砲兵の仕事 8 (「機動戦への復帰」ならず)

 カンブレの戦いでは鉄条網などの障害物を通常型のマーク4戦車で踏み潰し、鉄条網排除用の専用戦車がフック付ワイヤーで引き摺って歩兵の突破口を大きく切り開くことで今まで重要だった準備砲撃を省略し、野戦砲兵はより後方の敵砲兵陣地や敵の予備隊に向けて射撃を集中することができましたが、対砲兵戦の成功は単純に猛砲撃を行ったからではありません。いくつかの進歩が縦深制圧という新しい考え方を支えています。

 まず砲兵観測の精度が大戦初期に比べて格段に向上しています。
 閃光による方位と距離の測定と音響による測定技術が発達したことと、砲撃に気象データが反映されるようになったこと、そして航空偵察がますますその密度と精度を上げてきたことで、野砲の遠距離射撃精度はイギリス軍の18ポンド野砲を例に挙げれば、射撃距離4000mで80m以内に着弾するだけの精度を達成しています。この精度は現代の火砲と比べて遜色のないものです。

 さらに砲兵の戦術は攻撃だけでなく防御面でも進歩します。
 砲兵による防御で最も有効なのは攻撃準備中の敵を叩く対抗射撃ですが、そのチャンスをいかに察知するかが勝負の分かれ目になってきます。従来のSOS射撃は防御側前方への単純な盲撃ちの猛砲撃でしたが、対砲兵射撃と攻撃準備対抗射撃で敵の砲兵と第二波以降の歩兵突撃を潰せるならば両軍ともに縦深を増している陣地を何とか守り抜けることも判ってきています。奪取した敵陣地の維持も同じような考え方で支援されます。

 こうしたお互いの手を読み合うような戦闘が日常的になると、敵の攻勢を察知したら、その準備砲撃の直前に部隊主力を陣地から引き上げてしまい、準備砲撃終了後に急速布陣するといった手法も一般化します。第二次世界大戦末期、1945年4月にベルリン前面のゼーロウ高地で部隊を陣地から一旦引き揚げてしまい、敵の突撃直前に再配置したドイツ軍の戦術は、ベルリン攻防戦の前哨戦で示された巧妙な采配として有名ですが、元をたどれば前大戦での常套手段で、よく知られた戦術なのです。

 最後に弾種の問題です。
 1917年11月のカンブレ戦は戦車の大量投入だけではなく、毒ガス砲弾の大量使用という点でも「初めての戦い」です。攻撃開始と共に70門の60ポンド砲がドイツ軍砲兵陣地に向けて1万6000発の催涙ガス弾を撃ち込んでドイツ軍砲兵にガスマスク着用を強いてその動きを封じています。砲兵の仕事は重労働ですから直に毒ガスに冒されなくてもマスク着用だけでその活動は大きく制限されます。カンブレの対砲兵戦は毒ガス戦です。これは意外性があり、効果を上げています。

 そして突撃開始と共に歩兵と戦車の前方500mでは6インチ榴弾砲が確認されていた敵火点に対して集中射撃を行い、歩兵と戦車の前方300mで18ポンド砲のクリーピング バラージが発煙弾を撃ち込んで突撃部隊を敵の視野から覆い隠します。ドイツ軍は主要火点を6インチ榴弾砲の短時間ながら密度の高い集中射撃で潰され、かつてない濃密な発煙弾に包まれた戦車と歩兵の突撃で塹壕線を奪われます。

 けれども実戦の様相は第二次世界大戦ものの戦争映画のような戦いとは若干雰囲気が異なります。マーク4戦車はドイツ軍の塹壕を超えられません。なぜならドイツ軍の塹壕はイギリスの菱形戦車が越えられない幅で対戦車戦闘を意識して構築されていたからです。そしてイギリス戦車は歩兵よりも遅い、這うような速度でしか動けません。

 それでも鉄条網破壊用戦車が鉄条網を引っ掛けながら左右に旋回して塹壕線と並行に走って鉄条網を撤去し、歩兵はそこから敵陣へと雪崩れ込みます。通常型のマーク4戦車は3輌ひと組で活動し、1号車が敵塹壕の前で左旋回して塹壕と並行に移動しながら敵を制圧し、その間に2号車が塹壕線の縁まで進んで車体上部に取り付けた木材を太く束ねたもの(第二次大戦中でチャーチル戦車が積んでいたものと同じ)を壕内に投下して壕を半分ほど埋めてそれを足掛かりとして通過し、歩兵部隊は塹壕内を掃討した後、塹壕の左右を閉塞して塹壕を通じての逆襲に備えます。カンブレ前面にはブルーライン、ブラウンラインとイギリス側から呼ばれた2本の主要な塹壕線がありましたが、それぞれに対して同じ作業が繰り返されています。

 戦闘というよりもまるで煙幕に包まれた土木工事のような作業がゆっくりとしたペースで進められていたのですが、ドイツ軍はしばらくその作業を妨害できません。イギリス軍の野戦重砲による縦深制圧が有効に機能したからです。こうして塹壕線の突破を果たしたイギリス軍はその後方にあるストロングポイント群の攻撃に向かいます。幸いにも戦車の損害は僅かで、乗員の熟練から落伍車も少なく、それまでの戦いよりはるかに順調に前進した戦車隊でしたが、ようやく立ち直ったドイツ軍の野砲部隊はイギリス軍戦車を迎え撃つべく前進を開始し、カンブレ前面の数箇所で突破してきた戦車との対戦車戦闘が始まります。

 イギリス軍戦車は塹壕陣地の攻撃用に設計された専用兵器ですから野砲の直接射撃は最も苦手で、この時点で大損害を蒙ってしまいます。移動中の戦車は塹壕を跨ぎ越すための土木機械のようなもので、サスペンションの無い戦車の中からは機関銃射撃はおろか目標を大雑把に照準することさえ不可能でした。しかも敵は空からも襲って来ます。カンブレで戦った戦車隊には戦車から取り外した機関銃でドイツ軍機を撃墜した武勇伝がありますが、そうした行為に勲章を授けて称賛したくなるような情況があったことの裏返しでもあります。

 さらに悪いことに近距離に布陣した野砲を制圧できるだけの歩兵部隊は塹壕陣地の争奪戦と航空攻撃によって消耗して追従できず、戦車はほとんど孤立したまま撃破されてゆきます。砲兵が縦深制圧に注力したことで、歩兵の負担が増えていたからです。
歩兵部隊は鈍重な戦車の通行を助け、敵の攻撃から無防備な戦車を守りつつ、敵陣へ突入して戦うという忙しさです。煙幕に隠れて飛び込んだ塹壕の中では激しい白兵戦が待っています。このために塹壕線突破後の戦車に付き添って敵のストロングポイントを協同攻撃するだけの余力が残っていないのです。敵のストロングポイントを迂回浸透するというドクトリンは一度、提案されたものの、結局は否定されていましたし、迂回したストロングポイントを放置したら後方が危うくなりますが、だからといって誰も片付けてはくれません。イギリス軍はここで、突破後の機動用兵力だった騎兵部隊までも注ぎ込んで攻撃を続行しますが、カンブレの戦いはこのあたりで結末が見えています。

 こうして振り返るとカンブレの戦いは戦車にとっては初めて体験する組織的な対戦車戦闘であり、縦深陣地の構築と歩戦分離、機動性のある軽砲の直接射撃という対戦車戦闘の基本要素が既に揃っていることに気がつきますが、まさにこの戦闘で対戦車戦闘という新しいテーマが砲兵の仕事に加わったのです。
 そして歩兵にとっては砲兵が縦深制圧に注力することで敵砲兵と歩兵の逆襲を排除して塹壕陣地を戦車と協同で突破する新しい戦術を体験しますが、歩兵の負担が大きくなっていることも実感します。加えて塹壕線を突破した後に現れる敵のストロングポイントの撃破も結構な難題であることも判明します。
 カンブレで塹壕線そのものの突破が一応は実現したことで、「機動戦への復帰」という大目標が現実味を帯びてきたものの、ただでさえ面倒を看るのが厄介な戦車を野砲の対戦車直接射撃からどう守るか、相変わらず大きい歩兵の負担をどう減らすか、解決しなければならない問題はまだまだ残されています。

5月 24, 2010   Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 第一次世界大戦, 陸戦

6 Responses

  1. uuchan - 5月 24, 2010

    いつも勉強させていただいたいます。

    イギリス軍戦車の戦闘方法は塹壕突破用に練られていたのですね。すると、ひし形戦車の側面砲塔は塹壕線に沿って制圧するためでしょうか。

    鉄条網を引っ張る専用戦車>こういう工夫をみると、ノルマンディーの時の第79師団(ホバートファニーズ)が作られたのはイギリスらしい“伝統”を感じます。

  2. ss1945 - 5月 25, 2010

    初めての書き込みになります。
    興味深い記事の数々、いつも楽しく読ませていただいています。

    正直、一次対戦でこれだけの軍事的新機軸とそれへの対応、それに対する
    ・・・、が繰り返されているとは思っていませんでした。

    しかし、時は進み、砲兵の改良がここまで進み、戦車まで登場してもまだ防御ラインの突破には問題が山積してるんですね・・・

    当時の軍人もノースクリフ子爵みたいに
    「われわれのだれひとり戦争が終わるのを見るまで生きていないだろう」
    なんて思ってた人もいるんじゃないかと想像してしまいました。

  3. BUN - 5月 25, 2010

    uuchanさん

    あんまり勉強にはなりませんが、たとえばWW2のイギリス軍がTOGというまるでww1の亡霊のような試作戦車を造ってしまう理由は何なんだろう、といった疑問の答を探すことは楽しい調べ物ですよね。

    ss1945さん

    はじめまして。
    頑迷な将軍たちが前世紀の思考を引きずりながら無謀な攻勢を繰り返したと、漠然と思われている戦争が、実際には次々に発生する前代未聞の事態に取り組んで毎年、あるいは数カ月でドクトリンを書き換えるようなとんでもない試行錯誤の連続だったことに気がつくと血生臭くて平板な第一次世界大戦史の違う顔が見えてきますね。

  4. 虎山 - 5月 25, 2010

     いつも有難うございます。

     今更ですが、砲兵戦術講授録を一部分、読み直してきました。
     以前は意味の分からなかった事柄が、この「砲兵の仕事」シリーズのおかげで、少しずつ分かってきたと思います。
     鉄条網を破壊するために、あれだけ大量の砲弾が必要だったとは、驚きました。
     対鉄条網向けの砲弾を節約できただけでも、戦車の元が取れているような(笑)。

     それにしても、イギリス軍の戦車投入に対して、ドイツ軍は十分な準備を済ませていたようですね。
     対戦車壕やストロングポイントの活用などが見事だと思います。

  5. きっど - 5月 25, 2010

    ドイツ軍が戦車を投入しなかったのは、自軍の戦車対策を見て、戦車では塹壕線を突破できない以上、作っても無駄だと判断したからでしょうか?
    たとえ突破できずとも、鉄条網向けの砲弾を節約出来るだけでも意味は有りそうですが(自軍が戦車を開発・生産できるだけの余力は捻出できそう)。
    それとも、戦車無しでも突破できる手段を手に入れたのでしょうか?(近接航空支援に援護された浸透戦術?)

  6. BUN - 5月 25, 2010

    虎山さん

    イギリス軍は踏み止まって戦うドイツ砲兵を見て、次の攻勢ではドイツ軍のように戦おうとします。1941年冬の東部戦線でドイツ軍がそうしたようにです。

    きっどさん

    イギリス軍のタンクを見たドイツ軍はただちに同じような兵器の研究を開始します。けれどもイギリス軍のタンクとドイツ軍のA7Vは外観も性格も大きく異なります。技術的稚拙さから来る試行錯誤の結果ではなく、目的が異なる・・これが面白い所です。

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