求を調整して射撃計画にそれを反映させることのほかに、
    砲兵の射撃の観測・修正まで含まれているのでしょうか?

    含まれている場合、その近接戦闘部隊の所にいる砲兵将校やその随行員が、火砲が射撃する際に必要となるデータ(射角、方向・方位角等)を計算し、直接砲側に連絡するのでしょうか?
    それともこの砲兵将校は、弾着のズレの量や修正量等を連絡して、計算は後方でおこなうのでしょうか?

    細かい質問で申し訳ありません。

  8. BUN - 8月 10, 2010

    ムチのムチさん

    すみません。
    言葉が足りずに誤解を招いたような気がします。
    イギリス陸軍の砲兵戦指揮統率組織についてはあとで
    「何をしようとして」「何をしたか」というように
    ある程度、説明しようと思います。

  9. ムチのムチ - 8月 13, 2010

     お手数をおかけしてしまい、申し訳有りません。

     日本語で読むことができる作戦・戦闘に関する記述・書籍の多くは
    歩兵・戦車が中心で、砲兵に関するものは極めて少ないようにおもいます。

    それでも旧日本軍関連や、旧日本軍が調べた赤軍関連のものはある程度ありますが、
    その他の国・軍となると…

     娯楽の面でも、戦争映画において中心的登場人物が
    砲兵のものは極めてまれです。
    (「コレリ大尉のマンドリン」の主人公はイタリア陸軍砲兵でしたが… )

    こういった状況が、われわれのもつ
    現実の戦場における火力発揮の状況やその効果のイメージを
    ゆがめているのではないかと思っていた次第です。

    二十世紀前半は砲兵のシステムが大きく代わった時期だけに、
    今回の連載では大いに勉強させていただいております。
    よろしくお願いします。

  10. スキュラ - 8月 25, 2010

    すみません、遅い上に二つ目の質問なのですが…

    >敵戦車の始末は自走砲の仕事だったのです

    これって、具体的にはどう”始末”されることになるんでしょうか?
    ビショップが曲射・間接射撃をして、戦車の天井を押しつぶしたりするのか、
    それとも6ポンド砲ともども、直接照準で待ち伏せるのでしょうか。

    もし後者だとすると米軍のTD部隊みたいな感じでしょうか。
    (「でしょうか」ばっかりですみません)

  11. BUN - 8月 25, 2010

    スキュラさん

    突撃砲も駆逐戦車も対戦車自走砲も全てひっくるめての「自走砲」です。
    ここでは分類する意義は無い、ということなんです。

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