砲兵の仕事 10 (対砲兵戦の成果)

 1918年は野戦砲兵の戦術と組織が頂点に達した年です。
 ただ漫然と膨大な砲弾を浪費し続けたような印象を与える第一次世界大戦時の砲兵戦ですが、戦争最後の年には対砲兵戦戦術とその指揮運用システムを完成し、圧倒的な成果を上げています。組織と戦術は両軍で研究、充実されていましたが、当然のことながら成果を挙げられたのは戦闘に勝った側です。

 ドイツ軍の春季攻勢が終息した後の1918年夏から休戦までの数ヶ月間の攻勢で発生した戦死傷者のうち70%は砲弾ではなく小火器によるもので占められています。1918年夏以降の連合軍将兵は今までと同じように銃弾で死傷し、飛行機からの爆弾で死傷し、地雷でも死傷しましたが、前年まで悪夢のように損害を生み出し続けた砲弾による死傷は激減していたのです。大口径砲と先進的戦術を誇ったドイツ軍砲兵は、砲兵不振の時代だった19世紀後半の水準にまで無力化されていたということです。

 ドイツ軍でも連合軍でも1917年中に対砲兵戦用の組織を充実し始めます。イギリス軍を例にとれば、1914年に戦争が始まった時点で師団以上に砲兵指揮官は配置されていませんが、1918年には対砲兵戦という一つの任務のために軍司令部から軍団司令部、師団司令部以下を貫く対砲兵戦用組織が出来上がっていました。その概要は次のようなものです。

 軍司令部に配置された対砲兵戦分析チームは航空写真偵察情報と前線から報告される閃光観測データと音響観測データを総合的に分析してドイツ軍の砲兵陣地リストと砲兵陣地地図を作り上げます。このリストと地図はドイツ軍砲兵の現在位置を指示するものではなく、ある時点でドイツ軍砲兵がどこに布陣していたかを示す情報です。軍司令部の対砲兵戦チームは指揮中枢というよりも情報センターとして機能しています。

 砲兵陣地リストと砲兵陣地地図は軍団司令部の対砲兵戦参謀に情報として手渡され、そこでドイツ軍の作戦意図を勘案しながら具体的な砲撃計画が立案されます。さらに敵軍の砲兵観測機からの無線傍受による情報も加えられます。完全な警報を出すには至りませんでしたが1918年のドイツ軍春季攻勢のわずかな兆候を最初に捉えたのはこうした組織でした。
 そして対砲兵戦は砲撃計画に基づく野戦重砲の間接射撃に限らず、イギリス空軍の地上攻撃機とも連携し、そして攻勢時の臨機目標に対しては師団司令部が独自に動くことになります。こうして段々とドイツ軍野砲は一つの陣地に留まれなくなります。

 このような精緻な組織が作られたことで、膨大な砲弾の消費はさぞ抑えられたことだろうと考えてしまいますが、現実はむしろ逆でした。
 第一次世界大戦で急激に増大した砲弾の需要はイギリスでもフランスでも重い負担で、まして資源の乏しいドイツでは深刻です。このような浪費は二度と繰り返したくないという意識は各国陸軍に共通しています。日本陸軍は第一次世界大戦の消耗戦から学ばなかったという評価がありますが、実際に戦っていた各国陸軍の誰一人として膨大な砲弾の消費が「近代戦の常識だ」などと思ってはいないのです。「こんなことは続かない」「これは何かが間違っている」「何を改善すれば良いのか」というのが各国陸軍の本音なのです。

 では実際に対砲兵戦を行うとどれだけの砲弾が必要になるかといえば、イギリス軍の計算では、最良の環境が整えられ、地上からの砲兵観測を伴う場合、砲兵1個中隊を撃滅するためには強力な6インチ榴弾砲で500発の射撃が必要と計算されています。事前情報のみで射撃する場合はこの数字が極端に跳ね上がります。

 しかも撃たれる方も防備を固めてきます。対砲兵戦が激しく行われるようになると壕を掘って砲を配置するのが当たり前になり、こうした壕内に配置された野砲1門を破壊するためにはさらに強力な8インチ砲弾で80発、または9.2インチ砲弾で60発の射撃が人員殺傷用の60ポンド砲による榴霰弾射撃を伴って必要だと考えられています。
砲弾の浪費は止まらないのです。

 それでも対砲兵戦はさらに激しく続けられ、1918年8月以降の連合軍攻勢は、まるで戦争中期に戻ったかのような長時間の準備砲撃を伴うようになります。ドイツ軍があれほど重視していた奇襲効果もあえて無視してまで対砲兵戦が続けられるのです。

 これはもはや国家の行く末を危ぶむ程に累積した歩兵の損害を抑えるために、あえて砲弾の膨大な消費を選択した結果です。アメリカ軍の増援を得て兵力の豊富な連合軍はドイツ軍式の戦術を模倣してもおそらく失敗することは無かったと考えられますが、歩兵の大損害の元凶だったドイツ軍野砲の殲滅にあえて固執する必要があったのです。

 けれども砲弾の浪費は耐え難い重荷の一つであることには変わりません。
 その反動は戦後にやってきます。

5月 27, 2010   Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 第一次世界大戦, 陸戦

7 Responses

  1. 枯山 - 5月 28, 2010

    BUN様

    興味深く第一次大戦中の砲兵戦についての記事を拝読させていただいております。最近でブライアン・ボンド『イギリスと第一次世界大戦』(芙蓉書房)を読みまして、書籍で少しだけ紹介されていた、当時の連合国の砲兵戦とそのシステムが第一次大戦中どのような変遷を経たのかをこちらのブログで詳細に知ることが出来るのは、ただただ感謝をするほかありません。

  2. ヤマザクラ - 5月 28, 2010

    >ドイツ軍式の戦術を模倣してもおそらく失敗することは無かったと
    >考えられますが、歩兵の大損害の元凶だったドイツ軍野砲の殲滅に
    >あえて固執する必要があったのです。

    ドイツ軍砲兵の縦深攻撃が
    連合軍の攻勢に対する防御の局面でも使用される可能性があったので
    連合軍側は事前の対砲兵戦を徹底したのかも、などと考えてしまいました。

  3. ムチのムチ - 5月 28, 2010

    >  そして対砲兵戦は砲撃計画に基づく野戦重砲の間接射撃に限らず、イギリス空軍の地上攻撃機とも連携し、

    単純に考えると、航空優勢を獲得・拡大・確保し、航空偵察によって得たデータを元に、
    航空観測等を活用して対砲兵射撃をするくらいなら、
    航空機の地上攻撃を対砲兵戦の主役にしてしまえば良いように思うのですが、
    そうならないのは、航空機の能力と、機数の問題でしょうか?

    また、第一次世界大戦末期において、砲と地上攻撃機の使い分けは、
    どのような判断でどのようになされていたのでしょうか?

  4. BUN - 5月 28, 2010

    枯山さん

    ありがとうございます。
    お役に立てたかどうかわかりませんが、そんな考え方があるといった程度にお読みください。

    ヤマザクラさん

    それは確かにあります。
    「最終防護射撃」的発想はそうした考え方の下で廃れています。
    ただ、連合軍の1918年攻勢はもっと安く上げられたものをあえて手間と予算を掛けて徹底的にやったということです。

    ムチのムチさん

    最初の方でご紹介した通り、間接射撃は航空偵察と航空観測をほぼ必須の条件としています。ですから砲撃と空襲の差は目標に落下するのが大砲の弾か爆弾かの違いです。
    ただ、爆撃は準備が大変で攻撃に手間と時間が掛り、高くつく手法で、
    一方、砲撃は目標変更が容易で臨機に強力かつ持続的で、
    しかも比較的安価な手法です。

    1918年頃には近距離目標は砲撃、遠距離目標は爆撃という使い分けが既に見られます。

    けれどもムチのムチさんの仰るようなことは、当時でも言われているんです。

  5. 匿名希望 - 5月 30, 2010

    いつも興味深く拝読させていただいております。

    少し先の話になりますが。
    WW2ではネーベルヴェルファーやカチューシャのようなロケット砲が多用されるようになります。

    このロケット砲を使う目的は、①敵の対砲兵射撃が始まる前にできるだけ大量の砲弾を発射すること、②あわよくば最初の1撃で敵砲兵を殲滅すること、と見てよいのでしょうか。

    また、WW2において、ロケット砲はソ連やドイツが愛用しました。
    この二カ国はWW1ではどちらかといえば砲兵戦で撃ち負けていた側です(ドイツは英米仏に、ロシアはドイツに)。
    砲兵で劣勢だった記憶がロケット砲開発の動機になったのでしょうか。

  6. BUN - 5月 31, 2010

    匿名希望さん

    多連装ロケットは対砲兵戦に最適化された兵器として登場します。
    この種の兵器をソ連陸軍というちょっと意外な軍隊が先駆けて採用したことも対砲兵戦という思想があっての話です。
    第一次世界大戦後の砲兵戦術がどんな変遷を遂げたか、これから紹介して行きたいと思います。
    と申しますか、例によってクドクドと紹介してもよろしいでしょうか。

  7. 匿名希望 - 6月 1, 2010

    ご教授いただきありがとうございます。

    ぜひ、じっくりたっぷりとご紹介いただければと思います。

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