砲兵の仕事 14 (砲兵に頼らない戦争)
1930年代は砲兵にとってまったく不遇の時代です。機械化部隊が機動戦に追従できない牽引式の野戦重砲を放棄してしまったように、徒歩で移動する歩兵部隊さえもが、野戦重砲を軽視し始めた時期でもあります。歩兵部隊までもが野砲の火力集中を頼りにしなくなった理由は歩兵分隊が軽機関銃を中心とする編制となり、火力面での底上げがあったことと、迫撃砲の普及です。
迫撃砲は射程が短く命中精度も低い兵器ですが、分解搬送が簡単で文字通り敵に肉迫して放列を敷くことができる歩兵が扱う大砲です。しかしこの簡易な兵器が馬鹿にならない威力を発揮することが認識されるようになってきます。発射速度が高いために時間当たりの投射量は新鋭野砲の25ポンド砲を凌ぎ、命中精度の悪さを目標への飽和射撃で補うことができる上に、場合によっては対砲兵戦まで仕掛けてくる厄介な存在です。
このため、砲兵にとって対砲兵戦、対戦車戦に次いで対迫撃砲戦という新しいテーマが生まれ、第二次世界大戦以降、「迫撃砲狩り」は専門の対迫撃砲戦指揮官と専門の対迫撃砲用野砲中隊を必要とする重要任務となります。神出鬼没の迫撃砲が友軍の前線近くに出現すると友軍への誤射の危険から精度の低い応急射撃ができず、観測情報を充実させた頃には撤収してしまうため、第二次世界大戦後期には高精度の新型音響探知システムとレーダーで迫撃砲の探知を行い、専用の野砲が迫撃砲情報を待ち構える、といった体制が整います。
一方、迫撃砲にとっては高い発射速度と機動性をさらに強化して、対迫撃砲戦に絡め取られないよう急速展開、急速移動が最重要課題ですから、最も簡易な存在でありながら、一番の優先順位で自走化する必要があります。極東のある国では戦後になっても、数少ない貴重な装甲兵車を利用した自走迫撃砲が造られていますが、こうした兵器が現れるのは、火力戦で劣勢な側が有効に反撃できる手段として、機動化した迫撃砲が通常の野砲よりも重要だったからです。軽く小さな簡易大砲をわざわざ高価な装甲車台に搭載することはいかにも勿体なく見えますが、当時としては普通の大砲を自走化するよりも役に立つ可能性があったからこそ製作されたのです。
第二次世界大戦前の段階では、まだそこまでの戦術的発展は見られませんが、歩兵が馬鹿にできない火力を手に入れたことは事実です。これはイギリス陸軍に限らず、ドイツ陸軍もまた迫撃砲という歩兵が持ち運べる大砲の威力を最も頼りにした軍隊です。機動突破作戦において野戦重砲の大規模火力集中を待たずに戦車と歩兵を前進させるには近接航空支援だけではなく、迫撃砲などの軽量火砲による小規模な火力集中が決め手となります。電撃戦時代のドイツ陸軍が、航空支援と迫撃砲をどれだけ当てにしていたか、そして野戦重砲をどれだけ軽視していたかは言葉で説明するよりも数字で比較した方が遥かに早いようです。
第一次世界大戦末期、1918年のドイツでは、1100万発の砲弾と400門の重砲、3000門の軽砲を月産しています。大砲の数が多いのは大規模火力戦の下では砲弾と同じく大砲もまた消耗品だからです。
ところがポーランドに侵攻した1939年9月ごろのドイツでは、砲弾は月産でたったの45万発しか生産されていません。ポーランド戦全体で消費された砲弾は140万発(それでも意外に多いので問題視されています。)ですが、第一次世界大戦から比べると、とても戦時とは思えない消費量と生産実績です。電撃戦は大砲の戦いでは無かったということですが、このように恐ろしく軽視されていたドイツ陸軍の砲弾と砲の生産が第一次世界大戦レベルにまで復活するのは1944年になってからです。
進撃するドイツ機甲部隊の中にヴェスペやフンメルのような自走砲の姿が無いのは技術的な問題ではなくて、野戦重砲を軽視していたドクトリン上の問題なのです。
ではもう一つの機甲大国だったイギリス陸軍ではどうだったのかといえば、1930年代の装軌車両関連への予算はこんな推移を示しています。
1931年度 350,000ポンド 対軍事費比率0.9%
1932年度 300,000ポンド 対軍事費比率0.8%
1933年度 350,000ポンド 対軍事費比率0.9%
1934年度 500,000ポンド 対軍事費比率1.25%
1935年度 650,000ポンド 対軍事費比率1.45%
1936年度 850,000ポンド 対軍事費比率1.55%
ドイツの再軍備に対応して予算が増えてはいるものの、全体から見ればあまり優遇されていないことがわかります。これでは自走砲の開発計画を実行するどころではなく、それよりも第二次世界大戦初期のイギリス軍戦車が揃いも揃ってポンコツだった原因がこの辺りにあることさえ何となく察しがついてしまいます。
そんな中で、イギリス陸軍の野戦重砲兵は開戦直前にわずか1個連隊が実働状態にあるのみ、残りは殆んど旧式軽砲部隊、という悲惨な状態に追い込まれています。機甲部隊に無視され、歩兵からも頼りにされなくなった野戦砲兵はそれでもイギリス軍の中で最大の兵科のひとつです。厳しい環境の中で、イギリス陸軍野戦砲兵は機動戦に機材を追従させることのみを追うのではなく、砲撃を近接支援から縦深制圧にまで縦横無尽に対応させる、火力の機動性に再び注力するようになります。4.5インチ砲や5.5インチ砲が開発スケジュールに乗る背景はこれです。
具体的には第一次世界大戦以来の60ポンド砲や6インチ榴弾砲ではなく、もっと射程の長い優秀砲を開発して機動戦にもその射程と精度で火力そのものに機動性を与える、という第一次世界大戦時に得られた展望に戻ろうとするのです。もはや手遅れではありましたが、結局、この考え方はイギリス陸軍野戦砲兵の復活につながります。
6月 20, 2010
Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 陸戦

8 Responses
>1939年9月ごろのドイツでは、砲弾は月産でたったの45万発
>ポーランド戦全体で消費された砲弾は140万発
本当に少ないのですね・・・。同時期のソ連軍が中国軍に200万発の砲弾をあげたり、ソ・フィン戦の二月攻勢で1日で30万発の砲弾を使ったりしてるのと、つい比較してしまいます。
ヤマザクラさん
ドイツ軍の機動戦とイギリス軍の火力戦というドクトリン対決は、この後、北アフリカで強烈なコントラストを見せてくれます。
『WW1の陸戦ドクトリンは捨て去るべき過去ではなくて、実は立ち戻るべき正論だった』が『そう言われても素直には納得し難いものがあ』るのは、
やはり、ポーランドやフランス、そして1941年の東部戦線でドイツ軍が示した「偉大な成果」による所が大きいんでしょうね。
それが、どの程度「電撃戦を中核としたドイツ流の戦争方式」に拠るものなのか?といった点がどれだけ考慮されて来たのか心許ないものがありますね・・・
この問題の試験場は、「砲兵は戦場の神」としたドクトリンを持つソ連軍と対峙するバルバロッサへと舞台を移して検証していく・・・のではなく、
『この後、北アフリカで強烈なコントラストを見せてくれ』る、北アフリカの記事がアップされるんでしょうか? 楽しみです。
少し気になるんですが、「ソ連軍は砲兵を非常に重要視し「砲兵は戦場の神」と呼んで~~~」みたいな記述をよく目にするんですが、それが
なぜ、どのように、どういった経緯で、どう導入され、どう使用され、どう発展していったのかといったことにはあんまり触れられませんね。
書くほうもウンタラなら、読むほうも(自分含めて)ナンヤラな気分です。
今回の記事で現代における砲兵中隊の用法が判った様に思います。
直協支援砲兵中隊→対迫レーダーと連動しての対迫撃砲射撃
全般支援砲兵中隊→敵直協支援砲兵中隊に対して対砲レーダーと連動しての対砲兵射撃
軍団砲兵→敵全般支援砲兵中隊を最優先とした対砲兵射撃
これは合っているでしょうか?
ごめんなさいコメント訂正させて下さい。
みたいな記述をよく(軍記ものなんかで)目にするんですが
ことには(そういった作品の多くでは)あんまり触れられませんね。
(本来理解に欠かせないはずのそういった情報を抜きにして)書ほうもウンタラなら、
失礼致しました。
ss1945さん
電撃戦とは言うけれど、高速機動戦とは言うけれど、
大局的に眺めると国境突破からモスクワまでの進撃はナポレオン時代と大して変わらないのはなぜなんだろう、という素朴な疑問もありますね。
渋川雅史さん
はじめまして。
そうですね。概ねその通りだと思います。
カイテル、ヨードル、フリッチュ、ハルダー、ベック、ブラウヒッチュ、ライヘナウと第二次大戦当時のドイツ陸軍首脳の顔ぶれから見る限り、砲兵閥は大きな勢力を持っていたと思っていました。彼らはなぜ十万人陸軍下でも生き延びられたのでしょうか?
ペドロさん
なぜでしょう。
これも面白いところですね。
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