砲兵の仕事 5 (弾幕射撃の改良)
精緻かつ冷酷に計算しつくされた戦術のように見える「SOS射撃」すなわち「最終防護射撃」が第一次世界大戦初期に生まれたもので、砲兵戦術としては単純で無駄の多いものだったことを紹介しましたが、砲弾浪費の要因は「SOS射撃」だけではありません。砲弾を雨のごとく降らせる戦術の代表は何といっても「弾幕射撃」です。大東亜戦争関係の戦記でも「弾幕」という言葉はお馴染みですが、射撃の猛烈さを形容する文学的表現として使われることが大半で、何度繰り返して読んでも、何をどうするのか、その実態はさっぱりわかりません。書く方も解ってないのじゃないか、とつい悪態をつきたくなります。
敵陣に砲弾を撃ち込み続けてその弾着のすぐ後から歩兵が突撃する戦術は伝統的なもので、世界大戦の前から野砲兵の基本的な近接支援任務でした。フランス軍の75ミリ野砲はこうした任務が得意な射撃精度の高い平射砲でしたし、ドイツ軍が装備した大威力の15センチ榴弾砲は射程が長い代わりに精度が低く、ドイツ軍歩兵部隊は弾着のすぐ後を前進することができずに苦労しています。「すぐ後」とはどのくらいかといえば「25メートルから50メートル」という相当危険な距離のことで、フランス軍では世界大戦を通じて7万5千人もの将兵が弾幕射撃の「すぐ後」で友軍の砲弾を浴びて死傷しています。
こうした弾幕射撃をより効果的に実施する手法が移動弾幕射撃です。弾幕を段々に前進させて、それを楯にして歩兵が突撃するというやり方は塹壕戦が開始された直後の1915年にフランス軍が実施し始めます。このあたりもよく誤解される部分で、移動弾幕射撃も最終防護射撃と同じように古い戦術で、世界大戦初期から当たり前に実施されています。大切なことは移動弾幕射撃が凄いか凄くないか、といったことではなくて、移動弾幕射撃がその後の防御戦術の進化に対応してどう変わったか、という点ではないかと思います。
けれどもその流れを文章で説明するのはけっこう大変です。もし手もとに大学ノートかレポート用紙でもあれば、その横罫線をいくつかまたいで蛇行する曲線を横方向に引いてみてください。その曲線が塹壕線です。塹壕線は有利な地形を選んで掘られますからそんなふうに蛇行するものなのです。そして罫線が弾幕です。
下から上へ突撃が行われるとして、塹壕線の下方向から弾幕が罫線を一段ずつ上がって来てやがて塹壕線にかかって行くのが移動弾幕の基本であるリフティング バラージまたはストレート バラージという手法です。段階的に敵陣に迫ってゆく弾幕の後を歩兵が前進して行くリフティング バラージは、なるほど、歩兵突撃の支援射撃はこうやるのだな、という解り易さがあります。単純なので実施も簡単そうです。1915年型の移動弾幕はこんな感じです。
けれどもよく見ると問題点も解り易いのがリフティング バラージの特徴です。曲線を描いている塹壕線はその全てが砲弾を浴びるまで何段階かの弾幕を必要とします。すなわち塹壕線全体が同時に砲弾を浴びることは無いので、そのとき砲弾を浴びていない部分の塹壕線は突撃する歩兵部隊に対して反撃して来ます。直線的な弾幕では曲線を描く塹壕線を同時制圧できないという大きな問題を抱えているということです。弾幕が通り過ぎた後で頭を上げた防御側の部隊は機関銃を据え直して突撃を粉砕するチャンスが残される訳です。
そこで考案されたのがリフティング バラージの変形であるパイルアップ バラージです。この射撃法は敵の塹壕線に達するまではリフティング バラージと同じですが、塹壕線に達した段階でその部分が足踏みすることが特徴です。一部が塹壕線に接触したらそこは足踏みして、まだ塹壕線に達していない部分はリフティング バラージと同じように前進し、塹壕線が友軍から一番遠い部分で止まります。このときまで足踏みした部分はずっとそこを射撃し続けていますから、最後の段階で弾幕は敵の塹壕線に沿った曲線を描くようになり、塹壕線は同時制圧されることになります。1916年型といえる手法です。
パイルアップ バラージは敵塹壕線の同時制圧という大きな利点を持っていますが、やはり欠点も持ち合わせています。全塹壕線が同時制圧されるまで歩兵が前進できないことや、部分的に時間差をもって突撃しないと塹壕線への同時突入ができないといった問題があります。突撃を精緻に組み立てないと上手く攻められないということです。そして全塹壕線を同時制圧するというパイルアップ バラージには単純で平板なリフティング バラージが持っていた「未発見の敵火点まで抑え込む」という利点が減少しています。予定されていた塹壕線は同時に砲撃されているものの、もし未発見の火点があればそこはどんどん反撃してくるということです。
さらに重大な問題は砲撃の精度です。敵の塹壕線はこちらからよく見えるような場所にはまず掘られていませんし、地面に掘られた溝である塹壕というものはもともと地上からの観測は困難ですから飛行機による写真地図作成、飛行機による砲戦観測が必須となります。
もし事前の敵塹壕線地図が精度の低いものであったなら、パイルアップ バラージは機能しない無駄弾を撃つことになり何の役にも立ちません。リフトアップ バラージより事前情報の正確な獲得が必要で、航空偵察と砲戦観測が必須の射撃法です。
塹壕線を同時制圧しても最初に砲撃された部分と最後に砲撃された部分では効果に差が生まれてしまう上に、周囲の未発見火点を上手く制圧できないというパイルアップ バラージの持っていた欠点を改善したのが、クリーピング バラージです。これは弾幕に塹壕線の描いた曲線と同じ曲線を持たせて、リフトアップ バラージと同じように前進させて行く方式です。リフトアップ バラージとパイルアップ バラージの長所を併せ持つ理想的な移動弾幕射撃法ですが、突撃の進発時刻の調整や事前の航空偵察、攻撃時の砲戦観測を必要とする点も同様です。1917年型の移動弾幕といえます。
こうして眺めてみると、ひとつ気がつく点があります。それは第一次世界大戦とはいえ、航空部隊が関与しなければ、陸戦であまり精密な戦術を組み立てることができず、移動弾幕射撃もろくに実施できないことです。極端に言えば、航空優勢の無い陸戦はせいぜい19世紀止まりの戦術で戦うしかなかったのです。そんなことはレッドバロンが空のエースとして名を馳せるずっと以前から陸戦指揮官の常識で、たとえば後にフランス軍の移動弾幕射撃について誇りをもって紹介したフォッシュも、その弾幕射撃法を可能にするのは航空部隊であることを当たり前に理解していたのです。彼らが「航空優勢は重要だ」と発言するのは時代の趨勢から得た漠然とした印象からではなく、「我が軍の誇る精緻な砲兵戦術は第一次世界大戦で発明された『新兵器』の一種であり、しかもそれは航空部隊の活動を前提として成り立っている」という具体的な事実を述べているのです。
4月 25, 2010
Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 第一次世界大戦, 陸戦

4 Responses
かつて加登川先生の日本陸軍史の本(38式歩兵銃?)の中の第一次世界大戦の記述で、弾幕射撃が移動弾幕射撃になり、突撃前射撃が突撃時射撃になり、と、砲兵射撃方法がころころ変化する部分があり、なんだろう?と疑問に思いました。本日の文を読み、理解できました。塹壕は直線ではないし、砲兵による制圧の一定の幅以上はできないためだったのですね。
塹壕の突破において、この後に戦車が出現したのは、機関銃を砲兵がいろいろいな戦術を駆使しても制圧しきれなかったためでしょうか。
uuchanさん
これは鋭い。
第一次世界大戦中の戦車という兵器はほとんど実績の上がらない兵器が期待され続けたのは何故なのか、砲兵にとって塹壕陣地突破という問題に対する正解は何だったか、まさにこれから紹介したい部分です。
>砲兵の正解
間接射撃が駄目なら直接射撃をすればいいじゃな、と予想してみます。
tackmanさん
いらっしゃいませ。
論理的な予想ですね。
紹介すると言っておきながら、まだ回数が掛るのは
タイトルに恥じぬクドさゆえです。
お許しください。
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