砲兵の仕事 6 (多すぎる仕事)

 直線的なリフトアップ バラージから複雑な曲線を描くクリーピング バラージへと移動弾幕射撃の発展を紹介しましたが、結局、こうした戦争初期に生まれた砲兵戦術は塹壕陣地の突破にそれほど貢献できていません。1914年の冬に出現した塹壕線は1918年まで大規模に突破されることもなく整然と存在し続けていましたし、移動弾幕射撃に対抗するためにドイツ軍は塹壕線の外の砲弾穴に臨機に機関銃を配置するようになります。こうした突如出現する火点は事前の航空写真地図では探知できませんし、移動弾幕射撃でその全てを破壊することは不可能でした。

 さらに1916年後半からドイツ軍は防御方式を改革し、何層にもおよぶ弾性防御方式の陣地を築城するようになります。これは厄介な問題です。なぜなら、曲線を描く一本の塹壕線を制圧するために工夫を重ねた移動弾幕射撃も、弾性防御で塹壕線が複数になったら対抗できません。複数の塹壕線に対して二段階のクリーピング バラージを構成することも検討されますが、弾性防御陣地のバトルゾーンを構成する部分は線状の塹壕とは限りません。塹壕線外の臨時火点を制圧するために弾幕から外れて射撃する砲群を用意する櫛梳射撃が考案されてもあまり状況は変わりません。

 移動弾幕射撃は突撃時の支援射撃として有効ではあっても決め手とはならず、しかも航空偵察情報の精度によっては最新の手法が使えません。ある師団の担当地区ではパイルアップ バラージが行われているのに、隣の師団の担当地区ではリフティング バラージが行われている、といった事態が珍しくありません。その効果も、パイルアップ バラージやクリーピング バラージといった形式の違いだけでなく移動弾幕の移動する間隔の適不適にも影響されます。弾幕射撃は塹壕線突破手段としてはいま一つだったのです。

 1917年を迎える頃には何日にもわたる準備砲撃でも、突撃時の移動弾幕による支援でも塹壕線が突破できそうもないことが認識されて来ます。塹壕線前方の鉄条網を破壊して塹壕陣地を弱体化させるための準備砲撃は効果を上げようとすればするほど時間が掛かり、攻撃正面とそのタイミングを敵に把握されやすく、突撃準備中の部隊にドイツ軍の集中射撃が浴びせられて突撃時以上の損害が出る事態も発生します。

 奇襲効果が失われないよう、準備砲撃を短縮する工夫は1915年には既に試みられるようになります。準備砲撃はその時の事情によって長くなったり短くなったり、様々なのです。突撃の障害となる鉄条網の破壊は野砲から野戦臼砲へと肩代わりされ、野砲の負担は多少減りますが、根本的な解決には至りません。ですから準備砲撃が長い、短いといったことは大した問題ではなく、事実としても長期間の準備砲撃がやがて戦訓によって短縮されたというストレートな変化があった訳でもありません。1917年になっても半月にわたる準備砲撃が続けられていますし、準備砲撃を短縮したからといって強襲が行われた訳でもありません。

 塹壕線の突破作戦で当初から砲兵に要求された仕事は次のようなものです。

1. 準備砲撃による歩兵火力では排除できない鉄条網の破壊
2. 準備砲撃による塹壕にこもる敵歩兵火力の無力化
3. 弾幕射撃による突撃部隊の支援と逆襲の阻止
4. 対砲兵戦による敵砲兵の制圧

 このように塹壕線突破時に考えられるあらゆる問題の解決が砲兵に委ねられていることが解りますが、野戦砲兵がこれだけの多彩な任務を全て達成することは最初からできない相談でした。野戦砲兵を今までの軽砲主体の構成から大威力、長射程の野戦重砲主体へと変化させ、単純な塹壕線の制圧から、その地域の完全破壊へと砲撃の概念が変わっても、まだ塹壕陣地の突破はできなかったのです。砲戦の指揮を状況に合わせて集中、分散させる柔軟な指揮系統が考案されてもまだ不足です。1916年春のベルダン戦以降、圧倒的な航空優勢が獲得されて一方的な偵察と砲戦観測が行われる、といった理想的環境も連合軍、ドイツ軍の両者に短期間実現しますが、それでも突破は実現しません。

 塹壕陣地を突破する本来の目的は「歩兵を機動戦に復帰させること」にあります。そして塹壕陣地による膠着状況は当時の歩兵戦術が生んだものではなく、歩兵火力だけが他の兵科を追い抜いて急速に強大になったことで生まれた予想外の事態です。第一次世界大戦における野戦砲兵の最後の変革は、準備砲撃期間の長短や、弾幕射撃の実施形式などの「どう砲撃するか」といったテクニカル問題からではなく、塹壕を突破するためには「何を砲撃するか」という根源的な問い直しから始まります。

5月 1, 2010   Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 第一次世界大戦, 陸戦

5 Responses

  1. ねこ800 - 5月 1, 2010

    歩兵というのは兵科の中で工兵とか後方部隊よりは上だけど戦闘部隊では最弱のものかと思ってました

    でも太平洋戦争では日本の歩兵はいいとこなしで米軍の大火力に圧倒されたというイメージがあるだけに、いったいどういうことなんだろうかとワクワクしながら読んでいます。

  2. 虎山 - 5月 2, 2010

     これら砲兵火力の不足が、航空機による近接航空支援を必要とした背景になったのでしょうか。
     味方が塹壕を突破する(あるいは、敵による突破を阻止する)ためならば、消耗率に目を瞑って、ありったけの戦力を集中する、強い意志(焦り?)を感じました。

     次回を楽しみに待たせて頂きます。

  3. 扶桑萌萌委員会 - 5月 4, 2010

     初めまして、扶桑萌萌委員会と申します。
     砲戦の件、興味深く読ませていただいております。

     もし差し支えなければ、参考文献を教えていただけないでしょうか。
     第一次世界大戦の模様を詳細に伝えてる書籍って見かけた記憶がorz

  4. BUN - 5月 4, 2010

    ねこ800さん

    ワクワクですか。
    ひょっとしたら今回のテーマは面白いのかも・・。

    虎山さん

    これもまた御賢察です。
    まったくその通りですね。
    史上最初の大規模戦車攻撃として注目されるカンブレ戦で
    何百輌も戦車が集められた理由も・・という話が続きます。

    扶桑萌萌委員会さん

    こちらこそはじめまして。
    ブログを拝読いたしました。
    何かをわかりやすく相手に伝えたいという気持が伝わりますね。
    第一次世界大戦関連の和書はそれほど多くありません。
    けれども和書に限らなければそれこそ山ほどありますので選り取り見取りです。
    「様相を詳細に伝える書籍」ということであれば
    First Ypres 1914(The birth of trench warfare)
    David Lomas
    The Somme 1916  
    Mike Chapell 
    Cambrai 1917 The Birth of armoured warfare 
    Alexander Turner Peter Dennis

    など入手容易なものが沢山あります。

  5. 扶桑萌萌委員会 - 5月 5, 2010

     お返事ありがとうございます。

     つまり、結論としては、世界統一言語が日本語となるか、英語を再勉強するかの二択ということですねガッダメッ!ヽ(`Д´)ノ

     以後の記事も期待しています。

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