砲兵の仕事 13 (砲兵を捨てる機械化部隊)
1930年代は機動戦論が最高潮に達した時代です。
とはいっても「古色蒼然とした歩兵主体の陸戦思想が壁のように存在し、それに対して先進的な若手将校達が装甲機動戦という革新的理論を唱えていた」という認識は正しくありません。実際には陸軍部内に留まらず、軍隊の外部にさえ将来の戦争は戦車を使った機動戦となるだろうとの予想がより一般的でした。簡単に言えば「軍人に限らず多くの人々は、次の戦争が装甲機動戦で戦われることを願っていた」ということです。あるいは「装甲機動戦でない血まみれの戦争を恐れていた」とも言えます。
ナチス党が政権を奪取する以前の1932年にヒトラーはこう語っています。
「次の戦争は第一次世界大戦とはまったく異なる戦いとなる。大規模な歩兵攻撃は古臭いものとして廃れてしまう。硬直した戦線で何年にもわたって戦われる死闘は二度と戻って来ないだろう。私は保証する。我々は作戦の自由を再び手にするだろう。」
ヒトラーのような政治家でもこうした見解を口にしていたのは、彼のような人物でさえ「第一次世界大戦の再現」に繋がる発言は大衆の支持が得られないと考えていたことと、ドイツ国民として普遍的だった本人の戦争体験に照らしても塹壕戦を過去の武勇伝にのみ留めたいと思っていたことを示しているようです。
再軍備前のドイツでさえそんなことが語られていた一方で、1930年代に機械化で世界の先頭を行くイギリス陸軍ではそうした考え方が機械化部隊の編成構想に具体的に反映されていることが確認できます。
機動戦に砲兵を対応させる理想的形態が砲兵の自走化であることは誰の眼にも明らかでしたから、その元祖といえるイギリス陸軍は1925年に18ポンド野砲を装軌車台に搭載した「Birch Gun」を採用しています。1917年のガンキャリアが60ポンド砲と6インチ砲という野戦重砲の運搬車であったのと違い、口径の小さい18ポンド砲が選ばれたのは、装甲機動戦で必要とされる砲兵火力は、重砲の集中火力ではなく、敵の対戦車防御を制圧できる直接照準射撃用の軽野砲と考えられたからです。
「Birch Gun」は戦車の上に18ポンド砲を単純に載せた実にぶっきらぼうな設計でしたが、1925年に登場した自走砲としては画期的存在です。戦車の弱点とされた敵野砲を制圧する自走砲を他国に先駆けて装備したイギリス陸軍は、1930年代を迎えるとその後継車輛を製作せずにせっかくの制式自走砲を放棄してしまいます。
多少の不具合はあっても戦車支援に理想的な自走野砲を放棄してしまった理由は予算上の問題以外にもいくつかあるようです。1926年に新型中戦車の要求性能に「1000mでの同級戦車の撃破」が盛り込まれ、それに応じて戦車の砲戦能力が高まったと考えられたことがひとつ。次にイギリスの装甲機動戦思想を育んだ陸軍戦車学校では機械化部隊を自動車化された砲兵と歩兵の機械化ではなく、世界大戦前の機動戦で主役を担った騎兵の延長線上に認識していたこともひとつ。そして自走砲をさほど悩まずに放棄できた最大の理由は近接航空支援への期待です。
装甲機動戦論の先駆者を自認するリデル ハートも戦車の支援は自走砲に加えて航空機で行うべきだと主張していますし、1933年に編成された戦車旅団の指揮官を命じられたホバート少将も同様で、彼が考案した将来あるべき戦車師団の編制に近接航空支援を行う飛行隊3個を含めている程です。装甲機動戦思想の旗手ともいえるホバートを任命した人物であり、後世にあれこれ批判されても、実質的にイギリス陸軍機械化を推し進めた重要人物であるモントゴメリーも同じように考えていたようです。もともと近接航空支援と大規模戦車攻撃はカンブレでほぼ同時に本格実施され、セットで考えられていたものですから、第一次世界大戦中に発展した陸戦理論の正当な後継者であるモントゴメリーがそう考えたのは当然なのでしょう。
そして自走砲の放棄も大変もったいない話ですが、牽引式の野砲にも同じ傾向が見られます。
1935年のイギリス陸軍野戦規定では戦車旅団の攻撃を支援する任務に3.7インチ榴弾砲を充てるとありますが、直接射撃には不向きなこの砲はやがて戦車支援任務から外されて1938年には新型野砲である25ポンド砲と2ポンド対戦車砲が3.7インチ榴弾砲の任務を引き継ぐことになります。
けれどもこの25ポンド砲も、3.7インチ榴弾砲よりは扱いやすくても直接射撃用の砲としては発射速度も遅く、取り回しもいま一つです。結局その任務は攻撃時の側面掩護と防御に向けられ、戦車支援任務、すなわち敵の対戦車砲に対する制圧射撃には用いられなくなります。それ自身が対戦車砲である2ポンド砲も同様です。1930年代半ばのイギリス陸軍では、ホバートなどの先進的な戦車派の将校たちは「最新の装甲機動戦理論に基づいて戦う友軍戦車は野砲の支援射撃が無くても敵の対戦車砲を脅威としないが、敵戦車は友軍の優れた防御戦術により2ポンド砲で阻止できる」という不思議な考えを抱いています。
一方、先進的な戦車派の将校達が期待していた航空支援とはどんなものだったのかと言えば、それには具体的な姿というものがありません。航空優勢を獲得しなければ砲兵戦が戦えず、陸戦の勝利には航空優勢が不可欠であることが当時でも自明のこととして認められていますが、絶対に不可欠であるがゆえにそれについての考察が甘くなっているのが戦間期の装甲機動戦主義者たちに共通に見られる傾向です。よく考えてみれば戦略爆撃空軍志向のイギリス空軍にはシュツーカなど1機も存在せず、そのうえ機動戦対応の空地連絡組織などは影も形もないのに、航空支援は空軍の仕事だとして距離を置いて眺めてしまう姿勢は空軍独立の弊害のひとつなのかもしれません。
砲兵支援の放棄と、航空への非現実的依存と航空軍備の実態との落差は再び起きた世界大戦でイギリス陸軍の装甲機動作戦の大きな欠陥として作用します。空軍独立が早く、しかも戦略爆撃志向の空軍が育っていたイギリスでは似たような航空依存、砲兵軽視傾向があったドイツよりも陸軍と空軍との距離がいっそう遠いのです。このまま戦えば敗北は決定したようなものでした。
6月 13, 2010
Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 陸戦

6 Responses
『「古色蒼然とした~」という認識は正しくありません。』
とのことですが、これってこれまでは結構「定説」みたいな位置づけになってた(なってる?)ように思えるんですが(少なくとも学研のナントカシリーズレベルでは)どこから来てるんでしょうかね?
意外と機甲理論推奨者の回顧録なんかでもそんな記述があった「気」がするんですが、それこそ「イメージ先行の気のせい」だったのか、それとも「当事者の苦労談を盛り上げる前提条件」だったのか??
そう考えると、「旧弊な保守派」とされる人たちが、「裏づけのない先進先端技術に安全保障を托そうと考える浮ついた若手を抑えるベテラン」に見えてくるからおもしろいですね。
ss1945さん
書き手を交代しましょうか。
>そう考えると、「旧弊な保守派」とされる人たちが、「裏づけのない先進先端技術に安全保障を托そうと考える浮ついた若手を抑えるベテラン」に見えてくるからおもしろいですね。
そこまで「おもしろさ」を御理解戴ければ十分に「伝わった」気持になれます。
>「1000mでの同級戦車の撃破」が盛り込まれ、それに応じて戦車の砲戦能力が高まったと考えられた
2ポンド砲ならば、当時の戦車を遠距離から撃破することは可能でしょうが、よく言われるように徹甲弾しか用意しなかったのでは、かえって装甲目標以外への砲戦能力が低下してしまっているような……。
榴弾砲を搭載した近接支援型戦車の扱いはどうだったのでしょうか?
「戦時急造」として突然現れたように見える製品も、実際は運用と製造の技術を蓄積した結果生まれたものだったりするわけですね。
狙撃兵や、火炎放射器装備兵は、捕虜になっても生かしてもらえない、
という話がありますが、
第一次世界大戦中は、砲兵の将校もやはり、捕虜になった際には、
生かしてもらえなかった、と言う話を何処かで読んだことを
思い出しました。
何時、何で読んだのか覚えていない話なのですが…
きっどさん
2ポンド砲の導入は戦車兵には喜ばれたと思います。
榴弾もありましたし、何より当たるから。
当時なら「これさえあれば」という気持ちになる兵器だと思います。
マルハナバチさん
まさにあのマルハナバチこそ、独軍ドクトリンの転換を象徴しているんです。
ムチのムチさん
そのあたりは不勉強で何とも言えませんが、
ただ、直接射撃を行う砲兵は歩兵に負けず劣らず勇敢な存在で、
安全な後方で楽に仕事をしている訳ではないんです。
退却する歩兵を横目で眺めつつ単独で放列を維持する、
といった砲兵の孤軍奮闘する姿は両軍で見られます。
Leave a Reply