砲兵の仕事 16 (砂漠の機動戦)
1940年夏のフランスでイギリス遠征軍が失った野砲等の重装備は全世界に展開していたイギリス軍全体の60% に及んだと言われています。植民地軍の装備を勘定に入れれば近代的装備のほぼ全てをフランスの戦いで破壊されるか放棄、鹵獲されてしまったことになりますが、これには別の効果もありました。それまで延々と使われ続けていた旧式兵器が一掃されたので、たとえ泣こうが笑おうが本国に撤退してきた部隊を再装備するためには新鋭装備をあてがわなければならないからです。そして砲兵にとっての敵も明確でした。実戦で痛すぎる程に体感できた戦訓である、最大の脅威は戦車と迫撃砲だ、中口径以上の大威力砲が重要だ、という認識に文句が出ることはもうありません。
しかも単に重装備を失っただけではなく、最悪の場合ドイツ軍の本土上陸も考えられる戦局でしたから、イギリス軍はわき目も振らずに全力で兵器の増産に励みます。そして陸戦兵器生産とそのストック量でドイツ軍を凌駕する水準にまで至るのに約2年掛かっています。これは非常に立派な成果なのですが、逆に言えば火力主義に転換したはずのイギリス陸軍にはフランス敗戦後から2年間にもわたって十分な砲兵火力が揃わず、火力面でドイツ陸軍より劣勢だったということです。
そのため、ドイツ陸軍との第2ラウンドである北アフリカの戦いはイギリス陸軍にとって1930年代の機動戦ブームの残り火を引き継ぐ「昔ながらの」機動戦に逆戻りします。
イタリア軍のエジプト侵攻を受けた際に、兵力不足のイギリス陸軍は同じく兵力不足の空軍と協同しながら、残された唯一の戦術である高速機動戦によってイタリア軍を押し返します。イタリア軍の敗因には戦術的な拙劣さもありましたが、何といっても機動戦はイギリス陸軍が世界に先駆けて長期間にわたって研究して来た戦術です。年季が違います。しかも幸運なことにイタリア軍の航空兵力はイギリス空軍よりもさらに弱体で、補給の困難なエジプト国境地帯で十分な戦力を発揮することができません。
そして敗走するイタリア軍を追ってイギリス軍の追撃が始まりますが、その追撃戦がリビアのトリポリに迫り、エルアゲーラに達する頃、イギリス軍にもイタリア軍と同じ症状が現われます。イギリス空軍部隊の一日あたりの出撃機数がわずか15機以下にまで落ち込んでしまうのです。そこへ増援されたロンメル指揮下のアフリカ軍団とドイツ空軍はトリポリに近いという地の利を生かして400機のエアカバーを得て圧倒的な反撃を実施することができ、イギリス軍をエジプト国境まで押し戻してしまいます。
北アフリカの戦いとは大局的に見れば、このようなパターンの繰り返しです。エジプト領内では枢軸軍は補給が続かず、航空戦力が痩せ細って主導権を失った末に敗走し、イギリス軍がキレナイカを横断してトリポリに迫ると同じように航空基地の前進が間に合わず、補給が先細りとなって主導権を失い、元気を取り戻した枢軸軍の空陸一体の反撃に押し返される、といったものです。
空から大雑把に眺めると北アフリカ戦はこのように極めて単純な構造を持っていますが、もう少し細かく見て行くことも無駄ではありません。火力戦主義に転換したはずのイギリス軍がこの戦争で初めて機動戦を展開した背景もそうして眺めることで明らかになります。
なにしろ北アフリカの戦場では、イギリス軍は航空兵力で弱体であるだけでなく、砲兵火力においてもドイツ軍に劣っていたので、攻勢も防御も全て機動戦に頼る以外に道が残されていないのです。
このようなエアカバーと砲兵火力支援を欠いた機動戦は傍から見ても上手く進みそうにありません。何といっても敵であるドイツ軍が比較的豊富な航空支援とイギリス軍より優勢な砲兵火力に恵まれていたからです。そして両軍の戦術はかなり似通っています。
特に双方が用いた機動防御戦術は良く似ています。砲兵を主軸とした方形陣地を作り上げ、その周辺に戦車部隊を配置して、敵の攻撃を友軍陣地に誘引しながらその支援を得つつ側面攻撃を行うか退路を断つ、という戦い方はそれぞれ成功例と失敗例を伴ってはいますが、概ね似たような発想で採用されたものです。1940年のフランス戦後半で、フランス陸軍が準備した新たな縦深陣地も同じような考え方(ただし、もはや機動部隊が使えなくなっていた)で構築されていましたし、機動戦での防御法としては標準的なものです。
そしてさらに防戦一方となるとイギリス軍は興味深い戦術を発案実行します。ジョグコラムと呼ばれたその戦術は、戦車中隊と野砲兵中隊、対戦車砲中隊と歩兵中隊を組み合わせたコンパクトな諸兵科連合の戦闘団です。この小戦闘団を敵軍に肉迫して展開し、打撃を与えて撤収するというやり方でドイツ軍の進撃に対する遅滞作戦を行ったのです。火力集中とは逆方向を向いた分散機動戦術ですが、野砲兵の有効な使用法であり、敵軍の後方や側面を脅かす目的には十分でした。ただし、ジョグコラム戦術は一旦、敵の機動部隊に捕捉されると野砲兵を含む分だけ足が遅くて逃げられず、もともと小兵力であるために袋叩きに合いやすいので、戦闘に巻き込まれるとしばしば壊滅してしまいます。機動戦と野砲兵の問題は北アフリカでもまだ解決していないのです。
イギリス軍の砲兵火力を削いだ要因は単純な兵力差だけではありません。北アフリカという戦場は見通しが良く、遠距離目標が比較的容易に視認できる遮蔽物の少ない地形です。このような地形で戦う場合、1930年代式の小口径短射程の対戦車砲はドイツ軍戦車の主砲にアウトレンジされるという事態が発生します。本来なら、砲兵の対戦車戦闘とはドイツ軍の88ミリ高射砲の水平射撃のように目標となる敵戦車の火力をアウトレンジしなければならないのですが、2ポンド砲ではそれができません。そのために貴重な新型野砲である25ポンド砲が対戦車任務を請け負うことになり、イギリス軍の最前線に構築された対戦車陣地に25ポンド砲という野砲が並びます。
6ポンド砲の開発は1938年に開始されていますが、1940年のフランス戦で500門以上の2ポンド砲を失ったイギリス軍はその損害を埋めるために月産100門を見込まれていた6ポンド砲の生産を延期してとりあえず生産中だった2ポンド砲の量産に傾注したのです。このために砂漠戦で特徴的な遠距離対戦車戦(時には2000m程度となる)を戦うために25ポンド砲を流用しなければならず、最前線の対戦車任務に主力野砲の多くが割かれれば、当然のように砲兵の火力集中は崩壊します。大して威力も無く、印象としてあまり冴えない6ポンド砲が待望の対戦車砲だった理由はここにあります。
こうした理由で、ドイツ軍の機動戦に巻き込まれ、ともすればドイツ軍の優れた砲兵火力の前に誘い出されるか、あるいは追い込まれる形で損害と撤退を重ねていたイギリス軍にひとつの変化が訪れます。ドイツ軍がいかに巧緻な戦術で誘導を図ってもイギリス軍はけしてその策に嵌らなくなってきます。ドイツ流の機動戦理論によって理詰めで追い詰められていたイギリス軍の弱体な機動戦はある時点から二度と再現されません。ドイツアフリカ軍団のどんなに巧みな誘引策も無駄になる事態が訪れることになり、友軍の集中火力の前にイギリス軍主力を誘引できなくなったことで、ロンメルのアフリカ軍団は今までのように容易い勝利を得られなくなります。それというのもイギリス軍がこの時点できっぱりと機動戦を放棄してしまったからです。エルアラメインの戦いの前に、そうした兆候が現われます。それは1942年の夏のことです。
6月 27, 2010
Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 陸戦

3 Responses
砂漠のキツネの戦術は個々では巧みであったものの基本は従来の戦術理論によるものであり、戦局を左右するだけのインパクトはなかった事がわかりました。
で、マルタを焦点とする「地中海の戦い」(広義の補給戦)に敗れた枢軸側はジリ貧の一方だったはずですが、ダメ押しとなったのがエルアラメインであったという事ですね?
次回はそのダメ押しの内容を教えてくださるのを楽しみにしています。
いつも興味深い記事をありがとうございます。「ヒトラーの戦い」で
「エルアラメイン到達時のドイツ3個師団の実戦力はどれも数百名で一個大体に満たない」
とあり、程度の差はあれ常に劣勢だと思っておりましたが
実際は相当なエアカバーが受けられた局面もあったのですね
渋川雅史さん
その次回なんですが、まだエルアラメインに達していません。
まったく機動戦の苦手なブログで恐縮です。
jobさん
アフリカ軍団の強さは相対的に小規模な火力を必要な場所に必要なときに集中して、そこに敵軍を誘引できたことにありますが、それでもやはり航空優勢が勝敗を分けてしまいます。陸戦の巧拙よりやっぱり空が大切なんです。
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